スピッツの歌詞からあれこれ想像する「花の写真」
最近の通勤中、ずっと『とげまる』を聞いています。
ふと信号待ちに、じっと耳を澄まして聞いた「花の写真」の曲…。
なんて切ない曲なんだ…(今更)
ということで、音楽の専門知識はまっっったくない私が考えた、想像したあれこれを書き連ねます。
(曲の製作過程とか、マサムネさんのアレコレとか抜きで、あくまで「花の写真」の歌詞から想像した世界観です。考察というには拙いです。あしからず。)
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小さなカメラがつないでる 切れそうで切れない細い糸 取り残されてるような ふるぼけた街で
はい、もう切ない。
「小さなカメラ」によってつながっている縁。
「切れそうで切れない」とあるので、頻繁に会ったり連絡をとったりはしてなさそう。
主人公の「僕」は「ふるぼけた街」に住んでいて、相手は遠くに住んでいるたまーに会うカメラ友達なのかな?と想像しました。
そういえば去年もこの花を どうでもいいような文そえて 黄色い封筒に入れ 送ったね確か
「僕」は「君」に花をそえた文を送ってます。「どうでもいいような文」をそえて。
ここからした想像が2つ。
①「どうでもいい」とは、相手にとって「どうでもいい」文という意味。花を相手に送るなんて、相手を思う気持ちが強くないとなかなかしないはず。だけど、君にとっては「どうでもいい」、大したことはないだろうね、という揶揄。
②文は「どうでもいい」。そえた文には上っ面の挨拶だけしか書いてないから。要するに、この花を見てくれ、と。できるなら、この花を見に来てほしい。「花」に自分の気持ちがつまってるんだよ、ということ。
個人的には②の解釈が好きかな。
また同じ 花が咲いた 遠くの君に 届きますように
僕は花を送っています。その花はきっと「ふるぼけた街」で毎年咲く花なのでしょう。
「遠くの君」なので、やっぱり簡単には会えないんでしょうね。
この街ではまた花が咲いたよ、僕は元気だよ、また花を見においで。
そんなことを思う僕を想像します。
また同じ 花が咲いた 大事な君に 届きますように
最後のサビでは「大事な君」になってます。
花を送るくらいですもんね。そうだよね…そうだよね……。
こんなことしか できないけれど 泣きそうな君が 笑いますように
鮮やかな雨上がりで 僕らの明日も 澄み渡りますように
この歌詞から伝わってくるのは、「僕」のただひたすらな静かで大きな愛です。
遠くにいる会えない「君」の幸せを、ふるぼけた街で、そっと願っている「僕」。
なんて美しい図なんだ……((泣))
この「僕」と「君」がどんな関係なのか、明確に描かれていないところが、想像の余地を掻き立てて、美味しいところですね。
恋人同士でも、信頼し合った友人でも、社会人と学生でも、「僕」の片思いでも…
美味しい!!!!
(完)
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