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麻雀プロの出産

【はじめに】
ちょうど一年ほど前、出産をした。
物心ついた頃から自分は安産型だと思い込んでいたが、実際は陣痛も長く、分娩室滞在時間も長く、陣痛促進剤を使っての吸引分娩となったので驚いた。
いや、もはやなぜ自分が安産型だと思っていたのか、過去の自分に一番驚いている。

安産型だと思い込んでいたとは言ったが、皆さんご存知の通り私はそこまで馬鹿でも夢見がちでもない。
痛いのは嫌だ。
昭和人間の母親を説得して、無痛分娩を予定していた。だって痛いの嫌だもーーん。

私が通っていた産院は、週末に麻酔科医が勤務していないとのことで、無痛分娩を希望する場合は絶対に平日に入院、そして計画出産しなければならなかった。

しかし私は入院予定だった日より前に、しかも週末に陣痛が来てしまい、
無痛分娩でなく普通分娩になったのだ
地獄。



二度と経験しないかもしれないので、覚書のためここに出産の記録を記す。子を産む予定のある人もない人も、気が向いたら読んでみてほしい。

出産はひとつの大きなドラマである。





【兆候 〜出産まであと4日】
2019年11月6日水曜

里帰り出産のため、予定日1ヶ月前から埼玉にある実家に帰省していた。

妊娠前より13キロ増えた身体を揺らしながら、いつものように妊婦検診へ。
子宮口がまだカッチコチです、と言われる。
そう言われましても、と思う。

たくさん散歩をするなどして体を動かすと子宮口は開きやすいと言われている。当時真っ最中だった最高位決定戦や雀王決定戦をラジオとして聞きながら毎日の様に1時間以上散歩していたのにも関わらず、
わたしの子宮口はシラフ時の新津代表の口の様に閉じまくっていた様だ。
産院へはいつも、最寄りからひと駅電車に乗って通っていたのだが、仕方がないのでこの日はえっちらおっちらと50分歩いて帰宅した。

この日の夜、今まで感じたことのない腹痛に見舞われる。しかも10分間隔である。
穴が開くほど読んだ産院から渡された入院の準備のしおりには、10分間隔で陣痛が来たら出産のサインと書いてあった。
しかしながら一方で毎晩毎晩読み漁ったあらゆるサイトからの情報によると、
「陣痛がきて産院に電話しても、大体『まだなので我慢してください』と言われる」
とか
「産院に直接行っても『まだ産まれないので帰ってください』と言われる」
などと記されていた。

その経験談を読んでいた私は、きっとこれはまだ陣痛ではなく前駆陣痛(※出産時に起きる本陣痛ではなく、その一段階前に起きる痛みの少ない陣痛)とかいうやつなのだろうと当たりをつけて、ただただ耐えていた。

しかしこれが、「ぐぁああああ」という声が漏れてしまうくらい痛い。
体をよじらせながらも
「我慢できる痛みは前駆陣痛!これは前駆陣痛!前駆陣痛!!」
というフレーズを脳内で繰り返し、耐え忍ぶ。
もしかしたら実はこれは陣痛なのに前駆陣痛と思い込んでしまっているだけで、このまま産まれてしまうのではないかと不安になってしまうくらい痛かった。
もし産まれそうになった場合は家中のタオルとありったけのお湯があればなんとかなるだろうとぼやけた頭で考えていたものだ。イメージは戦時中の出産だ。
お湯は蛇口をひねれば出てくる。
時代に感謝である。


わたしの母は看護師で産科も経験があるのだが、その母が
「産む時の痛みはそんなもんじゃないから。」
と冷たい言葉でわたしをいなしてくるものだから、痛みと悲しみで狂いそうになりながらろくに眠れないまま朝を迎えた。





【母娘 〜出産まであと3日】
2019年11月7日木曜

朝になると10分間隔の痛みはいつのまにか終わっていて、2時間ほどの睡眠をとることができた。痛みのない時間に出来るだけ食べられるものを食べた。
少しほっとしているとまたすぐ10分間隔の痛みに襲われ、ほぼ布団から出られない一日を過ごした。
5時間続く10分間隔の痛み、その後おさまって1時間程睡眠。
すぐにまた襲ってくる痛みの嵐…。


つらすぎる。はよ産まれてくれ。
ダラダラしてんじゃないよ。
なかなか産まれてこないくせに思わせぶりなことをしてくる我が子に苛立ちさえおぼえていた。
あまりの痛みで生気が無くなってきている私を見てか、この日は母が添い寝をしてくれ、夜通し腰をさすってくれた。
母と並んで寝たのはいつぶりかわからないし、本当に助かったし感激したが、痛すぎてその感謝をつたえるエネルギーも残っていなかった。

