見出し画像

生きてる

 2018年の12月30日は爽快な1日だった。翌日のコミケに間にあわせるために朝から共有の場所でバリバリと小道具を作り、脚本を書いた舞台は連日大入りの千秋楽で、食いたいメシを食うほどの金もあった。夕方に訪れて仕事をしていた別現場の若いスタッフが、年末進行に耐えかねて漏らした一言を聞くまでは。

「もうやだ、死にた〜い」

 おおそうか、そんなに忙しいか。要は「逃げ出したい」「終わらせたい」「でもやめられない」「ギャー」といった叫びを簡略したした、ちょっとした軽口である。だが、おれにはたくさんそう言って死んでしまった友達がいる。年の瀬を越せなかった友達もかつてはいた。心がふと揺れて「そういえば海外旅行って行ったことある?」と話を切り替えた。
「シンガポール行きました、いいんですよ〜」
「じゃあ、シンガポールに行きたいんじゃない?」
「そうか、シンガポールに行きた〜い、台湾も行きた〜い
「いいぞ、行こう行こう、来年はいろいろ行こう」
 笑って「よいお年を」と見送った。心のゆれは、まだ治らなかった。

人は死ぬ

 容赦なく死ぬ。さっきまで楽しく飲んでいたと思ったら翌日知らせが来ることもある。おれは子供のころからずっと「自分は死なない」と信じていたし、死にたいと思ったこともない、と思い込んでいた。だから30代になってひどい生活をしていて苦しい思いをしても、病院に行くこともなかった。自分が病気だとも思っていなかった。
 こんな部屋に住んで、ガスも電気も止められて、コートを着たままダンボールの隙間で眠っていたのに。

画像1

 ドアは木で、下の方は腐って穴が開いていた。トイレは共同、床には文字を書いた紙がちらばり、ドアの前にはパイプ椅子と壊れたテレビが置かれ、またがないと部屋の外には出られない。友達など呼べる場所ではないし、そもそも遊ぶような友達も恋人もいなかった。仕事は全てあきらめて、警備員や倉庫の整理など、他人と関わらないで済むようなことばかりをしていた。眠れないから放浪し、重い中古のノートパソコンに何にもならないことを延々と書き続け、疲れ果てて眠り、出勤時間になると起きてそのまま壊れたテレビをまたいで部屋の外に出た。

 冬だった。文字をかける人を探している、という知人の家に無理に転がり込み、アパートを引き払った。家の本は全て他人にあげた。身一つになっても、なにひとつまともにはなっていなかったが、少なくとも知人の家にいれば仕事と収入があった。そうこうしているうちに、脚本を書かないかと言われ、書き、知人に不義理をして家を追い出され、別の知人の家に転がり込み、また追い出され、転々としているうちに高円寺の淀みにたまり、そして今、まだおれは生きている。睡眠導入剤と、頭を整理するための薬を呑み、部屋は散らかっているが、片付けようと思う意思はある。ドアの前にテレビはない。

 社会的にも死んでいたし、おそらく希死念慮にも襲われていたのだろう。だが、生来の「死なない」という思いが強すぎて、それに気づかないまま生きていたのだ。そういう人は、実は多いのではないか。知識がない、よい友人に恵まれない、家族や親戚が無理解である、といった状況の中で、自ら追い込まれていく人は、何も知らないまま死んでいくのだろう。何も考えず、何も感じず、何も生まず何も得ない。

 生きているように見えて、死んでいる。ゾンビのようなものだ。

生きたまま死なないために

 おれは運がよかった、周囲の人にも恵まれた。いまでも恐怖はある。自分が誰にもまったく必要とされず見捨てられる恐怖は子供の頃からずっとある。だが、自分の恐怖ばかりに注目するのは、そんな事情とは何の関係もない多くの人々に失礼だろう。なにしろ今は生きているし、客観的に見ても生きていると言えるだけの評価を得られているのは、多くの関係ない人々のおかげなのだ。

 生きたまま死なないためにできることは、たくさんある。何もかもを手に入れられるわけではない。自分の頭に収められる以上のことをすれば、いつかは破綻する。それでも楽しいと思って生きたい。新年をめでたいと言いたい。もちろん社会はめちゃくちゃだ。権力者は金を貯めることに必死で、木っ端のようなおれたちの命など蹴散らしてかまわないと思っている。だから怒りを燃やしてもいい、過去を改竄して得た現状肯定などクソ喰らえだ。

 それでもめでたい。おれたちは生きている。

 本当の死は一度しか訪れない。だから死んでいった友達が夢枕に立ってもそれはおれの妄想だ。少なくともまだ生きている君たちとは、現実の世界で会えるのだから会える時に会いたい。シンガポールでも台湾でもロサンゼルスでも行きたいところに行きたい時に行こう。ほら、めでたいじゃないか。
 2019年という年が、楽しく愉快な一年であるように。

 年賀状す

画像2


サポートしていただけると更新頻度とクォリティが上がります。