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花様年華THE NOTES⑩

ホソク
22年5月10日


ナルコレプシーは
場所を選ばなかった。

仕事をしている間に突然倒れたり
道を歩いている途中、一瞬にして
気を失ったりすることもあった。

心配してくれる人の前では
平気なふりをした。

数字を10まで
数えられないという事実は
誰にも打ち明けられなかった。

そんなふうに倒れた日は
母の夢を見た。

いつも同じような内容だったが
母とバスに乗ってどこかに行く夢だった。

夢の中で僕はとても浮かれていた。

車窓を通り過ぎる看板を読んだり
母の横顔を見たりして
座席でじっとしていられなかった。

その時の僕は7歳くらいだった。

ある瞬間、僕はふと気づいた。

ああ、母さんはいないんだ。

そして我に返ると
僕は20歳だった。

母はまだバスの前の席に座っ ていた。

母の後ろ姿もそのままだった。

「母さん」

と小さな声で呼ぶと
僕の声が聞こえたのか
母が振り向いた。

遊園地でそうだったように
母のシルエットが日差しの中で
白くかすんでゆらめき
髪は風になびいていた。

悲しいのは、それを見た瞬間
こんな考えが浮かんだことだ。

母が完全に僕の方を振り向いたら
僕は夢から覚めるだろう。

僕は母に振り向かないように
言おうとするが
声を伴った言葉が出てこなかった。

それでも僕は叫び続けた。

「母さん、
  振り向かないで。
  振り向かないで」

でも母はいつも顔を僕の方に向け
結局、振り向いた。

目が合いかけた瞬間
全てが白く変わり
目の前には病室の天井の
蒼白な蛍光灯が現れた。

今日も同じだった。

目を開けた時
真っ先に見えたのは
病院の天井の蛍光灯だった。

誰が着替えさせてくれたのか
僕は患者衣を着ていた。

医者は、軽い脳震盪のようだが
もう少しチェックしてみようと言った。

病室は6人部屋だった。

疲れていた。

ナルコレプシーから覚めると
なぜかぐったり疲れていた。



ジミン
22年5月11日


外科病棟に移されたのは
2週間ほど前のことだった。

由に出入りする外科に
最初は慣れなかった。

しかし、病院は病院だった。

病気の人がいて
看護師がいて
医者がいた。

薬を飲み、注射も打った。

精神科病棟と特に変わりはなかった。

違いがあるとすれば
廊下がもう少し長いこと
その廊下の真ん中に
休憩室があることぐらいだった。

病院の中で自由に
動けるのも違う点ではあった。

夜になると、病室を抜け出し
病棟のあちこちを歩き回った。

休憩室で1人
飛び跳ねてダンスを踊ったり
1階の廊下を走ってみたりもした。

精神科病棟では味わえない
ささやかな楽しみだった。

奇妙なことを発見したのは
そんなふうに廊下を走っていた時だった。

給湯室、非常階段を通り過ぎた地点で
僕は自分でも気づかないうちに
立ち止まっていた。

まだ廊下は5歩くらい残っていた。

それなのに僕はその地点に
立ち止まったまま
それ以上、踏み出せなかった。

廊下の先にはドアが1つあった。

そのドアを開けて出ると、外だった。

病院の外。

ドアには "接近禁止"という札が
貼ってあるわけでもなく
誰かが走ってきて僕を止めたり
追い出したりもしなかった。

それでも僕はそれ以上
先に進めなかった。

すぐに分かった。

ちょうどそこまでが
精神科病棟の廊下だったのだ。

まるで床に僕だけに見える
境界線が引かれているかのように
僕は精神科病棟の廊下が終わる
所で立ち止まっていた。

精神科病棟で僕は
素直な子と呼ばれていた。

時々、発作を起こしたが
ほとんどの場合
言うことをよく聞いた。

いつも優しく微笑み
誰も知らないウソをついた。

そして自分の限界をよく知っていた。

精神科病棟の廊下は
僕の歩幅で計24歩だった。

初めて入院した時
僕は8歳くらいだったが
その廊下の先にある鉄の門をつかみ
外に出る、ママについて行くと
泣きながら駄々をこねた。

看護師が駆けつけて
注射を打つまで必死に
ドアの外へ出ようとした。

一時期、僕が廊下に出るだけで
