断片的なもの

 ※引用はすべて岸政彦『断片的なものの社会学』(朝日出版社,2015)より。


 早川聖来さんが卒業前、レギュラー出演していたラジオ番組『INNOVATION WORLD』に生出演した際に、最近読んだ本の一例として挙げられていた作品を読んでみました。簡単に影響されます。
 社会学と銘打たれてはいますがお硬い本ではなく、単純に読み物として面白かったです。早川さん曰く「切り取られた世界の中で人がいかに同じ時間を色んな場所でどう生きているのかを考えさせられる」とのこと。差別などの社会問題についての言及もたくさんありますが、著者自身が書いているように「分析も解釈もできないことを集めた」という本です。個人的には、言い切らない表現が多いところがいいなと思いました。一つの意見を表明しても、「とはいえ」「しかしまた同時に」と続く。それが自分には心地よかった。断定されてしまうとちょっと息苦しくなる。

 で、とても面白かったのですが、それとこの記事には何の関係もありません。読んでいる最中に、連想してふと思いついた乃木坂46に関する断片を書き残しています。引用した原文の文脈とは何の関係もないことを、ご了承ください。

通りすがりの早川聖来さんとジェイミー

■「本人の意志」の話

「本人がよければそれでよい」というのは、ひとつのやさしさだ。私たちも、私たちがよいと思っていることについて、いらないことを言われたくない。

P.204「海の向こうから」より

 本人の意志はどこにあるのか、とよく考える。あるメンバーは序列の割に外仕事が少ないとか、なんであのメンバーは写真集を出さないんだとか、運営・マネジメントを批判するような声をよく耳にする。自分自身にもそうした部分はあると思う。しかしいつも「本人が望んでいないのだとしたら」ということが頭の片隅にある。
 最近読んだインタビューで、遠藤さくらさんが「支える立場になりたい」と言っていたり、賀喜遥香さんが「一歩引いてグループ全体を見たい」と言っていたので、いろいろと考えることがありました。ファンから「もっと映画やドラマに出てほしい」「センターに立ってほしい」と言われるのもしんどいだろうなと。あくまで例なのでこの二人がどうという話ではありませんが、本人が望まないという時、そしてそれが明らかになった時、何も知らずに批判していた人たちは何を思うのか。
 ・「理解できてなくてごめん」と自分の認識を改めるのか
 ・「仕事やる気ないの?」と手のひらを返すのか
 ・「運営に言わされてる」と過去の自分を押し通すのか
 本人の気持ちなんて外から分かる訳なくて、インタビューで言っていたとてそれが本心なのかは本人のみぞ知るところ。だから、批判も過度な擁護もせず、ありのままを受け入れるしかないのではないかと思ったりする。
 どんな活動でも本人の意志が最も尊重されるべきだとは思うけど、社会人であれば「労働」「会社」「売上」とかいう視点を無視できないのも確か。仕事なんだから「やりたくないからやらない」で片付けられるのか、ただのファンである外の人間には永遠に分かりません。


■「善意」の話

ほとんどの暴力が「善意」のもとでふるわれるからだ。単に、結果的に良かったものを良かったと、そして結果的に悪かったものを悪かったと、事後的に分けているだけなのかもしれない。

P.212「海の向こうから」より

 パワハラというのは加害者なりの「善意」なのだろうなぁと思う出来事がありました。結果的に被害者たちのパフォーマンスが上がったのだとしたら、それは「良かった」ことなのだろうか。自分の人生を振り返ってみたけど、厳しくされて良かったなと思うことなんか一つもないので、よく分からない。
 握手会やミーグリでメンバーに心無い言葉をかける人も世の中にはいるらしい。心無いとは言わないまでも、配慮が全く足りていない言葉。例えば「体調大丈夫?」とか。これももちろん気遣いを装った「善意」ではあるのだろうけど、絶望的に配慮が無い。自分の善意が相手に善意だと受け止めてもらえるか、ということを常に考えて行動する必要があると思う。(本来の意味であるところの)確信犯というのは全く始末に負えない。


■「居場所」の話

居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、手に入れられないかのどちらかのときで、だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。しかるべき居場所にいるときには、居場所という問題は思い浮かべられさえしない。

P.80「出ていくことと帰ること」より

 早川聖来さんが卒業セレモニーの最後の挨拶でこう言っていました。「アイドルは愛を巡らせて愛がまた帰ってくる、そういう場所なのかなと私は思いました。乃木坂46が愛の出発点で終着点でもあることをこれからも祈っています」
 その居場所を失くしてしまった。そこから去らざるを得なくなった?早川さんの言葉を思い出して、深く納得したものです。


■「幸せという暴力」の話

そうした幸せというものは、はじめに書いたとおり、そこから排除される人びとを生み出す、という意味で、それは同時に暴力でもある。

P.114「手のひらのスイッチ」より

 選抜入りするメンバーがいるということは、同時にアンダーとして活動するメンバーもいるということ。選抜入りしたメンバーに「選抜おめでとう」ということは当然かもしれないけど、一瞬だけアンダーメンバーのことが頭をよぎります。
 いつも仲の良い友達のような関係性のメンバーがいたとして、自分がセンターに選ばれ、友達がアンダーに落ちたり序列を下げたりした後、二人はどのような話をするのだろうか。片方は「おめでとう」と言うだろうけど、もう一方は何という言葉をかければいいのか。「残念だったね」「次は一緒に活動したいね」「何でだろうね」どれもしっくりこない。「ありがとう」と返すことしかできない。
 何をしても自動的に比べられてしまう世界は本当にしんどいと思います。攻撃をする意図が無くても、「写真集が5万部も売れたの?すごいね」と口にした瞬間、2万部しか売れなかった人への暴力が生み出される。暴力は嫌い。


■「くだらない自分」の話

かけがえのない自分、というきれいごとを歌った歌よりも、くだらない自分と何とか折り合いをつけなければならないよ、それが人生だよ、という歌がもしあれば、ぜひ聞いてみたい。

P.194「自分を差し出す」より

 乃木坂46の歌を探してみたけど、しっくり来るものはありませんでした。当たり前かもしれないけど、夢を見ようだの、たった一度の人生だの、かけがえのない時間だのと歌っていますね。アイドルは希望を光を未来を歌うものだから仕方ない。少しだけニュアンスが近いなと思ったのは「転がった鐘を鳴らせ!」でしょうか。そうでもないか。価値などない希望よ。


 本当にとりとめのない文章の欠片を並べてしまいました。まぁ元々終活と称して断片的なものを書き連ねていただけなので、何も変わっていないとも言える。
 基本的に本の虫ではありますが、読んでいる本のうち9割方は小説なので、エッセイや学問的な作品を読むのもいいですね。脳みそのいつも使わない部分を刺激される感じがありました。それでは。


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