「ここにはないもの」について

 こんばんは。

「ここにはないもの」
・31stシングル表題曲
・センターは齋藤飛鳥
・作曲はナスカさん

 エースの卒業シングルに、とても真っ直ぐな曲をもってきたことに少し驚きもありつつ、この美しい曲で見送ることができるのは単純に嬉しかったです。イントロから、メロディにしろ衣装にしろ振付けにしろMVにしろ、歌詞が詰め込みすぎなところも含めて乃木坂46らしい楽曲だと思います。
 好きなポイントでいうと、1番ではイントロの旋律が裏で流れているのに対して2番では流れていないところとか、Cメロ前に水滴の音が入るところとか。これは別れの寂しさによる涙が落ちる音なのか。波紋が広がっていくイメージから、空の大きさやこれからの人生の展望が開ける様を表しているのか。

・歌詞の話①
 「ハルジオンが咲く頃」の記事への追記になりますが、卒業センター曲としてのセンターの立ち位置について。

【どちらが去るのか】 去っていく人:僕
ーごめんね これから 出て行かせてくれ
ー後ろ髪を引かれたって 君に甘えたりはしないように

【センター卒業後の扱い】
 卒業後に披露されたのは11th YEAR BIRTHDAY LIVEのみ。卒業コンサートも行われていない状況なので異例といえば異例ですが、遠藤さくらさんセンターでパフォーマンスされました(スクリーンに齋藤飛鳥さんを添えて)。卒業する人は「僕」なので歌詞の反転は必要ですが、これはまさに「ハルジオンが咲く頃」で川後さんがセンターに立った意味合いに似ており、オリジナルのセンターを想ってパフォーマンスすることで、楽曲のメッセージが最も強く伝わる形になると思います。

・歌詞の話②
 この曲の歌詞には、どうやらこれまでの作品を象徴する言葉が散りばめられているらしい。「サヨナラ」や「希望」はありがちだとしても、「カーテン」や「裸足」はあまり使われないだろうから、事実そうなんだろうと思います。少し中途半端かなとも思いますが、「他人のそら似」の振付けみたいに羅列してしまうと陳腐になるので、これくらいがちょうどいいのかもしれない。

 歌詞の中で1点だけ意味がわかるようでわからないフレーズが「わがままなクラクション」です。このフレーズは別の曲でも使われていません。前後の流れから推測すると、社会に飛び出そうとしてドアを開けてみるも、四方からクラクションを鳴らされて外に出るのを躊躇う、みたいなイメージで使われているのだと思いますが、いまいちはっきりしません。なんか唐突だし、クラクションに対して「わがまま」というのも、あまり一般的ではない形容だと思います。

 これが、どこかからの引用なのだろうかと思って検索をかけてみると、唯一引っかかったのは、シーナ&ザ・ロケッツの「ミス・トパーズ」という曲でした。作詞は阿久悠さん。阿久悠さんへのオマージュの線もあるかなと思って歌詞を読んでみると結構面白くて、ミス・トパーズという二つ名をもつロックな女の人生を追いかけながら、彼女に語りかけています。

きみの姿を遠くから見たのは二十二歳
いいクルマ転がしながら うんとすかす
とびきりいい女だと ツンとして
わがままなクラクション鳴らしてる

ミス・トパーズ もう ミセスかい
ミス・トパーズ もう ミセスかい
きみがほんとに笑った顔を
ぼくは一度も見たことがない

「ミス・トパーズ」

 とはいえ、「ここにはないもの」の「僕」と「ミス・トパーズ」は全くイメージも重ならないので、齋藤飛鳥さんを「ミス・トパーズ」に見立てたということも無さそうです。だから、この話には何の意味もありません。わがままなクラクションは謎のままです。

 こういう全く意味のないことを考えている時間が人生を豊かにしてくれると思います。

飛鳥さんのグラスで勝手に乾杯する賀喜さん

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