たしか朝「ありがとう」って言ったけど。
残ってたわエネルギー。




【夫婦 〜出産まであと2日】
2019年11月8日金曜

前述のように里帰り出産のため実家に帰っていた私だが、
毎週末は夫が実家に泊まりにきてくれていた。精神的に安定していられたのは夫がこの週一の訪問を続けてくれていたからだと思う。

この日も変わらず朝から痛みと戦う一日だった。
仕事終わりにこちらに向かう予定の夫には、前駆陣痛がもう2日も続いていることは伝えていて、
「来てくれても相手できないかもしれないけど、わたしはただ痛がってるだけだと思うけど来てくれ」
とお願いした。
その晩、夫はわたしの隣でずっと腰をさすってくれていた。

…と思ったらわりとすぐ寝やがった。

まあしょうがない。寝やがれ。




【道程 〜出産まであと1日】
2019年11月9日土曜

この日の夕方は入院前最後の検診の予定だった。
入院予定日は11月12日。

出産に向け、子宮口が柔らかくなっているか、開きそうかどうかをみてもらう手筈であった。
この日もここ3日と同じ様に前駆陣痛が続いていたが、少し痛みが和らいだ午前10時頃トイレに行くと、出血しているのがわかった。

これがおしるしというものか!!!!!!

わたしの直感が「産まれる…!」と叫んでいる。

これまでも少しばかりの出血はあったのだが、この日の出血は今までより量が多く、しっかりと、ハッキリと「血」であった。
直感を信じ、動けるうちにとすぐシャワーを浴びた。
その後産院に電話をすると、入院準備をしてすぐ来るように言われた。
夫に車を運転してもらい、産院に向かったのだが車中でまた痛みに襲われた。腹が痛すぎてシートベルトが出来ない。この日わたしはシートベルト無しで公道を走った。
国よ許してくれ。


産院に着いた。
土曜日だったこともあり、駐車場が満車。
私は先に降りて、夫は車を停めに行った。足腰がイッてしまったおばあちゃんの様なテンポで受付に進み、「陣痛とおしるしが来て、電話ですぐ来るように言われました…」とおばあちゃんの様に伝えるとすぐに診察室へ通された。

先生から聞かされる「3センチ開いてます」の言葉。
なんでカッチコチだったのに急に開くんだよ…
ていうか今日は土曜日だから自然分娩じゃねぇか!!!!!
という考えもよぎったが、

それより何より
ほんとに産まれるんだ…
という喜びとも驚きとも表現し得ない不思議な感情で一杯になった。
どうしようもないので普通分娩になったことに関しては諦めて覚悟するしかなかった。

診察を終えるとすぐに、入院をする個室に案内されることになった。案内してくださった看護師さんが私の入院グッズを全て持って付き添ってくれている。痛みで少し歩いては立ち止まり、また歩いては立ち止まり…を繰り返していると、車を停め終えた夫がわたしをみつけて走り寄ってきた。
そしてわたしの少し後ろに付いて歩き出したのだが、何より私が思ったのは「お前荷物持てよ」だった。
しかし痛すぎてそれを伝えることすら出来ない。
持てよ…なに人様に持たせてんだよ…と思いながら一生懸命右足を前に出し、左足を前に出す。

すると夫に気付いた看護師さんが、無言で荷物を夫に渡した。
何より私が思ったのは「何渡されてんだよ…自分から『すみません持ちます、ありがとうございます』って言えよ」だった。
この日の記憶は途切れ途切れだったりもするのだが、このどーでもいい出来事を忘れることが出来ない。

いつか大喧嘩をしたら引き合いに出そうと思う。


個室の部屋は綺麗だった。
本当に良い産院にしたと思う。
入院用の荷物を部屋に置くと、看護師さんに「この部屋でもう少し子宮口が広がるまで待つこともできますが、分娩室に行っちゃうこともできます。どうしますか?」と聞かれた。
即答で
「分娩室に行きたいです」と答えた。
これ以上痛くなってから、階の違う部屋に移動するなんて信じられない。人間の所業じゃない。わたしの中の危険察知能力がそう答えさせたのだ。
古き良き時代のテーブルクロスの様な柄の分娩着に着替え、夫と共に分娩室へ移動した。
11月9日、昼の12時の事であった。




