「ものの音、ものの聲」薄田泣菫

 ものの音。ものの聲。──といつたやうな題目で何か書くことになつた。できることなら默思と點頭と微笑との世界に安住したく思つてゐる今の私にとつて、これはまた何といふ因縁であらう。
 ものの音。──といへば、私には直ぐと「きひよん」の侘しい音が思ひ出される。 よく山裾の木立や、家々の植込などに蚊母樹いすのきを見かけることがある。夏になると、この木の葉の上に泡の粒々が出來、なかには日が經つと梅の實ほどの大きさにまで、むつくりと膨れあがるのがある。蚜虫ありまきの巢で、その幼虫が内部からそれを食い破つて、外へ飛び出す頃には、その巢の外殻は褐色に染まり、漆のやうに硬くなつてゐる。「きひよん」と呼ばれてゐるのはこれで、その小さな孔に唇を當てて息を吹込むと、それが秋の前觸ででもあるかのやうに悲しさうに顫へては鳴り、顫へては鳴りする。
「きひよん」の音は、私をしてまた雀の壺を思ひ出さしめずにはおかない。 雀の壺は刺虫いらむしの小さな卵形の巢で、梅や柿などの小枝の股に今は脫殻ぬけがらになつてゐるのがざらに見出される。この小さな巢を樹からもぎとり、虫の出口の孔を吹くと、單調な音を立てて高く低く鳴り出さうといふものだ。

 秋風が吹きはじめると、 すべての草木はそれに觸れて、鳴つたり唱つたりする。その昔にじつと耳を澄ましてゐると、騒がしいにつけ、こまやかなのにつけ、また高いにつけ、低いにつけ、それぞれの草木の持つ性格の陰影までもが、ほのかながらも聞き味ははれるやうな氣持がする。 むかし、陶弘景は隱遯の山住居に松を植ゑて、 風に鳴るその葉音を樂しんで餘生を送つたといふことだ。また臨濟和尚は、若くして師黄檗の會下ゑがにゐた時、鍬をとつて山門のかたはらに松を栽ゑたことがあつた。 黄檗が通りがかりにそれを見て、
「お前、こんな山の中へさうさう松を植ゑて、一體どうしようといふのぢゃ。」
と間ふと、臨濟は言下に、
「はい。一つには寺のために風到を添へ、また二つには後の世の人たちのために手本を殘しておきたいと存じまして......」
と答へて、ひどく師に褒められたものださうだ。そんな返辭がなぜまた黄檗の氣に入つたのか知らないが、詮ずるところ、 臨濟はその松の葉音の微妙さを自分も樂しみ、また後の世の會心の人達にも聞かせようとしたものらしい。
 松の葉の風に鳴る音には、深みもあり、 かすけさもあり、また大きさもあつて、さながら古代の金剛力士のやうに、力足をしかと大地に踏みかため、骨太の腕を高くぐつと差上げて、大空と摑み合ひ揉み合つてゐるこの木の悲劇的性格が、 そのたたずまひに見られると同じ様に、またその音にも聞き得られる。
 同じ風のおとづれでも、庭先の二三本の松にそれを聽く時には、いかにも幽玄そのものに接するやうな深みとかすけさとがあるが、幾百幾千となく赤膚あかはだ黒肌の幹が立ちならんでゐる松山でそれを耳にする時には、數多い木々の木精こだまらが、呼吸を合せて齊唱し、聲をはずませて怒號するやうな、底力の强さと大きさとを感じさせられる。孤獨と群生との場合では、かうしてがらりと性格のひびきが違つて味ははれるのも、 松でなくては見られないことだ。
 松のそれとは打つて變つて、 葉擦れの音が細やかで、ひそひそしたものに黄楊つげの木がある。傴僂せむしのやうに背の低い木で、黒つぽいこまこました、 地味な葉を枝いつぱいにつけてゐる。
 佛教の或る經文によると、幼い子供が泣きむづかつて困るときには、黄楊の葉を二三枚興へて、
「ほら。 おあしをあげるから、泣くのはおよしなさい。」
と言ふと、子供は錢と思ひ違へて、この葉つぱを手のひらに、急に笑顔になるといふことだ。さういふ靑錢に間違へられさうな葉だといへば、その小ぶりで肉厚にくあつなことも大抵想像せられようといふものだ。
 あの川瀬に棲む鮎のやうな小魚ですらが、眞夏のころには一月に一寸、二月に二寸と、月毎に一寸づつ大きくなるといふのに、黄楊の木は、一年中かかつて幹の高さがやつと一寸しか伸びず、おまけに閏年には後戻りして、背が一寸ほど低くなると言ひ傳へられてゐる氣の毒な木で、むかしから禪の方では、修行が思ふやうに進まず、どうかすると後退しかねないやうな人を喩へて 「黄楊木の禪」といふ言葉もあるくらゐだが、それだけに葉の形も小さく繁りもこまやかなこの木は、 風に吹かれるといかにもひそやかな響を立てて鳴る。 ちやうど文字の端々まで細かに作者の用意を味ははうとする人が、詩を讀むのに高く聲に出して吟ずるよりも、むしろ口のなかでする低唱を選ぶやうに。

