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花様年華THE NOTES⑥



テヒョン
20年3月20日


廊下をバタバタと
音が出るほど走っては
スーッと滑るように
ブレーキをかけて止まった。

少し先に
"俺たちの教室"
の前に立っている
ナムジュン兄さんの姿が見えた。

俺たちの教室。

俺は倉庫の教室をそう呼んでいた。

俺と兄さんたちとジミン
ジョングク、俺たち7人の教室。

息を殺して近づいた。
驚かせるつもりだった。

「校長先生!」

少し開いた教室の窓の
向こうから緊迫した声が
聞こえたのは

5歩くらい歩いた時だった。

ソクジン兄さんの声のようだった。

立ち止まった。

今、ソクジン兄さんは
校長と話しているのだろうか?

俺たちの教室で?

なぜ?

続いてユンギ兄さんと
俺の名前が聞こえ
ナムジュン兄さんが
驚いたように
息を吸い込むのが見えた。

その気配を察したのか
ソクジン兄さんが
ドアをバタンと開けた。

手には電話が握られていた。

顔に驚きと
戸惑いの色が浮き出ていた。

俺は隠れてその様子を見守った。

ソクジン兄さんが
弁解でもするように口を開けると
ナムジュン兄さんが遮った。

「大丈夫です。
  兄さんがそう言うからには
  何か理由があるんでしょう」

信じられなかった。

ソクジン兄さんは校長に
ユンギ兄さんと俺がこの数日間
どんなことをしでかしたのか

全部話した。

授業をサボって塀を越え
他の生徒たちと
ケンカした話まで全部だ。

それなのに
ナムジュン兄さんは
大丈夫だと言っていた。

「ここで何してるんだ」

驚いて振り向くと
ホソク兄さんとジミンだった。

ホソク兄さんが驚いたのは
こっちの方だという表情を見せると
俺の肩に腕を回した。

兄さんに連れていかれ
あたふたと教室に入った。

ナムジュン兄さんと
ソクジン兄さんが同時に振り向いた。

ナムジュン兄さんは俺を見ると
何事もなかったように笑った。

その時ふと、
こんな考えがよぎった。

ナムジュン兄さんが
そうするからには
きっと理由があるはずだ。

兄さんは俺よりずっと
たくさんのことを知っているし
ずっと頭がいいし
ずっと大人だから。

そして、ここは
俺たちの教室だから。

俺は笑う時
口が四角になると
皆によくからかわれるが
そんなバカみたいな 笑顔で
兄さんたちに近寄った。

2人の会話を聞いたことは
誰にも言わないつもりだった。




ナムジュン
20年5月15日

行き場のない俺たちの
アジトになってくれた倉庫の
教室を横切って歩きながら
俺は椅子を何脚か、まっすぐに立てた。

ついでに、 倒れている机を起こし
手のひらでサッサッと埃をはたいた。

今日でこの学校も最後だった。

2週間前、引っ越しが決まった。

父の合併症は
俺の手に負えるものではなかった。

家賃はず っと前から滞納していた。

近所の人たちの善意と
ガソリンスタンドの稼ぎだけでは
持ちこたえられなかった。

敷金が底をつく前に
動くしかなかった。

紙を半分に折って机の上に置き
鉛筆を握ったが
どんな言葉を残したらいいのか
分からなかった。

どれくらい経っただろうか。

あれこれ書きなぐっているうちに
鉛筆の芯がポキッと音を立てて折れた。

"生き残らなければならない"

黒鉛の芯が折れて散らばった。

その破片の隙間に
無意識のうちに
書きなぐった言葉だった。

紙をくしゃくしゃにして
ポケットに入れ、席を立った。

机を押すと
埃が立ち込めた。

そのまま出ていこうとしたが
窓に息を吹きかけて数文字、残した。

どんな挨拶も
十分ではないだろう。

何も言わなくても
全て伝わると思う。

"また会おう"

