「いつの日にか、あの歌を・・・」について
これ3点リーダーじゃなくて、中点3つ打つのが正式表記なんでしょうか。
「いつの日にか、あの歌を・・・」
・34thシングル「Monopoly」カップリング曲
・メンバーは5期生11名、センターは小川彩
・作曲は松尾一真さん
「人は夢を二度見る」が好きなので松尾一真さん再登場は嬉しい。これもなかなか癖のあるメロディで聴き込みたくなる楽曲です。こちらがJ-POPの固定概念にガチガチにやられてしまっているだけだと思いますが、「そんな大切な~」の部分がCメロなのかサビの続きなのか、一体どういう意図で作られているのだろうかと興味深いです。
MVの監督はおなじみ大久保拓朗さん。「錆びたコンパス」「考えないようにする」と同じ系統で、はじめとおわりにモノローグが付き、色にこだわるのある映像になっています。
それにしても覚えにくいタイトルですね…。「5番目の声」とか「バトン」とかでよかったんじゃないかと思います(適当)。歌詞の内容としては、先輩に対する憧れの気持ちを歌っているもので、ざっくり言ってしまえば「4番目の光」の5期生版ということになるかと思います。ただ、あまりにも何もかもを言い過ぎているんじゃないかなという印象です。
もう何度も聴いて慣れたということもありますが、「4番目の光」はそこがギリギリのラインで抑えられているように感じます。あくまで曲中の舞台は高校に喩えられているし、憧れを抱きながらも前に進んでいこうという意志を感じる歌詞になっています。ちょっと引っかかるのは「万感の想い」ぐらい。わかるようでわからない、抽象的な「光は愛」というフレーズが最後に刻まれているのも頭に残るので良いと思います。
それに比べて「いつの日にか、あの歌を・・・」は、何かに置き換えられていないのでどうしても乃木坂46のことを歌っているように聞こえてしまう。いつもは何にでも誰にでも置き換えられる歌詞こそがいい歌詞だと主張しているのですが、こういう内容になると、彼女たちが歌うことで意味をもってしまうので逆効果ですね。「アンダー」と同じです。乃木坂46が乃木坂46のことを歌っているのだと捉えると、やっぱり「触れてはいけない清らかなもの」だとか「涙が溢れて止まらない歌詞やメロディ」って、自分で言っちゃってるよ、みたいな気持ちにもなってしまう。
言い方が悪いけど、だらだらと自虐し続けている歌。
TBSで放送している「プレバト!!」という番組が好きでよく見ているんですが、俳句の講評で夏井先生がよく言っています。限られた17音でどう表現するか、無駄な言葉、重複する意味をもつ言葉を使わない。
俳句の基本として、できるだけ「状況説明をしない」「心情を表す言葉を使わない」というのがあります。だらだらとただ起きていることを詠んでもどこにも詩情がない。心情を直接言葉にしてしまうのは野暮で、映像などの五感を詠むことで登場人物の心情を読み手に想像させる。
アイドルソングは俳句ではないので関係ないといえば関係ないんですが、自分が感じたニュアンスが伝わりやすくなるかと思って書いてみました。要するにこの歌詞はめちゃくちゃストレートに言いすぎている。憧れの気持ちやそれを背負うプレッシャーを歌いたいのであれば、また別の表現方法があるんじゃないかなと思いました。比較に出した「4番目の光」だってもちろん気持ちを歌ってはいるので、あくまでトータルバランスの話です。
それではさようなら。
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