看護師が緊張した。

しかし今は、僕が
その廊下の先まで走っていき
ドアの前にたどり着いても
誰も気にしない。

僕は知っている。

ドアには、どうせ
鍵がかかっていることを。

ドアの前まで走っても
戻ってくるだけで
今はドアを開けてくれと
駄々をこねることもなく
涙を流しもしない。

しかし、世の中には僕と違って
マヌケな人たちもいる。

いつまでもそのドアを
つかんで揺さぶる人たち。

そして力で押さえつけられ
注射を打たれ、縛られた後
ようやく静かになる人たち。

少しだけおとなしくすれば
楽になれるのに。

マヌケはそれを知らなかった。

僕も最初からこうだったわけではない。

看護師に無理やり打たれた
鎮静剤に気絶したように
眠ったこともあるし
病院を抜け出そうとして
連れ戻されたこともあった。

母に泣きながら電話して
声をからしたことが何度もあった。

「僕、もう大丈夫。
  すっかり治った。
  だから迎えに来て」

何日も寝ないで待ったが
母は来なかった。

プルコッ樹木園に行って意識を失い
病院で目を覚ました時
両親は何も聞かなかった。

僕がそこに行ったこと
そこで意識を失ったことについて
何も言わなかった。

それ以来、原因の分からない
発作を起こした時もそうだった。

入院させた後、適当な時期が来たら
退院させ転校させた。

両親にとって
評判と家族は大事なものだった。

息子の精神科の通院歴は
受け入れられないことだった。

素直な子になったのは
一時的なことではなかった。

特別にドラマチックな
事件があったわけでもなく
これといって記憶に
残るようなこともなかった。

あきらめの気持ちは
爪が伸びるように大きくなった。

いつからか泣かなくなり
外に出たいと思わなくなった。

むやみに廊下を走ったり
ドアに駆け寄ったりもしなかった。

たまに外に出て
学校で過ごす時もそうだった。

最後にまた戻ることは知っていた。

空を見上げた時の
心が晴れ渡るような感覚や
季節のにおいのようなものが
心地よく感じられることがあったが
できるだけ忘れるように
心に残さないようにした。

どうせ縁遠いものばかりだった。

友達についても同じだった。

精神科の通院歴は友達を作るのに
好ましい履歴ではなかった。

でも一度、例外はあった。

本当の友達だと思える
兄さんたちと弟に出会ったことだ。

もう2年近く前のことだった。

忘れようとしたが
それでも時々
あの頃の記憶が甦った。

あの友達と
別れることになったのは下校途中
バス停で発作を起こしたからだった。

最後に残っている記憶は
プルコッ樹木園のシャトルバスの
窓が開くところだった。

僕はその場でばったり倒れてしまった。

目を覚ました時は病院だった。

母が離れた所で
誰かと電話で話していた。

少しの間、状況判断がつかなかった。

今どこにいるのか
何が起きたのか。

キョロキョロしていると
鉄格子が張り巡らされた
窓が目に飛び込んだ。

その瞬間、やっと思い出した。

下校途中に見た青い空
バス停に座ってふざけていたこと
遠くから近づいてきた
プルコッ樹木園のシャトルバス。

車窓越しに僕を見ていた目。

僕はぎゅっと目をつぶった。

しかし、すでに遅かった。

目の前にはいつの間にか
プルコッ樹木園の正門が現れていた。

小学校1年の遠足の日だった。

僕は降りしきる雨の中を
リュックサックで
頭を覆ったまま走っていた。

少し離れた前方に倉庫が見えた。

ドアが開いていた。

僕は中に入った。

ねっとりして酸っぱいにおい
苦しそうに吐いていた息
聞こえてきたキーッという金属製の音。

僕はベッドから
がばっと起き上がり
悲鳴を上げた。

違う。

覚えていない。

全部忘れた。

母が駆け寄り
叫び声を上げて誰かを呼んだ。

僕は激しく首を横に振った。

あの全てのにおいと触感
音と場面を振り払おうと
めちゃくちゃに腕を振り回した。

記憶は無慈悲に押し寄せた。

ほぼ10年間も封印してきた記憶が
せきを切ったように溢れ出すと
あの日の全てのことがまるで今
目の前で起きていることのように心の中に
目の中に、細胞の中に、爪の下に
入りこんできた。