約束というよりは

願いだった。




ジョングク
20年6月25日


ピアノの鍵盤をなでると
指に埃が付いた。

指先に力を入れてみたが
ユンギ兄さんが
弾いていたような音は出なかった。

兄さんが学校に来なくなって
2週間が過ぎた。

今日は、とうとう
退学処分になったという
噂が駆け巡った。

ホソク兄さんは
何も話してくれなかったし
僕も何も聞かなかった。

2週間前のあの日
先生が入ってきた時
倉庫の教室には僕と
ユンギ兄さんしかいなかった。

保護者参観日だった。

教室にいるのが嫌で
目的もなくここに向かった。

兄さんは振り返らずにずっと
ピアノを弾き、僕は机を2つ並べて
横になり、寝たふりをして目を閉じた。

兄さんとピアノは一見
不釣り合いのようだが
切り離しては考えられないほど
一体でもあった。

どれくらい経っただろうか。

まるで誰かが壊そうとしているかの
ように大きな音とともにドアが開き
同時にピアノの音がぴたりと止んだ。

僕は頬を殴られて
後ずさりしたが
結局倒れてしまった。

体をすくめたまま
暴言に耐えていると
急に声が止まった。

顔を上げると

兄さんが先生の肩を押しのけ
僕の前に立ちはだかっていた。

兄さんの肩越しに
呆れたような表情を
している先生が見えた。

もう一度
ピアノの鍵盤を押してみた。

兄さんが弾いていた曲を
真似して弾いてみた。

兄さんは本当に
退学させられてしまったのだろうか。

二度と戻らないのだろうか。

何発殴られたり
何回蹴られたりするくらいは
兄さんにとって
よくあることだと言っていた。

もし僕がいなかったら
兄さんは先生に
歯向かわなかっただろうか。

もし僕がいなかったら
兄さんは今もここで

ピアノを弾いていただろうか。



ユンギ
20年6月25日


ドアを開けて入るやいなや
机の一番下の引き出しに
入れておいた封筒を取り出した。

半分くらい焼け残った
ピアノの鍵盤を引っ張り出して
ゴミ箱に放り投げ、ベッドに横になった。

こみ上げてきた気持ちが落ち着かず
息がなかなか静まらなかった。

葬式が終わった後
火事で焼け落ちた家に
1人で行ったことがある。

母の部屋があった所の一角には
かろうじて形だけを残して
燃えてしまったピアノが倒れていた。

その場にぺたんと座り込んだ。

窓を突き抜けて近づいてきた
午後の日差しが和らいだ。

顔を上げると
少し離れた所に転がっている
鍵盤がいくつか目についた。

何の音を出す
鍵盤だったのだろうか。

母の指がどれほど触れただろうか。

俺は立ち上がり
その鍵盤の1つを
ポケットに入れた。

あれから4年が過ぎていた。

家の中は静かだった。

耐え難いほど静かだった。

22時過ぎだから
父は眠っているだろう。

あれ以来、家の中の
全てのものは息を
殺さなければならなかった。

それがこの家の決まりだった。

俺は、こんな寂寞に耐えるのは苦手だ。

決められた時間に合わせ
規律と形式を守るのも
やはり苦手だ。

しかし、それ以上に耐えられないのは
そうであるにもかかわらず俺がこの家に
住み続けているという事実だった。

父がくれる小遣いを貰い
父と食事をして
父に叱られる。

歯向かったり、ひねくれたり
もめ事を起こすことはあっても
父を捨てて家を出たり
自分だけの本当の自由を
実践したりする勇気が俺にはなかった。

机の下のゴミ箱から
鍵盤を拾い上げた。

窓を開けると、夜の空気が
激しくなだれ込んできた。

今日一日の出来事が
頬を叩くように一気に押し寄せた。

俺は窓の外に向かって
鍵盤を思いきり放り投げた。

学校に行かなくなって
2週間が過ぎた。

退学処分になったという
知らせを聞いた。

これからは俺が望まなくても
家を追い出されるかもしれない。

鍵盤が地面に落ちる音は
聞こえなかった。

その鍵盤は以前
どんな音を出していたのか
知る手だてはないだろう。

どんなに時間が流れても
その鍵盤がもう一度
音を出すこともないはずだ。

俺は二度とピアノを

弾かないだろう。




ソクジン
20年7月17日


学校の玄関を出ると
セミの声が耳をつんざいた。

運動場は
笑い声を上げてふざけたり
駆けっこをしたりする
生徒で溢れていた。

夏休みの始まりで
皆がすっかり浮かれていた。

僕はうつむいたまま
生徒たちの間を早足で歩いた。

少しでも早く
学校を抜け出したかった。

「兄さん」

誰かの影がいきなり
飛び出してきたのにつられて顔を上げた。

ホソクとジミンだった。

いつものように優しい
笑みをいっぱいに浮かべ
いたずらっぽい目で僕を見ていた。

「今日から夏休みなのに
  このまま帰るんですか?」

ホソクが腕を引き寄せながら言った。

僕は

「ああ」

と意味もない言葉を
いくつか絞り出し
黙って顔をそむけた。

あの日、起きたことは
明らかに事故だった。

