「五月の日光と陰影の戯れ」薄田泣菫


 雨がやんで、五月の空が晴やかに笑ひ出した。
 新鮮な藍色の空。あの寶玉に譬へられる名器、砧形きぬたがたの青磁の肌を思はせるやうな淡藍うすあゐの空の潤ひ。その潤ひは私の心を動かして、素足のあしのうらに靑草の柔かい感觸を樂しませるべく、靜かな郊外へと引張り出さうとするが、とかく病氣がちで、この二三年が程は一歩も門を外へ踏み出した事のない私は、どうにもその誘惑に應じかねてゐるので、私はせう事なしに「空想」の翼に乗つて、ほんの暫くの間でも、行き當りばつたりに晩春の外光を心ゆくまで樂しみたい。

 私はまづ大川の水のほとりにしやがみ込んで、靜かに釣の糸でも流してみたいものだと思つてゐる。私の釣り上げようとする魚は、鮒でもなく、鯉でもなく、鮠でもないが、さうかといつて造作もなく釣れるものならば、それが鮒であつても、鯉であつても、鮠であつても、アイヌ人のやうな毛むくじやらな川蟹であつても、また川一番ののろまなどんこであつても差支へない。ただ願ふのはあまり魚の釣れないことだけだ。
 むかし、傅大士は魚をあさることが何よりも好きで、よく網を手にしては大川のほとりに出掛けて行つたものだつた。或る日のこと、魚がしこたま捕れると、彼は魚籠びくをそのままずぶりと水に押し沈めた。
「さあ、さあ。逃げたいものは逃げろ。殘りたいものは殘れ。おまへ達の心まかせぢゃ。」
 水にかへされた小魚は、喜ばしさうに鰓を動かし、鰭を振つて、われがちに籠から外へ逃げ出してしまつたといふことだ。
 後年、彼が梁の武帝に招かれて、御前に金剛經を講ずるとき、高座に上り何一つものを言はないで、いきなりどしんと拳でもつて案を叩き下し、そのまま下座して武帝の度膽を抜いた禪機も、これで察しると、夙くからその片鱗を見せてゐたやうに思はれるが、その當時、そこに居合せた同じ漁獵仲間の若人達は、それを見ると、
「折角捕つたものをむざむざ逃してしまふなんて、よつぽど馬鹿だなあ。」
と、口々に嘲り笑つたものだそうだ。
 私は傅大士の眞似をして、魚籠の蓋を開けつ放しのままで、水漬にしようとは思はないが、さうかといつて、魚があまり捕れ過ぎると、それに執着が出來て厭だし、また魚のかかるにまかせて、竿の上げ下しをする氣ぜはしさにも堪へられない。私が釣をするのは、大きな水の流れに細い一筋の糸を垂れ、深い水底の動きと氣配とをそれに感ずる、その微妙な觸感と悠々たる氣持とを樂しむので、實をいへば魚など一尾も釣れなくともいいくらゐのものだ。
 まことに釣の糸こそは不思議な存在だ。死そのもののやうな靑淵の深みから、小さな欲望と呼吸とを傳へるのはこの糸で、その敏感性はまた水の冷氣と不氣味な誘惑と、重苦しい神祕とをもたらして、私達をしてどうかすると肝腎の釣そのものをすら忘れしめようとする。