 ぽぷらや銀杏のやうな木は、風が吹き當ると、その葉が表裏のふたおもてを見せて、 ひらひらと翻り、その度にはたはたと物をはたくやうな音を立てるのもおもしろい。秋も半ばを過ぎて黄金色に染まつたその葉が、 風に吹かれてその高い梢から留度もなく亂れ散り亂れ散る一つ一つが、 中空で乾いた空虚な音を立てて、 何處とも知れず轉がつてゆくのは、やがて一切無さいむの寂默の境涯にはひらうとするこれらの樹々が、昨日までは自分の誇りとしてゐた、「さざめき」と「跳舞」とのすべてをかなぐり捨てる、その侘しい心のつぶやきとして、しみじみと聽きすまされる。

棕欄と芭蕉とは、不思議な生まれ合せをもつた二人で、ひとりが眞直ぐに伸びた柱のやうな幹と、手のひらのやうにひらいた大きな葉とのほかには、枝といふものをたつた一本も持ち合はさないのに対して、今ひとりは大きな楕圓形の葉の幾枚のほかには、幹も枝もない、一風ひとふう變つた存在なのだ。
 この二つの葉が秋風に吹き煽られると、それぞれ違った音を立てて鳴るのもちよつと興味がある。一日中空をのみ見上げ、それに祈念を捧げるらしく、合掌して立つてゐる棕櫚の葉は、ばたばたとけたたましい音を立てて羽ばたきをする。それはちやうど足を縛られた鳥が時をり翼を擴げて身悶えするやうに、ひたすら天にあこがれるもののやるせなさである。芭蕉はまたところどころ傷ついた大きな葉を、ゆさゆさばさばさと大まかに跳ね躍らせ、折れやすい葉柄がきしきしと鳴り軋むまで、やけに肉摶し、抗爭し、果ては打負されて無惨にも倒れ伏し、捕へられた魚のやうに時々尾鰭をはたづかせ、鰓を動かしなどして、最後の反抗を試みるらしい
のは、やがて無手で自然と爭い、運命と闘ふもののいたましい姿であらう。

 梅雨の頃、寝苦しい夜なか過ぎ、ふと眼が覚めると、いつのまにか雨はひつそりと降り止んで、しんとした戸外の靜けさ。 その底にぽつつりと熟梅うみうめの落ちる音を聽きつけることがよくある。碧く澄みきつた淵に小さな錘を一つ投げおろしたやうに、その小さなものを通じて、底 の知れない「死」の深みの中に動いてゐる生命の呼吸を微かながらも感することができるのは、何といふ心躍りのすることだらう。
 秋のひと日、くぬぎ林の下を通りかかると、やや散り透いてそこらをぱつと明るくした枝葉のなかから、焦茶色の肌をしたどん栗が一つ二つへたを飛び出して來るのは、誰もが時々逢着する小景である。 落ち際にしたたか道ばたの石に頭をうちつけて、
「かちん。」
と、ほんの一度金屬性の堅い音を立てて鳴つたきり、そこらの落葉の下にかさこそと潜り込むあきらめのよさ。むかし明の呂晚村が或る事情から姿をやつして藁賣りとなつてゐたことがあ つた。或る日、いつものやうに藁袋を提げて街を歩いてゐると、背後から、
「もし、もし。藁屋の先生。…..」
と、だしぬけに呼びかけるものがあつた。振返つて見ると、見ず知らずの人が藁を求めようとしてゐるのだった。
 晚村は逃げるやうにその場を去つたが、それからといふものは、門を閉ぢてめつたに人に會はうとしなかつたさうだ。それは博學多藝をもつて知られた人の身の上。これはまた澁味のほかに何一つ持つてゐない無能などん栗が、まるで誰かから「──先生」とでも呼びかけられたかのやうに慌てた遯世ぶり。 栗もあり、 甘柿もある世の中に味をも嗜ます、藝をも求めず、匂の甘さをも思はず、形のよさをも念ぜず、唯無能に満足し、自らの生まれつきを守つてそれに安住することのできるどん栗こそは、類のすくない生命の持主だと言つてよからう。

 秋の大河はこの上もなく靜かなものだ。 水の流れも澄みきつて緩やかに、時をり高く晴れた空を行き過ぎる綿毛のやうな雲の一片を胸にうつして、音もなく流れ來ては、音もなく流れ去る。 岸近く亂れ咲いた秋草を敷きながら、 あたりに搖曳する自然の「悠久さ」に心をひたしてゐると、だしぬけに川の中ほどで、
「ばさッ。」
とけたたましい音がして、水の飛沫が白くあたりに飛び散るのをよく見かけるものだ。いつもは河底深くもぐつてゐる大魚が、水を弾いて潑剌と跳ね上つた音か、それとも中空に大幅な輪を描いて舞つてゐた鳶が急にさつと落し來て、魚を捕へようとする水際の羽ばたきだつたか、はつきりしないが、どちらにしてもそんな時には、あの「静けさ」の底に隠れてゐる「動き」を自分の内部にも感じて、ばつと散る水の飛沫に心のくまぐままでびしょ濡れになったやうな驚きを抱かせられるものだ。