僕は発作を起こし、注射を打たれた。

注射液が血管を通って巡り
眠気が襲ってきた。

目を閉じながら祈った。

これが夢であることを
眠りから覚めた時は
何も覚えていないことを。

その願いは叶わなかった。

その代わり発作と注射
今にも崖から落ちそうな
眠りを何度も繰り返した。

目が覚めると全身が
泥まみれになったように感じられた。

泥は血のようにも見えた。

どんなに洗っても
あの日の倉庫で
嗅いだにおいが消えなかった。

何事もなく座っていても
全身が泥まみれの気がして
我慢できなくなった。

血が出るほど洗っても
気が済まなかった。

医者の先生に
心配そうな顔で聞かれた時
最初、僕はぶるぶる震えながら謝った。

悪かったと。

悪かったと謝るから
全部忘れさせてほしいと。

その次は記憶から顔をそむけた。

何の話だ、何も覚えていないと。

今は先生をじっと
見ながら笑顔を作れる。

そして言う。

「何も覚えてません」

その言葉を先生は
全て信じただろうか。

それは分からない。

大事なのは、僕が
素直な子になったということだった。

病院の日常はのどかで
僕はただぼんやり時間が
流れることだけを願った。

それ以上、何も望まなかったし
息苦しくも、怖くも、寂しくもなかった。

前日の夜まではそうだった。

昨晚、ホソク兄さんに
再会するまでは。

外科病棟に移されたのは
決まって制止されるのに
しきりに廊下の先のドアから
外に出ようとする
マヌケとケンカしたせいだった。

2人ともケガをして
5階にある外科病棟の
別の病室にそれぞれ配置された。

僕が入った病室は6人部屋だった。

僕は真ん中のベッドだったが
両側のベッドの患者は
しょっちゅう入れ変わった。

目が覚めたのは真夜中だった。

誰かが悪い夢を見ているのか
うなされる声が聞こえてきた。

左側のベッドだった。

僕は布団をかぶった。

悪夢はうんざりだった。

うなされる声など
もう聞きたくなかった。

しばらく我慢していたが
悪夢は終わらないようだった。

僕はとうとう起き出して
左側のベッドに近づいた。

肩をつかみ、落ち着かせながら言った。

「大丈夫。 ただの夢だ」

それがホソク兄さんだということを
知ったのは今朝だった。

朝食が運ばれてきて
カーテンを開けると
隣に兄さんが座っていた。

兄さんはうれしそうだった。

僕もうれしかっただろうか。

僕の心のどこか一部は
そうだったかもしれない。

兄さんは、1人も知り合いのいない
転校生の僕に分け隔てなく
接してくれた人だった。

わざわざ遠回りをして
一緒に下校してくれた人でもあった。

兄さんと一緒に
アイスクリームを食べながら
家に帰った日々を今でも時々
思い浮かべていた。

しかし兄さんは
僕がここに再び来る直前
バス停で発作を起こした時
一緒にいた人でもあった。

僕を病院まで
連れてきてくれたのは兄さんだった。

たぶん母とも出くわしただろう。

兄さんに僕の状況を
説明したくなかった。

食事には手をつけず
残したまま病室の外に出た。

兄さんがついて来る気がしたが
僕はこの病院について
知らないことはなかった。

兄さんは僕に追いつけなかった。

一日中、病院を歩き回った。

他の兄さんたちとジョングクが
見舞いに来るのを見たのは
階段に座っている時だった。

皆、あまり変わっていないようだった。

その日の午後はずっと
階段を上り下りしたり
他の階の廊下を徘徊したりした。

廊下の先の窓にもたれ
通り過ぎる車を数えたりもした。

後になって少し怒りもこみ上げてきた。

一日中、空腹で、落ち着いて
座っていられる所もなかった。

病室から笑い声がすると
さらに怒りが増した。

何のために
怒っているのか分からなくて
余計に腹が立った。

自分のベッドに戻ったのは
夜になってからだった。

「どこ行ってたんだ」

兄さんは
何事もなかったように言った。

そう言いながら
ピザパンを差し出した。

たぶん空腹だったからだろう。

パンが温かくて
おいしかったからだろう。

僕は思わず兄さんに話してしまった。

精神科病棟に長い間
閉じ込められていて、少しの間
外科病棟に来ているが
間もなく戻るはずで
たぶんすぐには出られないだろうと。

兄さんも見たじゃないか
僕は道で発作を起こした
僕は病人なんだ、危ないかもしれないと。

最後の言葉は
本当は言いたくなかった。
しかし、そんなふうに
言ってしまえば兄さんが
僕を非難できないと思った。

兄さんはしばらく黙っていた。

すると、僕のパンを
取り上げながら言った。

「パク·ジミン。
  大げさに言うのはやめろよ。
  僕にナルコレプシーが
  あるのを知らないのか?
  どこでもバタバタ倒れるんだ。
  じゃあ僕も危ないってことか?」

兄さんはパンをひと口、かじった。

僕は何と答えたらいいのか分からず
ただもじもじしているだけだった。

すると兄さんは

「どうした。
  もったいないか?」

と言いながらパンをもうひと口
かじって僕に返した。

僕はとっさに パンを受け取った。

兄さんが言葉を続けた。

「発作って
  うつったりするものだっけ。
  ナルコレプシーはうつらない。
  だから心配しないで食べろよ」

兄さんの姿は
以前と少しも変わっていなかった。


……To be continued

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