 畫家釧雲泉も大の釣好きで、一日繪をかくと、後の一月は漁をして送るといふほどの男だつた。彼はよく旅に出たが、そんな折には、何をさしおいても、二つの笈に繪の道具と釣の器具を振分に収めるのを忘れなかつた。
 或る時、 越路に旅して某といふ豪家に逗留したことがあつた。程近い村境に大きな河が流れてゐるのを見つけた雲泉は、早速一つの笈から釣の器具を取出した。そして毎日のやうに河つ緣に魚釣に出掛けて行つた。
 宿の主人は、客のそんな仕業を見て、苦々しいことに思つた。
「先生。あなたを家にお泊めいたすのは、實を申しますと、繪を描いていただきたいからのことでございます。それだのに先生は一向繪筆を執らうとなさらないで、魚釣にばつかり凝つておいでのやうだが………」
 彼はあけすけに自分の不平をぶちまけて言つた。すると、雲泉は早速、釣の器具を笈にしまひ込んだかと思ふと、そこそこに宿を引拂つて、また旅に立つたさうだ。
 雲泉が某家に逗留してゐた頃、彼は夕方持重りのする魚籠を提げて歸つて来來ると、その日の獲物を一つびとつ好きなやうに自分で料理しないではおかなかつた。
「先生。そんなことまでも御自分でなさらなくたつて、燒くなり、煮るなり、おつしやつて下さつたら、手前どもが致しますものを。」
 それを見かねた料理番の男が口を出すと、雲泉は默つて首を横に振つた。潔癖な彼は、他人の手で料理せられたものは、穢いからといつて、長年の間口にしたこともなかつたのだ。
 雲泉のやうに、他人の手にかけたものは穢いからといふのではなからうが、釣師氣質の多くは、自分が釣つた魚は、自分の手で料理しなければ氣が濟まないものらしい。だが、今の私のやうに、魚をただ空想で樂しんでゐるものには、生きてぴちぴちする魚をいぢつて、掌をなまぐさくする機會などはありやうがない。


 何物か、紫紺色の影が河の面に落ちて、ばさりと水煙を立てたかと思ふと、勢よくひらりと撥ね反しざま、水とすれすれに身を沈めて、程近い土手下の柳の繁みに姿を隠してしまつた。
紛ふやうもない、川蟬が魚を捕つたのだ。むかしの人が、
 翆羽高枝に立ち
 危巢落暉に對す
 碧潭千萬丈
 直下魚を取り歸る
と歌つたやうに、川蟬の家といふのは、文字通りに「危巢」で、この含羞家はにかみやの鳥は水に沿うた斷崖きりぎしの、容易に他の眼にかからない邊に孔をもとめ、その奥底深く巢を設けてゐる。もしかさうした斷崖にちよつとした孔を見つけるやうなことがあつたら、先づ鼻先をそこらの土塊に押つ着けてみることだ。土塊になまぐさい魚の臭みがしみてゐたら、それは確かに川蟬の巢に相違ないのだ。
 川蟬は閑があると、この巢の入口か、または見通しの利くそこらの樹の枝にとまつて、じつと水の面を見守つてゐるのだ。そして氣輕な小魚どもが、つい調子に乗り過ぎて、水の上にとんぼ返りでもしようものなら、川蟬の銳い眼は決してそれを見逃すやうなことはしなかつた。
 濠洲に笑ひ川輝といふ不思議な鳥がゐることは夙くから聞いてゐた。この鳥は人間を見てもちつとも恐れないで、胡散さうにのこのこと近寄つて來て、身元調べでもするやうにためつすがめつ見廻してゐるが、しまひにはその人間が碌でなしのならず者ででもあつたかのやうに、だしぬけに、
「は、は、は、は……」
と、聲を立てて笑ひ出すので、それを聞く人は誰だつて魂消ないわけにはゆかないさうだ。
 石川千代松博士の言ふところによると、博士は先年シドネーの動物園から一つがひの笑ひ川蟬を持つて歸つて、上野の動物園でそれを飼つてゐたことがあるさうだ。ただ不思議でならないのは、日本へ來てからは、笑ひ好きなこの鳥があまり笑はないで、始終生眞面目でゐることだつた。もし私のやうに餌を盗まれてゐるのをも氣づかないで、いつまでも裸の釣針を水に下してゐるのほほんの釣師の姿でも見せたなら、この鳥も久しぶりに笑ひを取返して、
「は、は、は、は……」
と、陽氣に噴き出したかも知れなかつたのだ。



読書に朗読に、ご自由にお使いください。
出来るだけ旧字旧かなのまま、誤字脱字の無いよう心掛けましたが至らない部分もあるかと思います。ごく個人の文字起こしの為、何卒ご容赦下さい。

底本: 「樹下石上」創元社 昭和十八年十一月三十日発行

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