 秋風は、松を揺ぶり、黄楊を震はし、ぽぷらを、 銀杏を、棕櫚を、芭蕉を、それぞれ吹き鳴らした後、草刈女のやうに素足のままさつと地上に歩みを移した。すると、ほどなくそこらの地べたに穿たれた小さな坑道から、
「じ──い。じ──い。……」
といふ、單調な低い音が洩れて來る。月明りか、提灯の火影かでそつと窺いてみると、地下勞働者らしい大きな前肢をもつた蛄蛄けらが、慌てて飛び出すことがよくある。此奴はそこら界隈で知られた浮浪者で、隙さへあつたらそつと蚯蚓の巢へ潜り込んで、暢氣さうに小唄でも歌つてゐようといふしたたかものなのだ。
 坑道の主人である蚯蚓は、生まれつきむつつりやなので、どんな不平があつても、喜びがあつても、少しもそれを口に出さうとしない。
 そのむかし、或る禪僧が鍬をとつて圃を耕してゐると、過つてそこにゐた蚯蚓を二つに切つたものだ。切られた蚯蚓は二つとも痛さうにそこらを轉げ廻つてゐた。
 禪僧は自分の背後に人のけはひを感じた。振返つてみるとそこに師家が立つてゐた。師家といふのは延慶の法端輝師といつて、そのころ聞えた高僧だつた。弟子は言つた。
「唯今鍬の先で蚯蚓を两斷しました。御覽のとほり两頭とも動いてゐますが、佛性はそのどちらにあるのでございませうか。」
 禪師はそれを聞くと、ばつと两手を擴げて前へ突き出した。唯それだけだつた。
 蚯蚓は傷口に砂をへばりつかせたままで、二人の師弟の問答を偷み聽きしてゐた。 ところが論議の題目は、その頃かうした人達のなかで流行物のやうに取扱はれてゐた「佛性」の有無だつたので、蚯蚓はひどく失望してしまった。
「なんだ。間違つてひとを切りながら、佛性のあるなしもないもんだ。そんなことを論議する暇があつたら、傷口の手當ぐらゐしてくれたつてよかりさうなものだ。」
 蚯蚓は言葉の多い論議が、 これまで何物をも生まなかつた数々の例を思ひ出した。そしてまた思つた。だから自分は一生啞のやうに默りこくつて終わるのだと。
 で、彼は今日までもそれを押し通してゐるのだ。

 坑道の假住居で螻蛄が鳴く頃には、同じやうにそこらの築土のくづれ、落葉の間、 枯草の堆積の下から、金の鈴でも振るやうな、いろんな美しい音が轉がり出して來る。そのなかにはえんまこほろぎの「ころころりんりん」もある。 みつかどこほろぎの「りり……りり……」 もある。馬追虫の「すいつちょん」もある。また鈴虫の「ちんちろりん」もある。草土の小さな歌人達がみづからの生存を賭けての歌だけに、いづれも微けくはあるが、そのまま玉盤にでも盛つておきたいやうなものばかりだ。だが、實をいふと、今の私はさしたものよりももつと單調で、もつと調子の低い鉦たたきや茶立虫の方に多くの愛着を抱かされてゐる。
 鉦たたきは、立樹の上をあちこち駈けずり廻りながら、鉦のやうな澄みきつた音をそこらに撒き散らす虫である。小粒の珠を一つづつ取落すやうに、
「ちん……ちん……」
と、或るをおいて靜かに滴り來るその音を聽いてゐると、それが何かの象徴ででもあるやうな單純さに驚きもするとともに、饒舌と聲の濫費とに溢れてゐる秋の草土で、こんな微かな單純な音を唯一の媒介として、相近づき、點頭と愛撫とを取交はす鉦たたきの雌雄こそは、何といふ敏感な存在だらうと感心させられもする。
 茶立虫は障子の棧や襖の緣につかまつて、かすかな、消え入りそうな調子で、
「と、 と、 と、 と……」
と單調な音を繰返す、 あるかなきかのささやかな虫である。 その聲のかすけさは、 沈默と僅かに紙一重を隔てるのみだ。この虫については私はこれまで度々書いたことがあるので、ここにはこれ以上述べることを差控えたい。


読書に朗読に、ご自由にお使いください。
出来るだけ旧字旧かなのまま、誤字脱字の無いよう心掛けましたが至らない部分もあるかと思います。ごく個人の文字起こしの為、何卒ご容赦下さい。

底本: 「樹下石上」創元社 昭和十八年十一月三十日発行

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