分娩台によじ登る。
少しワクワクする。
10ヶ月お腹の中で過ごしてきた自分たちの子どもにようやく会えるのだ。
痛いけど、想定外に痛いけど、それよりやっぱりワクワクする。17時か18時頃には産まれそうだという話も聞けた。
本来の予定日は11月10日。(子宮口が硬かった為、予定日よりおくれて入院予定だった。)
今日は11月9日でなんやかんやほぼ予定日通り。今は痛みも少し和らいでいる。あと6時間、頑張ろう。

しばらくすると助産師さんが昼食を持ってきてくれた。
産まれてこのかた入院というものを経験したことのない私は、当然ながら病院食というものも食したことが無い。
はじめての病院食にも心が躍った。

画像をご覧いただきたい。
ニンニクの効きまくったからあげ定食だった。
病院食は、味が薄くヘルシーなものだと思っていたのでショックだった。
わんこそばを101杯食べた記録を持つ、麻雀界のフードファイター浅見もこの時ばかりは痛みで半分も食べられなかった。
息子と初対面するにあたって、ニンニクくさっ!!っと思われるのが嫌という乙女心も働いていたような気がする。

ベッドの上で食事を終えると、陣痛間隔を調べるための装置を体に付けられた。採血の結果、白血球の値がとんでもなく高かったようで、この後の展開次第で帝王切開になるかもしれないという説明を受けた。

通常白血球数は成人女性で3000〜7800だと言われるらしいが私の数値を見た助産師さんが
「え?!にまん?!」
と聞こえる音量で叫んだのが忘れられない。
どうも。にまんです。

もともと無痛分娩を希望していたのに、それが自然分娩になり、それが帝王切開になるかもしれないなんて…想定とは違いすぎて絶望してしまった。

その絶望をごまかすためにも、夫のiPhoneで雀王決定戦を見ることにした。
そう、この日は日本プロ麻雀協会の最高峰タイトルである第18期雀王が決まる戦いの最終日だったのだ。

陣痛に耐え、子宮口がより広がるまでただただ待ちながら決定戦を夫と見ていた。
たまに助産師さんが陣痛間隔を示すグラフをチェックしに分娩室に来ていたのだが、
麻雀みながら出産する人ははじめて見ました」と言っていた。
誇らしかった。
よく見てはいないが助産師さんも多分称賛の眼差しを向けていたと思う。


ただ、痛くない8分→痛い2分→痛くない8分→痛い2分…と繰り返しているため、局面は全く追えないことが判明した。気付いたらテンパイしていたり、気付いたら点棒がいきなり減っていたりする。
決定戦観戦は出産時には向いていない。
皆さんにも覚えておいて欲しい。


雀王決定戦最終日は、堀慎吾プロが大きなリードを持っていて、矢島亨プロ・金太賢プロ・渋川難波プロが大逆転の機会を虎視眈々と狙うという構図になっていた。

「はぁ、はぁ…痛い…なんでほりしんごはまたこんなに点棒持ってんの…」
「さっき2000/4000ツモったよ」
「くそッ…決まっちゃうじゃん…」

決して堀慎吾を応援していない訳ではない。
どちらかというとむしろ好きだ。
ただ接戦を見たいというだけだった。
それだけで堀慎吾のラスを願ってしまった。
ギャラリーとしての無責任さと、陣痛による思いやりのなさでこんな見方しかできなかった。
堀さんごめん。


陣痛の波が来た時は、痛みをごまかすために夫に尻の骨を押してもらった。夫は助産師さんからのレクチャーを受けて、10分に1度、2、3分の間私のケツに昇竜拳をかますというぶっ続けチャレンジをさせられていた。
30代男性が全力でケツの骨を潰しにかかっているのに、それが「弱いッ!!!」と感じる程に陣痛は痛かった。

雀王決定戦で煮詰まった局面がやってくると、昇竜拳が甘く入る時があり、
その時は見る者を魅了する麻雀を打つ四人を恨みながら夫の手をはたいていた。


◆16時頃。
もう、まともに麻雀すら見れなくなってきている。「痛くない8分」だった時間は、「けっこう痛くて苦しい7分」になっていた。
子宮口は5センチまで開いたらしい。4時間かけて2センチ。このていたらく。何をしてるんだワイの子宮は。


◆17時。
どうやらシフトが17時交代の産院だった様で、新しい助産師さんがやってきた。
痛みはひどいのに、周りから『産まれるオーラ』が漂ってこない(助産師さんや産科医さんがバタバタしてこない)ので、新しい助産師さんに思い切って聞いてみる。
「17時か18時くらいに産まれると思うって…き、聞いたんですけど…!」
「あはは、ちょっとそれは厳しいですね」

プププっ、おもろいこと言いますね!
そんな雰囲気の笑い声で返答が来た。
なんか知らんけど恥ずかしくなった。

「といいますと何時ごろでしょうか…」
うーん、今日中に出てくるか来ないか…ってくらいですかねえ


今日中?!
24時かどうかくらい?!
17時とかゆってたのに?!
だまされた!!!!
だまされました!!!!
わたし詐欺に会いました!!!
産まれる産まれる詐欺です!!!!
あの人詐欺です!!!!!!


