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20歳の時の一大トピック

今の私が思うことを、ざっくりつれづれなるままに書いています。


若い人に一言お願いします。

そういわれていつのまにか、何か気づきを期待される程度には数字が大人になっているのだとことに気づいてハッとしました。笑

最近色々なご縁でアラウンド20の方々と話す機会がぐっと増えました。

年下だからと思うことは相変わらずないけれど、自覚する最初の大台だからか、はたちってなんだか特別だったなぁと思い出します。

みなさんとても聞き上手で、発信力もあって、すごいなぁと思っているうちに「何か一言!」と言っていただく流れもありまして…

キラキラしているみなさんに毎回逆に一言ずついただきたいくらいなのですが、なんとなく話の流れの中で、自分のした経験の中から何を言語化したら目の前の人のお守りに"なりうる"かなぁ…

と考えたりしています。


20歳の時の個人的気づき第1位

そういうことをたびたび聞かれて20歳の時どんなことに気づいたかなぁと振り返ってみると(あまり年単位の振り返りをする習慣はこれまでなかった気がする…)

大人も別に強くないよ。

ということ。これは何もとんがった気持ちで思ったわけではなくて(笑)音楽療法の授業をうけていて

対象者の中には歳上の人もいるかもしれません。

といわれ「そうか…!」と思ったことだったのです。

考えてみると昔みたアニメの主人公はすごく大人にみえたのに14歳だったり、気づけばとっくにその年齢はすぎているのに、意外とおおまかな感覚はみていた頃とかわらなかったりして(いいのかしら)。

なにより自分がちっとも強くはなっていないなぁとふと思うことは多いです。

でもだからこそ、何かを守れる人は素敵だなぁとより強く思うのです。


私が思う、"苦労した方がいい"のからくり

言葉って時々むずかしいのだけど、苦労しなさいと言われた時に苦悩しなきゃいけないと思ってしまう人は少なくないのかなと思います。

悩むって負荷もかかるし中毒性もあるし、なによりやってる感は得られるのですよね。。

成長の過程で"悩むを通過すること"はもしかしたらあるかもしれません。が、それが目的になってしまうと辛いルーティーンのはじまり。。

成長する過程でできないをできるにするために時間や努力を要したりする場合、なかなか慣れなくて心がギュッとなることはあるかもしれません。

もしも後者を苦労と呼ぶなら解決が目的なのでなんとなくストンとくるけれど、それがなくできたからといってそれもそれでいいなぁと思っちゃう。(素直にうらやましいし)

もしくは自分が好きなことをやるためにくっついてきた、好きではないこともやらなければならない時があるのかもしれない。

これに関しては気分でサボりたい日もとにかく練習はひとまず始めておくルーティーンを作るというのは選択肢の一つとしておすすめしています。

これはどうやらモチベーションって後からついてきて、やった量に比例する説があるからです。

もちろん楽しく探究できるならその時間の方がその方が質がいいだろうなと思うけれど。

とにもかくにも。いらないストレスはいらなくなぁい?という感覚はどんな偉人の話を聞いても今のところなんだか覆りません。

これは曽祖母がよく言っていた「私は洗濯板を使っていたけれど、洗濯機を知ってしまったし、今の人に洗濯板をすすめることはまずない。」と言う言葉をすり込まれているからかもしれません。笑


苦労をこえたのはその人の成果

とはいえ頑張っている人たちは好きだし、サクセスストーリーも好きです。

「よかったねぇ」と心から思えるし、予告の段階である程度良い結末が見えたりするので安心して最後まで観れるからです。笑

この人もこんなに頑張ったのをみたから自分も頑張りたくなった!!

と勇気をもらうとともに

それにしてもこれを越えられた上にこれもいい経験といえるなんてかっこよすぎるよ。

と尊敬せずにはいられません。いい経験にしたのは紛れもなくその人の力だなとおもうから。

▲一度この記事でスカラのバレエダンサーのお母様と特急内で仲良くなったお話をしました。

ここでも


"素晴らしい経験をしたけれど、この同じ人生の中で2度と同じことはできない(果たしきれない)"

という話になり強く共感してしまいました。

きっとそんな言葉がでてくるのは、今しかないこの瞬間にかけることの繰り返しだから。

と書いたのですが

苦労が仮に必要だとしても、やっぱり適量ってあるのかなと思ってしまうわけです。"おかわりください"と毎回思えるとは限らないんですよね。

素敵だなぁとは思った上でだけれど、そういう姿を目の当たりにするとよけいに間違っても"苦労してよかったですね〜"とは思えなくて。




本気の遊びをグレードアップできる可能性

たぶん、長い年数生きていくとそれなりに色々な経験が流れついてきます。そこには大なり小なり大変なこともあるかもしれない。どうしようもないことが起きるかもしれない。

そういう時期もあるかもしれない。

でも必要ならば逃げたり休んだりしながらやりすごしたら、遊びのグレードを上げられる可能性も考えられるなぁと思うのです。

身近なところでいうと"実は若い頃音楽をやりたかったのですが…"と言われることも少なくないけれど、やれるなら今からでもやりましょうよといつも言います。

もちろんそういうことだけではなくて、たとえばおいしいふりかけを見つけ出す!とか板チョコアイスに出会えたら夜でも食べてよし!とか…

あれを頑張ったら魚卵を食す!とか…

結構夢中になれたりするものです。



もしもなんでも叶うなら何を成したい?

いろんな目指し方があるとして、2通りあると思います。

今ある材料で何を作るか

今作りたいものに何が必要か

私はいったん後者を確認してから前者を織り交ぜていく方法が好きです。

その結果"やっぱり好きじゃなかったかも""やっぱりこれは手に負えない"と思っても、それはそれでいいじゃないですか。

好きじゃないとわかってよかったし、悔いはないでしょうし。


目の前の"大人"が話すことは選択肢の一つ

聞いてくれる若い人、きっとたいていの大人が好きです。少なくとも私は好き。笑

でも、聞いたことは全て選択肢の一つとして聞いてもらえたらいいなぁと思うんです。もちろん今日私が書いたことも含めて。

今はこんなことを書いているけれど10年後何を思っているかは私にもわからないから…。笑

それに何が誰に合うかはその時点ではわからないのだから。自分の"好き"を大切にしてもらえたらすごく嬉しいです。

色々話をしてくださったみなさん、改めてありがとうございました♪

今後お話する予定のみなさん、楽しみにしております。


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