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モルカーを見て病んでしまった話。

毎日アニメを描いている

 正月から毎日一本、5秒〜10秒のアニメを描いている。2本の日もあるけど「毎日やる」のは目的ではなくて手段だ。とにかく、取り憑かれたように様々な手法で描いている。ただ、インスタでアップするようになってから、仕上がりの目標ができたような気はする。

 短くて、何らかのコンセプトがあって、見ていられる動画。そんなところだ。自前のキャラを動かして、真面目にアニメの練習だ。特に注目されることもなく、知人が「いいね」を押してくれている。

 ただ、この日に描いたアニメがまずかった。モルカーというNHKでやっている人形アニメがある。フェルトで作られたモルモットの車(この発想力よ……)がドタバタと動き回る、大変可愛く、かつ作っている人の中身のダークさが漏れている、Twitterでいえば「ちいかわ」みたいな感じだ。

 これ、確かに可愛くて面白い。ぼくも早速描いてみた。普段と違って輪郭線なしのアニメの練習にもなるかと思ったからだ。新しく作ったキャラと、自前のキャラ「ゲロたん」が議論をしていると、そこへモルカーがやってきてプイプイと泣く、ほだされたゲロたんは行き先を示す。キャラ者として嫉妬心を感じる猫は怪訝な顔でゲロたんを見る。

 うん、まあ、いいんじゃないの。練習だし。ちょっとヨーロッパのアニメみたいな雰囲気もある。ただ、完成を急いだことも、BGMや効果音をつけなかったことも、モルカーの動きを早くしたことも、色々とまずかった。そう、これは題名にもあるとおり「まずかった」というお話だ。

この話は明るい結論に着地する。

 モルカーは面白い。素晴らしい出来だ。労力も、それに見合う内容もある。ぼくは今年になって急にアニメを練習し始めて、まだ基礎を学んでいる最中だから「モルカー」そのものには憧れしかない。

 ただ、モルカーに便乗したバズツイートが流れてくると、今までに感じたことのないおぞましい感情が頭に浮かんできた。「なんで、これが? この6コマループで飛び跳ねるだけのモルカー便乗GIFアニメが?数万もいいねが?」

 積み重ねがある、フォロワーだって数万の人だ。だいたい良く元ネタに似せて描いてある。短く、大事な要素だけを切り出している多くの人が軽い気持ちでいいねやRTをしたくなるはずだ。そりゃわかってる。

 わかってるけど……びっくりした、自分の中にこんな感情があるとは思わなかった。ぼくのTwitterをフォローしてくれている人は、基本的に脚本家としてのぼくをフォローしてくれている。アニメを作っていることも「まあなんかハマってんだろ」くらいの気持ちで見ていてくれているのかもしれない。

 いや、自分でもなんでこんなにハマっているのかは言語化できていない。

 線を描く、それが動く、形のある物体としてあるように見えてくる。

 ただそれが楽しくて、気持ちが良くて、ハマっている。

他人を見る時期、自分を見る時期

 作品を作っていると、他人の意見を参考にしなければいけない時が必ずくる。なぜなら自分の作品を見てそれに金や時間を使うのは、いつだって他人だからだ。もちろん、他人の意見には様々なものがある、玉石混合だ。教えを得るものもあれば、怒りで奮起していい作品に取り組む活力になるものもある。

 作る過程においては先人の教えも重要だ。先行する作品を見て、それがどのようにして作っているのかを分析するのも役に立つ。何かを作る立場にいるなら、売れたり評判の良いものを見て参考にするのもいいだろう。逆張りで他にないものを作るときにだって、有名なものを知っているのと知っていないのとでは格段に差が出る。

 ただしこれは「作品」と呼べるべきものを作ったの話だ。

「それ単体として完結し、内容やコンセプトが明白で、それを見た誰かが他の誰かに紹介できるもの」

 「作品」とは、そういうものだ。

 ぼくはまだアニメ「作品」を作ってはいない。単体で面白い感じのものは作れているけれど、何も知らない他人が見て「すげー!」となるようなものではない。練習段階だ。だからまずは自分を見つめなければいけない。何しろまだ、アニメを描き始めて12日目だ。

 飛んで、滞空して、着地する。物事をやるのには何事も過程が必要だ。

 まだ、これが何になるのかはわからない。けれど、何かになるような気がして毎日手を動かしている。体を壊さない程度に、生活を圧迫しない程度に、やってみたい。

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