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ニ歩目は足踏み、三歩目は半分。久しぶりに自分を好きになった

こんにちはこんばんは。朝に読む方はおはようございます。
今回は二拠点山の中暮らしのスタートの、最初の二日のお話です。

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 四月、リフォームは無事に終わった。
 工事を見にいくのは楽しかったのに、完成を待ちながら必要なものを買い揃える期間は、不安のほうが大きかった。覚悟も理解もしていたつもりでも、ベッドだとか寝具だとか、テーブルだとかフライパンとか、必要なものは揃えなくてはならない。アウトレットや中古でなるべくお安くしても、ゼロ円とはいかないので、日々お金が減っていくのがしんどかった。
 リフォームは結局最小限にしたので最初の予定よりは額が減ったとはいえ、そのローンもある。少なくとも払い終わるまでは会社員でいなければならない、と思うのも苦痛だった。あんなに「いける、やれる」と思っていたのに。
 リフォームが終わった家にあれこれ搬入する日には、これまでせっせと貯蓄してきた財産はほぼ消えていた。四月はじめのめちゃくちゃに忙しい時期、週末に犬と友人と荷物を積み、搬入や作業をする各業者の立ち会いのために出かけながら、私はもしかして馬鹿なことをしてるんじゃないか、という気持ちになった。遅めの賢者タイムだった。

 到着後、ハッピーとはいえないテンションで、これだけは譲れず設置したドッグラン(フェンスで囲うので高かった)に犬を放し、友人に監督を任せて電気とか荷物とかの対応をした。冷蔵庫と洗濯機、どちらのときも配線かなにかのことで業者の人にあれこれ言われ、ものすごく気持ちがしぼんだ。家主が私一人なせいか、あんまりいい態度を取られていない気がして(もちろん、私の考えすぎかもしれない)うんざりした。
 その上、住所がナビで出ないので、どの業者も確認の電話がかかってきてからの到着になる。私も慣れていないから説明が難しい。なにしろ山の中だから、まともな目印がない。仕方ないので国道まで出て、「目印に私が立ってます」みたいにしないといけなかった。おかげで到着時間が遅れたり無駄な時間がかかったりして、想定以上に時間がオーバーした。
 友人には謝り倒して付き合ってもらい、待ちくたびれた犬たちとともに帰るころには薄暗く、夜道に慣れない私には運転だけでも負担に感じられた。
 帰りついて疲労困憊で布団に入り、こんなんでやっていけるだろうか、と思った。悶々として久しぶりに寝つきが悪く、憂鬱なりにどうにか「はじめたんだからやるしかない」と持ち直すまでに数日かかった。ブルーになっている場合ではない。月末には初めて、泊まりに行くのだ。