そう思った。
本当に心からだまされた!!と思った。


あと1時間くらい…と思っていた苦痛が、あと6時間以上あるとわかった瞬間に、出産に対するモチベーションがだだ下がりした様に思う。
今までは苦痛より、こどもに会える楽しみというものが勝っていた為なんとか耐える事が出来たが、この詐欺事件で苦痛の方が増してしまったのだ。

更になかなか陣痛が進んでいないとのことで、
陣痛促進剤を点滴された。
正確にいうといつから点滴されていたかは覚えていない。が、時間が進むにつれ、どんどん点滴する量をふやされたのは覚えている。
なかなか体が産もうとしなかったのだ。

水曜日から続いた前駆陣痛で体力が尋常じゃなく奪われていたこと、そしてモチベーションが下がってしまったことが原因だったのではないかと思う。
あともしかしたら20000あった白血球がなんかしたのかも。にまん。


ぐるぐる色んな思いも巡るが、いちいち深く考えていられない。すぐに痛みの波はやってくる。
そんな時に夫が大きな声で私にエールを送ってくれた。

やじーが四暗刻つもったよ!

さあ、こんな時。みなさんならどう答えますか。

「今それどころじゃねーんだよ!!」
「うるせー!痛いんだよ!!」
「だからなんだよ!」
「こっちはこんなに痛いのにいつまで麻雀見てんだよ!!」

妊婦の返答として考えられるものは色々ありますよね。


私の返答は、
いま何場?!もう南入してるの?!
だった。

役満をツモるなら、できるだけ残り局数の少ない南場が良いものだ。東場でツモってしまうと、逆転されるチャンスが多いからである。
矢島プロは、堀プロを追いかける立場であって、もう絶対に大きなトップが必要な場面になっていた。
であるから、この四暗刻はぜひ南場でツモっていて欲しい。それならば矢島プロはかなりの確率でトップを取ることができ、接戦が期待できる。

ただその頃、陣痛促進剤を打ったことにより、わたしの陣痛はとんでもない痛みになっていた。
夫からの返事がどう返ってきたか覚えていない。
きっと夫は「南入してるよ!」とかなんとかいいながらわたしのケツに昇竜拳をお見舞いしていたのだと思う。

こんな切羽詰まった時ですら、役満をツモったときの局進行が気になってしまうなんて私も麻雀プロとして捨てたもんじゃないな…と意識朦朧ながら感じたものだ。


子宮口は7センチになっていた。

すでにわたしは決定戦を見る余裕もなくなっており、ただ分娩台の手すりの様なものを握りしめながら
「ぐぅッ…く、来る…!」
くらいの発言しかできなくなっていた。
このわたしの合図で夫が昇竜拳をかます。
この繰り返しを数時間行った。

真実は定かではないが、陣痛促進剤というものを打つと、本来の陣痛よりも痛みが倍増するらしい。
わたしは当初投与されていた促進剤では効果が得られず、どんどん量を増やして投与されていたため、
前述した内容が確かなのであればかなりの痛みを伴っていたはずである。

◆21時、22時頃。
痛みの感覚がどんどん短くっていく中、時計を見てはひとつの目安となっていた24時までの時間を確かめていた。
この日の晩は、たしか世界卓球の日本女子の準決勝の試合が地上波で流れていて、分娩室に備え付けのTVでもこの試合を流していた。
分娩台に寝そべりながらもTVを見ることは可能である。準々決勝まではわたしも家で試合を見ていたので、準決勝が気になるところではあったがもちろんそれどころではなかった。
TVモニターは分娩室の上部に設置されており、その下にちょうど私の今までの経緯がわかる陣痛グラフやデータが表示されるパソコンがあった。
この時間帯は頻繁に担当医師の先生がこのパソコンをチェックしにきてくれていた。しかし私の目線からは先生が卓球の試合を見に来ているように見えてしまっていた。
わたしがこんなに苦しんでいるのに担当医師がピンポン球の行方を気にしているとは何事か。
私より佳純が大事なのか。
錯乱していた私はそんな思考にすらなっていた。

物事をまともに考えられるような余裕は既にない。もしこの時間に矢島プロが四暗刻をツモっていたら、夫に「だからなんだよ!!!」と言ってしまっていた可能性がある。
ギリギリの時間にあがってくれてありがとうやじー。


