「僕が手を叩く方へ」について

 懐古主義者ですが珍しく新曲についてです。

「僕が手を叩く方へ」
・30th「好きというのはロックだぜ!」のカップリング
・メンバーは3期生11名、センターは久保史緒里
・作曲は藤谷一郎さん

 30th収録曲の中では一番好きな曲調でした。作曲の藤谷一郎さんという方は乃木坂46への楽曲提供は初めてのようですね。

 初めて聴いた時は導入が少し暗すぎないかとも思ったのですが、通して聴くと一曲の中にストーリーが見えてくるので、それもいいのかなと思い直しました。ザンビでも出てきそうな不穏な気配漂うピアノの旋律からは闇に迷う君の姿が見えます。同じフレーズのリフレインだけど前奏と間奏では感じ方が変わるし、ギターソロ、演奏音が消えてクラップのみになるところなども流れに変化があってよいと思いました。

 ANNでのセンターを務める久保史緒里さんのコメントは「こういう曲を歌えるようになったんだ3期生も」「ストレートな応援ソングかなと」というものでした。
 少しずれますが思い出したのは、逆に「大人たちには指示されない」はタイミング違ったよなぁというものでした。何でほとんどが成人したようなタイミングでこの曲を3期に?と思ったものです。大園桃子さん最後の曲なのに……。”超彫刻”が生まれたのは良かったけど。

 仕切り直して、この「僕が手を叩く方へ」は、3期生が名実ともに乃木坂46の中核、引っ張る立場であることを改めて示すための歌だと思います。新人でも、もはや中堅でもなく、ベテランである。先輩として、後輩である4期生・5期生を導く立場であるということですね。自分たちがブレない土台を作っているから、余計なことは考えず全力を出せばいい、と。
 3期生に対してとか、大園桃子さんに対してみたいな解釈もあるみたいですが、乃木坂自体が元々内向きなグループではあるとはいえ、個人的にはもう少し前向きな曲かなと思いました。受け取り方は人それぞれ、というのは大前提です。

 ただちょっと自分は捻くれているので……歌詞を落ち着いて読んでみると、実は「僕」がとんでもなく傲慢ではないか?と思ったりもします。「僕が手を叩く方へ 君は歩き続ければいい」「僕が手を叩く方が 君にとっての未来なんだ」というのはさすがに言い過ぎでは?どこに根拠があってそんなことを言うのか。本当に責任とってくれるのか?
 よっぽど自分に自信がないと言えないような言葉たちですが、恐らくは自身に対しても奮い立たせる意味で言い聞かせるように言っているのでしょうね。震える足を鎮めるには強い意志が必要です。

 こういう曲調になるとやはり歌声に説得力が必要なので、歌い出しなど目立つところを任されるであろうポジションに久保史緒里さんを置くという判断は納得できます。立場とか序列というよりは歌声で決めたセンターじゃないかなと思います。

 三番目の風になろうと言っていたあの頃からもう6年。
 そろそろ多くのメンバーが新たな道を探っている時期かとも思いますけど、自分のことが第一というのは前提として、できるだけ多くの後輩を導いてあげてほしいですね。

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