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「最近の○○がわからない」がわからない。

 冬になると夜になるのが早い、夏は逆にいつまでも夕方が続く。毎年、同じことにおどろくのは、感性がゆたかなのではなく、記憶力が曖昧で情報の管理能力が希薄だからだ。例えば床の上に積まれた資料としての本、壁際に積み上げられたいつ使うのかわからない(だが確実に必要になる)小道具制作のための道具たち。すでに頭の中では整理しきれてはおらず、目録を作ることも放棄している何かたち。机の上に置かれたiPad、その下に置いたノートPCのためのトラックボール、その手前にはiPadのキーボード(少し机からはみ出している)、iPadの裏には湯沸かしポット、iPadの左手前にはコースターにマグカップ、その隣には映像編集や脚本執筆をするためのノートパソコン、その横には作りかけのプラモデル、プラモデルのためのナイフとヤスリ、接着剤、財布、スマホ。

 感性がゆたかなのではなく、記憶力が曖昧で情報の管理能力が希薄なのだ。だから新しく流行っている何かを見ても、だいたい面白く楽しめる。「あれが違う」「これがダメだ」と難癖をつける同世代を見ていると、ちょっとした優越感すら抱くこともある。「最近の○○がわからない」なんて言ったことないぜ。

 いや、それは嘘だ。新しいものではなく、古いものや新しいけど合わないものを楽しめないこともある。過去の作品を見て「あれが足りない」「退屈だ」と感想を抱いてしまうこともあるし、テレビでわあわあと騒いでいる“最近の”バラエティを見るのが苦痛で仕方ないのは、感性がゆたかなのではなく、自己が確立しておらず芯がもろく、流行を受け止める心の余裕がないからだ。

 だから、最近の若者のどこが悪いのかが、全くわからない。自分が若者の頃から嫌な若者はいたし、迷惑な大人もいた。生きている間に自分が「最近のダメな若者」扱いをされていたこともあるし、これは実を言えば今の今、40歳を越えてからも「最近のダメな1976年生まれ」扱いをされているような現状はある。それを言ったら自分を含めた上の世代も「最近の中高年はダメだ」と言われているし、団塊の世代もみんなコンビニで怒鳴ったりレジでクダを巻いたり、とにかくみんなダメなんだ。

 ただどうも、しっかりした人たちは「最近の若者はダメだ」と言う。これはきっとおそらく、己の芯がしっかりしているからだ。現に、それを言う人の部屋はとても整頓されていて物がどこにあるのか一目でわかることが多い。

 楽しいことが多いのは、幸せな人生だと思う。ただもう少し、部屋を片付ける能力が欲しかった。たくさんのアドバイスを受けて、本を読んだりもして、かろうじて財布とスマホの居場所だけは同じところを確保している。それくらいしか管理できる能力がない。誰かに部屋の中のものを勝手に触られるのも嫌で、これは自分でも狂気じみているから困るなあと、いつも感じている。

 来年は、もう少し、いらないものを捨てたい。

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