わかり合わなきゃいけない症候群に囚われているわたしたちは
パスタはアルデンテが当たり前
こんな風に思っている方も多いだろうが、わたしの弟はアルデンテが嫌いだ。
同じく、母も。
彼としては、子どもの頃、給食で出てきたふにゃふにゃのソフト麺が最高においしかったそう。反対に、わたしは
と、思いながらソースなんだか餡なんだかよくわからないものとぐるぐる混ぜ、飲み込んでいた思い出がある。
こんな二人が姉弟なもんだから、実家でパスタを茹でるときは大変。2回茹でなくてはならない。
たっぷり塩を入れた鍋で茹でる、わたしと父用のアルデンテのパスタと、塩味うすめの鍋で茹でる柔らかめが好みの弟と母用の、のびのびパスタ
(うちではアルデンテにひっかけてナイデンテと呼んでいる)
もちろん手間も時間もかかるのだけど、家族が納得して食卓を囲むために必要なものだから、みな協力的である。
ご飯もそう。
わたしと父はかためが好み。
玄米やジャスミンライスのようなパラパラとしたお米が好きだから、べちゃっとしたおかゆは好みではない。
けれども
弟と母はやわらかいご飯が好み。ご飯は母が炊いているので、どうしても母好みのご飯となる。
やわらかいご飯だけど母が炊いてくれてるのでしょうがないか〜、かためご飯が食べたいなら自分で炊くしかないけど、それはめんどくさいし〜
などと思いながら、わたしも父も文句ひとつ言わずに食べている。おなかに入れば一緒。
そのそばで、弟は、おいしいおいしいと食べている。
ラッキーなやつめ。
ご覧の通り、同じおなかから生まれ
同じごはんを食べて育ってきたはずなのに
わたしと弟は、ほんとうに人としてのタイプが正反対だ。
つよい・ふとい・くろいわたしと
よわい・ほそい・しろい弟
弟は生まれてすぐにICUに入った経緯があるのだけど、いろいろ調べた結果、単に色白なだけだったというエピソードがある。
好きな食べものも、色も、街も違う。
わたしはパクチーが大好きだけど
彼はカナブンの匂いがするといって
半径5メートル以上より先には近寄らない。
だから、彼が家にいるときにパクチーは食べられない。
わたしはカラフルな色味が好きだけど
彼はモノトーンが好き。
わたしは東京という街を愛してるけど
彼は心底嫌い。
よく、都会の喧騒から離れて自然に触れ合うと癒されるよ〜なんて言うけれど、看護師という仕事柄、毎日のように自然の一部であるリアルな人間と接しまくっているせいか
きれいな夕陽をみても、きれいだな〜
壮大な山肌をみても、すごいな〜
という、小学生レベルの感想しか抱けない。
自然を感じるセンサーが振り切ってしまったんだろう。
どうしたって人間のほうに興味があるから、人のたくさんいる東京という街が好きなのかもしれない。
そんな、わたしの好きな街にある
人混みも
ネオンの眩しさも
情報量の多い広告も
いろんな人の匂いが混じった電車の中も
彼にとっては不快でしかないらしい。
その証拠に、彼は実家から下り電車に乗り、田舎の職場に通っている。15分に1本しかこない電車にもイライラしない。
そのくせ、彼の好物は
利久の牛タン弁当
ジャンフランソワのチョコクロワッサン
木村屋のあんバターパン
GODIVAのチョコリキサー
である。
みんな Made of 都会のものばかり。
おいおい、東京は嫌いなんじゃないの?と尋ねても、ニヤっと笑うだけ。
上記の食べ物は、東京以外でも買えるから東京のものじゃないんだと。
なにそれ
たまに東京土産で買って帰ると、我先にと手を伸ばし食糧を脇に抱え、とっとと自分の部屋に引っ込んでいく。
もう少し姉に感謝の意を示してほしい。
こんな彼と、分かり合えなくて苦労したこともあるけれど、良かったこともある。
それは、人と人とは100%分かり合えないことを、家族という近しい関係性の中で教えてくれたことだ。
家族だから仲良くしなきゃ
家族だから応援しなくちゃ
家族だから分かり合わなくちゃ
という世間一般で良しとされるマインドが、うちには一切ない。
わたしは、のびのびパスタを食べたくないし
彼は都内で働くという選択肢を持っていない。
けれども
のびのびパスタはまずいものだとは思っていないし、都内で働かない弟をイケてないとも思っていない。
それぞれがそれぞれの正解を楽しんでいれば、それでいい。
家族こそ
分かり合えないときは
分かり合えない。
でも、それでいいのだ。
「家族」も関係性をあらわす上での万能な言葉ではない。血縁だってそう。現に家族であるからこそ、揉めたり拗れたりしてる家庭も多い。「家族」という見えないなにかに縛られている人も多いであろう。
こういう背景があるから、わたしの奥底にはこんな価値観がある。
それは、患者さんをはじめ、友人やパートナー、SNSで出逢った価値観の合う人たちとの関係性であっても、人と人が100%分かり合えることは絶対にないということ。
だから、重なり合うなにかを見つけられたときは本当に嬉しいし
見つけられなかったとしても、なんとも思わない。
あなたとわたしは違う人間だもんね、ってことを確かめただけ。
円と縁が重ならなかっただけ。
その上で、そばにいるのかどうか
そばにいるという選択をし続けるのかどうか
これを問い続けることのほうが、はるかに大切だと思っている。
「『東京嫌い(2020)』収録作品」
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