意図したことではなかった。

あの時間、倉庫の教室に
ジョングクとユンギが
いるとは思わなかった。

校長は、僕が弟たちを
かくまっていると疑っていた。

僕がいい生徒ではないことを
父に話すかもしれないと言った。

僕も何か言わずにはいられなかった。

アジトについて打ち明けたのは
誰もいないと思っていたからだった。

ところが、ユンギが
退学処分を受ける事態にまでなってしまった。

僕がそのことに
関わっているのを
知る人はいなかった。

「楽しい夏休みを過ごして
  兄さん!連絡しますね」

顔をそむけている僕の
まなざしに気づいたのか
ホソクがそっと手を放し
やけに明るい顔で挨拶をした。

僕はやはり何も答えられなかった。

言える言葉がなかった。

校門を出ると
ここに初めて登校した日を思い出した。

遅刻をして皆で一緒に罰を受けた。

だから笑うことができた。

そんな時間を僕がぶち壊したのだ。

父が望む人生を
生きることにしたくせに

幸せなんか
望まないことにしたくせに

出してはいけない
欲を出してしまった。



ホソク
20年9月15日


ジミンの母は
救急救命室を横切って歩いてきた。

ベッドの足元に書かれた
名前と点滴の瓶を順番に確かめた後
ジミンの肩に付いていた草を指ではがした。

僕はもたもた
近づきながら挨拶をした。

ジミンがなぜ救急救命室に
担ぎ込まれることになったのか

バス停で急に発作を
起こした様子についても
話すべきだと思った。

ジミンの母は僕がそこにいることに
初めて気づいたかのように振り向いた。

しかし、僕が何か言おうと
口を開くより先に、ありがとうと
ひと言残して視線をそらした。

ジミンの母が次に僕を見たのは
医師と看護師がベッドを移し始め
僕がついて行こうとした時だった。

ジミンの母はもう一度
ありがとうと言いながら
僕の肩を押しのけた。

いや、押したというよりは
とても軽く手を添えてから
放したという表現が正しいだろう。

そしてその瞬間
僕とジミンの母との間に
目に見えない線ができた。

その線は明確で頑丈だった。

冷たくて堅固だった。

僕が決して越えられない線だった。

養護施設で10年以上、暮らした。

その程度のことは体で
視線で、空気で察した。

僕はとっさに後ずさりをしたが
地面にのけぞって倒れてしまった。

そんな姿を
ジミンの母がじっと見下ろした。

小柄で美しい方だったが
影は大きく冷ややかだった。

救急救命室の地面に
のけぞって倒れた僕の上に
その大きな影がさした。

もう一度顔を上げた時
ジミンのベッドは
救急救命室の外に消えて

もう見えなかった。




ジョングク
20年9月30日


「チョン·ジョングク。
  最近もあそこに
  行ってるんじゃないだろうな」

僕はスニーカーのつま先だけを
見下ろして立っていた。

答えないでいると
出席簿が頭を叩きつけた。

それでも口を開くわけにはいかなかった。

兄さんたちと
一緒に過ごした教室だった。

初めて足を踏み入れてからというもの
一日も行かない日はなかった。

兄さんたちも知らなかっただろう。

兄さんたちは約束があるとか
アルバイトが忙しいとかで
現れないこともあった。

ユンギ兄さんやソクジン兄さんは
何日か姿を見せないこともあった。

でも僕は違った。

一日も欠かさずに
あの教室を訪れた。

誰も来ない日もあった。

それでも構わなかった。

あの場所があるというだけで
今日でなければ明日
明日でなければ明後日には
兄さんたちが来るだろうから平気だった。

「あいつらとつるんで
  悪いことばかり覚えたのか」

出席簿がもう1回
頭を叩きつけた。

顔を上げて見ると
また出席簿が降ってきた。

叩かれていた
ユンギ兄さんの姿を思い出した。

歯を食いしばって耐えた。

あの教室に行かないと
ウソはつきたくなかった。

今、僕はまた
その教室の前に立っている。

ドアを開けると、兄さんたちが
いるような気がしてならなかった。

1か所に集まって
ゲームをしながら振り向き
なんでこんなに遅くなったんだと
言いそうだった。

ソクジン兄さんと
ナムジュン兄さんは本を読み

テヒョン兄さんはゲームをして
ユンギ兄さんはピアノを弾き
ホソク兄さんとジミン兄さんは
ダンスを踊っているような気がした。

でもドアを開けた時
振り向いたのはホソク兄さんだけだった。

兄さんは教室に残っていた
僕たちの私物を片づけていた。

僕は取っ手をつかんだまま
立ちつくしていた。

兄さんが近づいて
僕の肩に腕を回し
外に引っ張っていった。

「もう行こう」

背後で教室のドアが閉まった。

僕は悟った。

あの日々は過ぎて

もう二度と戻ってこないのだ。




……To be continued


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