◆23時半。
下腹部近辺でパツンッと何かが破けるような音がした。破水である。
破水というのは子宮内で赤ちゃんを包んでいた羊水が流出することを言い、つまり間もなく出産が始まるサインとも言える。助産師さんに破水が来たようだと告げた。
バタバタと人が増えてきた。『産まれるオーラ』だ。先ほどまでは姿を消すこともあった医師の先生も常にそばにいる。どうやら帝王切開にはならずに済みそうだ。

ここからは記憶があまりない。
「次の陣痛がきたらいきんでいいよ!」と助産師さんからついに許可が下りた。
ここ何時間も、痛みが来たときに息を吐き続けないといけないという拷問を続けていたわたしにとって、
陣痛時に踏ん張れることが嬉しかった。想像してみて欲しい。腹を格闘家に全力で殴られた瞬間、人はつい腹に力を入れたくなるものだ。それが許されない状況というのは思っている100倍苦しいものだ。


夫はわたしの頭側から見守っていてくれている。正直いるかいないかわからない。

「赤ちゃん頭でてきたよ!もう少し!」

助産師さん達が大声で教えてくれる。
わたしはたぶん「あ゛あ゛あ゛あ゛」しか言えてなかったはずだ。

「赤ちゃん引っ張るから吸引器つかいますね」

もう世界卓球を見ていないであろう先生の声が聞こえた。赤ちゃんが自力で出てくることができず、頭に吸引器をつけて引っ張る処置をするようだ。
吸引器を見せられた。もっとトイレの詰まりを直すゴム製のアレみたいな形状をしていると思っていたが、意外と機械チックでかっこよかった気がする。


数人の叫び声が聞こえる。でも何を言っているのかはわからない。
もう産めない。息子よごめん。かーちゃんは弱い人間だ。これからは夫婦2人だけで手を取り合って生きていこう…
そう思った瞬間、頭の上から夫の声がした。

真紀!力抜いて!!

どうやら助産師さん達は皆わたしに力を抜く様に指示していたらしいのだが、パニックになっていたわたしはそのままいきみ続けていた様だ。それをみかねた夫が、助産師さんに倣い、大声で力を抜く様伝えてくれた。

なぜか夫の声だけがわたしの耳に届いた。

オッケー、力抜きます!

するするするっと大きなものが産道を通るのがわかった。息子はすぐに産声をあげ、綺麗に洗われ、わたしの胸元に置かれた。

日付が変わって11月10日、0時30分の出来事だった。
分娩室に入って実に12時間、気の遠くなるような時間であった。




【終わりに 〜誕生】
2019年11月10日日曜日

何より驚いたのは、産まれた瞬間痛みが全くなくなったことだ。あんなに激痛だったのに、余韻のよの字もない。それと共に自分のこどもの可愛さにも驚いた。
産まれたての赤ちゃんは猿のようで、丸みもなく、可愛さはあんまりないと思っていたが、十分に十二分に可愛かった。




赤ちゃんは新生児室に運ばれて行き、夫も私の実家に帰っていった。
私は産後2時間は安静にしなくてはならないとのことで、分娩室でベッドに寝たまま過ごした。
その間、隣の分娩室に妊婦が運ばれてきた。苦しそうな声と助産師さんの声援も聞こえる。

ああ、これからわたしと同じような経験をするんだな、さぞ辛かろう。辛かろう。頑張るのだよ。

そう思っていた1時間後にはお隣さんの赤ちゃんが産声をあげた。

クソほど安産な人もいるものだと思った。



夜中の3時になると個室への移動が許された。
とても1人で歩ける状態ではないので、車椅子で部屋に戻る。ここ数日ろくに寝ていないのに、ハイになってなかなか寝付けない。


Twitterを見るといつのまにか雀王も決まっていた。大逆転は起きておらず、優勝は堀慎吾プロだった。矢島プロは四暗刻をツモったものの優勝には手が届かなかった様だ。
それでもひとりの妊婦を勇気づけてくれたのだからありがたい。そして今期にあたる19期、矢島亨プロが雀王に輝いた。おめでとう!そしてその節はありがとう。





これがわたしの経験した出産のほぼ全てである。


「出産は奇跡」とは良く言うが、わたしの出産が奇跡だったかどうかはよくわからない。
ただ家族3人いまも元気に暮らしているのだからきっとこれは奇跡なのだろう。


このとき3170gだった息子は、
無事に一歳になり、11キロの元気な赤ちゃんとなって毎日立ちあがろうとしては転んで母を求めて泣いている。


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