「行々子」薄田泣菫

 二三日梅雨の雨がびしょびしょと降りしきつたので、池の水嵩みずかさはいつもよりずつと殖えて來て、そこらにぎつしりと生えつまつた葦の下葉は、ささ濁りのした水のなかにひたひたと漬つてゐる。
 葦のなかからは、のべたらに葦切よしきりの騒々しい鳴聲が聞えて來る。
 爽やかな七月初めの風が、池の頭を掠めてさつと吹きつけると、そこらの葦の葉は一やうにうねうねと波を打つて靡き伏し、搖れ返し、その度にさらさらと葉擦れの音が高く低く鳴りさわめくが、その揺れとさわめきとにつれて、あつちからもこつちからも、呼び立てるやうに高聲を張上げる葦切の氣違ひじみた、あの騒ぎはどうだ。──がやがやと我鳴り立てるもの、ベちゃくちゃと喋り續けるもの、げらげらと笑ひ囃すもの、ぷりぷりと怒り通すものばかりで、誰ひとり静かに相手の言ふことに聞き入らうとするものはないらしい。
 この鳥は冬になると、海を越えて南へ南へと遠く濠洲のあたりまでも移つて行くさうだ。道中が長いので、見たり聞いたりした話の持合せもどつさり有ることだ。それだけに持病のお喋りが過ぎると、ついとんでもない思ひ違ひをして、たつた今自分でなくした大事な卵をも、 その濠洲行きの途中、 支那海で見た大掛りの海賊船のせゐにしてしまつて、
「海賊だ。 海賊だ。卵を盗んだのは、あの海賊船だよ。」
と火がついたやうに騒ぎ立てないものだと誰が言へよう。又尾先の白つぽい大葦切おおよしきりの一羽が、懐月堂の遊女繪ゆうじよえのやうにいつも派手好みな贅澤な着附で、氣取り氣味にぐつと胸を反らしてゐた鴛鴦が、夏になって地味な毛色に着替へしたのを目にして、大變な事でも發見したやうに、
「不景氣だ。不景氣だ。こいつもてつきり不景氣のせゐだな。」
と大聲に觸れ廻ると、 嘴の煤けた小葦切こよしきりの一羽が、片脚を折り曲げて、そこらにしょんぼりと突つ立つてゐる白鷺を見て、それが腹いつぱい小魚を食べ過ぎて、胃を惡くしてゐるのだとは氣がつかないで、
「なに、不景氣だって。さういへば、ここにも一人失業者がゐるよ。」
早合點はやのみこみに調子を合せたり、いがみ合つたり、めいめい勝手に何の節制もなくがやがやとお喋りを續けてゐるので、もともとひつそりしてゐるべき筈の葦原が、 この鳥のために現に今あるやうに、場末の盛り場めいた騒々しさに支配せられてゐるのだ。
 どこでも葦切のゐるところには、かうしたでたらめと騒々しさと、それから一種の滑稽味とが附き纏つてゆくのは、全くこの鳥が人並はづれた饒舌家なのによるもので、この饒舌こそは葦切にとつては今更どうすることも出來ない天性うまれつきなのだ。 白鷺はそのしなやかな簔毛が、 婦人の装飾になくては叶はないものとせられてゐるために、またオリイヴ茶の背をした鷭は、その肉の味のうまさのために、人間に附け狙はれる慣はしだが、ひとり葦切のみはその中にゐて、無事に、自由に、そこらを飛び廻りながら、自分の生存を樂しむことが出來るのは、自然のどんなものをでも自分のために利用することを知つてゐる人間も、この鳥の小うるさい噓とでたらめとに充ちた饒舌だけは、とても辛抱しきれないからによるものなのだ。
 葦切と同じやうに、葦原の水の中に自分の生活を營んでゐるものに、むぐつちよと川蟬とがある。むぐつちよは逃げ廻る小魚を追ひかけて、絶えずひよつくりひよつくりと水のなかに潜り込むが、獲物を咥へてまた水の上に浮き上つてくる時には、その度に生まれ變つたやうに、ばつちりした眼をあけて、新しく自分の周圍を見廻すのを忘れない。 彼は木の下を自分の生活の稼ぎの場所としてゐるやうに、また水の上を靜觀の空庭としてゐるのだ。 川蟬はまたそこらの水腐れのしたくひにとまって、いつぱしの思想家のやうに憂鬱な默思に耽つてゐるが、 一旦水の面近くに魚の透影を見つけると、ぱっと一直線に飛び下りざま、長い嘴でぱくりと咥へる時の敏捷すはしこさ。彼にとつてその杙こそは、默想の庵室であると共に、 また實行の道場でもあるのだ。
この二つの鳥は、どちらも自分の獲ようとするものに突き進む前に、沈黙を保つてゐなければならぬのは同じ事で、彼らは敏感な水の中の小魚どもに自分の襲撃を氣取られないためには、かうした環境にふさはしい沈默の一點景として自分適應させる習性と節制とがなければならぬことを知つてゐる。
 饒舌好きな葦切は、そんな意味での沈默といふものを知らう筈がない。彼にしても偶には押し默らぬこともないが、それは喋り續けた後に來る軽い疲勞のせゐで、 彼はそんなをりの沈默をさへとても長くは辛抱しきれないらしく、暫くするとまたのべたらに喋り出すのだ。さも目の前に大事件が持上つて來たかのやうに。そしてそれを知つてゐるのは自分一人ででもあるかのやうに。
 ただ不思議なのは、つまらぬ世間話の繰返しや、でたらめなどを捏ね上げて、それを早口に口やかましく吹聽するだけのものだと知つてはゐても、暫く葦切の饒舌を聞いてゐると、何かしら一種の不安を胸に感じることだ。その不安は、風に感じやすいそこらの葦の葉の動き、揺れ返し、葉ずれの昔、 ──さういつたやうな騒然たるそよめきを伴なふ場合、一層その度を高める。こんななかに巣を營み、卵を産み落す葦切は、その周圍の不安と動揺をすら自分の楽しみとすることが出來るらしい。

 葦切はまだお喋りを續けてゐる。私は試しに小石の一つを拾つて、それを葦の繁みに投げ込んでみた。すると、 ばつたりと止んで、仲間のなかで一番の慌て者らしいのが一羽飛び出して來て、程近い葦の葉にとまつて、きょろきょろとあたりを見廻してゐた。 薄茶色の羽根をした、見すぼらしい、いが栗頭の小僧で、口数の多い嘴は漆のやうに黒く光つてゐた。


読書に朗読に、ご自由にお使いください。
出来るだけ旧字旧かなのまま、誤字脱字の無いよう心掛けましたが至らない部分もあるかと思います。ごく個人の文字起こしの為、何卒ご容赦下さい。

底本: 「樹下石上」創元社 昭和十八年十一月三十日発行

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