 そして連休直前の週末。まだ残るうす青い憂鬱も一緒に車に乗った。渋滞を避けて午後に出たが、あいにくの天気で、山の中は寒かった。
 寒いのは見越していたのでパネルヒーターを搬入していたのだけど、窓からも、リフォームしなかった玄関の扉からも冷気が入ってくる。外は雨で、湿っぽい。気が滅入った。
 マダムの家はこんなに寒くなかった気がする。というか、あのとき寒かったかどうかまったく覚えなかった。もう四月も下旬だというのにこの寒さ。聞いてないよ、と言いたかった。
 全然たちうちできてないパネルヒーターの前で厚着して暖を取りつつ、でも犬にはよかったなと思った。暑いのが苦手で寒いのは大好きな犬たちは、家の中だというのに寒いというのが快適らしく、泊まるのは初めての場所にもかかわらず、みんなリラックスしていた。
 そのうち日が暮れて、私は震えながらお湯を沸かし、買ってきたお惣菜をあたためようと電子レンジにいれてスタートボタンを押した。
 10秒としないうちにブレーカーが落ちた。
 なにが起きたかわからずにぽかんとしたが、パネルヒーターと電子レンジを同時に使うと、使用できるアンペアをオーバーするのだとわかった。ブレーカーは台所の壁の上、わかりやすいところにあるから復旧の手間はないが、暖房器具と電子レンジが同時に使えないことに愕然とした。
 ぼんやり、リフォーム工事前の会話を思い出す。
 古い配電盤で契約アンペア数も少ないみたいだが、どうせここは夏涼しい。エアコンはいらないから、問題ないんじゃないですか、みたいなことを言われたんだった。そういえば。
 あんまりよく考えてなかった私は、そうですね、いいです、と返事した。アンペア数上げると基本料金も高くなるし、と思って。
 でもまさかこんなに使えないとは。
 もう夜なので電力会社に電話もできない。諦めてバンガローに泊まるキャンプだと思うことにした。荷物も半分キャンプみたいなものだ。揃えてなかった洗面用具やら着替えやらを、アウトドアで使っている衣装ケースやバッグに詰めてきたのだから。
 震えながらヒーターをとめ、今度灯油ストーブ買おうと決心しつつお惣菜をあたためた。
 食後、しっかりお風呂であったまろうと浴室に向かう。浴室も、前の人がリフォームしたというのでそのまま使うことにした場所だ。ほんとにリフォームしたのかあやしい、深くて古めかしい浴槽を洗おうとして、全身硬直した。かろうじて声は出さなかったが、急いで回れ右して、私の必需品である殺虫スプレーを持って戻る。
 ゴキブリではない。八本足のあれだった。田舎生まれ田舎育ちなので昆虫のたぐいは平気なのだけど、どういうわけか小さい頃から、八本足だけが生理的に怖い。アウトドア活動のときは彼らの生活圏にこちらがお邪魔しているわけだから、恐ろしくても見ないふりでどうにかやり過ごすが、人間の暮らす家の中は、頼むから入ってこないでほしい。
 アレが苦手だと言うと平気な人はみんな「益虫だよ」と言うのだが、外で役に立ってくれれば充分なはず。蛾だろうと蚊だろうとほかの小さい飛ぶ虫だろうと、八本足に比べたら家族みたいに愛しい。食べてくれなくていい。
 なので東京の家でも八本足対応スプレーはかかしたことがないのだが、まさか初日にお風呂でなんて。
 泣きたい気分でご臨終いただき、わりと大きかったのでお湯で流した。古い浴槽の排水穴は網もないただの穴なので問題なく流されていったが、ついさっきまでアレのいた(そして流れていった穴がある)浴槽に浸かる気になれなかった。
 仕方ないのでシャワーで済ませることにした。幸い、古くても水量だけはあるシャワーは痛いほどで、熱々のお湯のおかげで身体はあたためることができた。
 やれやれと思いながらドライヤーを使い、またしてもブレーカーを落とし、復旧し、乾かし、湯冷めしないようにまた厚着してパネルヒーターの前に座る。
 テレビもないので私が座ると無音だった。連休前ということもあり、週末だけれど外の国道を通る車の音も間遠だ。犬たちは早々に寝ている。疲れていたが眠る気にはなれなくて、そのまま、ノートパソコンの電源を入れた。賞に応募する小説が書きかけだった。
 あんまり書く気分でもなかったものの、寝ている犬のそばで音楽をかけるのは躊躇われた。映画を観るのは億劫で、しばし無為にネットの海をさまよったあと、小説のフォルダをあけた。なにもなさすぎてやることがないので、とにかくなんでもいいから書こうと思った。
 〆切が二か月後に迫る応募原稿のかわりに、とくに発表のあてのない小説を選び、読み返してキーボードに手を乗せる。
 打ちはじめると、その音がいつもより部屋に響いた。好きな音だ。励まされてしばらく書いて、顔を上げると、部屋のあちこちで眠る犬が目に入った。熟睡している。一番センシティブな子が心配だったけど、おでかけのときにいつも使うマットを敷いたおかげか、問題なさそう。問題ないどころか、珍しいくらいのびのびしていた。もしかしたら彼女も、ここが自分の「家」だとわかるのかもしれない。
 犬が幸せそうなのが嬉しい。ここはきみたちのための家だよ、と穏やかな気持ちで寝姿を見つめる。
 そうしていると、急にブルーだった気持ちが晴れた。もう大丈夫だ、と思った。
 私、治ってる。
 根拠はないのにそう感じ、ひとりでにやけそうになって紅茶を淹れた。俄然小説が書きたかった。
 ゆっくり書き進めながら何回も「大丈夫」という感覚を噛みしめて、犬を起こしたくなくて毛布を下ろしてきて並べたクッションの上で寝ることにして、私はふと気づいた。
 もうずっと長いこと、私は私が嫌いだった。
 やり甲斐のある仕事ややりたくてやっている趣味のこと、どちらも頑張れない自分が情けなかったし、日に日にできないことが増える自分が許せなかった。病気だから仕方ないと諦めて受け入れてからも、負けたみたいで本当は悔しかった。こんな私になりたくなかった。復職しても中身がまったく戻れないことも、なのに生きていけることも、なにもかもいやだった。
 嫌いだったんだ、とようやく気づく。
 でももう大丈夫。家を買いリフォームもして、犬を連れてここにいる。勇ましく飛び出せた新しい生活への第一歩とは違い、二歩目(荷物搬入日)はなんだか後ろ向きだったし、三歩目(今日)は、あれこれ思っていたのと違っていて、最高の一日という気はしなかったけど、小説が書けて、犬もここを気に入ってくれた。
 明日、目が覚めたら近所を探検がてら散歩に行こう。思ってたのと違うところは、修正したり工夫したりすればいい。八本足は東京だっている。煩雑な諸々をこの一年近くこなしてきて、ちゃんと(ではないかもしれないが)やり遂げたんだから、これからだってきっと大丈夫。
 偉いよ、私。
 めちゃくちゃ偉い。

 四年ぶりくらいに、私は自分を許せて、好きになれていた。

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二拠点生活スタートまでの話はこれで終了です。
次回は、「二拠点生活のルーティンができるまで」をお届けします。

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