「モノより思い出」となり25年、いま物産振興を正面から考える。
もはや遠い昔ように感じる1999年。
テレビにはまだ力があり、
景気の出がらしを絞りだすように
番組の合間に流れる、車のCMでは、
「モノより思い出」
と、新たな価値観を呈して
消費喚起を続けていた。
時代の空気感を先取った
当時の日産セレナのCMコピー。
「モノより思い出」という言葉は、
プライスレスな体験こそが新しい時代の価値であると提唱した。
同時に、戦後発展を続けた社会の豊かさが
ひとつの天井を打ったことを知らせた。
それから四半世紀…。
2024年のいま、私は困ってしまった。
地方民泊を切り口とした
観光まちづくりの道を模索する中で、
群馬県観光物産国際協会の理事という
大役を拝命することとなった。
そこで私に課された役目のひとつは
これまでの観光物産のあり方を見つめ直し、
同協会が自走できる環境をつくること。
(もちろん私一人では何もできないので、
まずは今の物産領域を取り巻くリソースを棚卸して、
各会員のニーズとともに無理なく再構築する。
ことが当面のターゲットとなるであろう)
もちろん、この大抜擢は身に余る光栄で、
新たな挑戦を前にワクワクもしている。
しかし、しかし、
前述の通り、すでに豊かさは多くの人に行き渡り、
モノの時代はとうの昔に終わっているのだ。
「モノの時代は終わったが、物産の未来を考えよう」である。。
私は困ってしまった。
この”とんち”のような難題を前に、
物産という言葉に空虚さを感じていた私は、
当初なかなかテンションが上がらなかった。
いや待て、よく考えてみると、その答えに行き着くための
大きなヒントはすでに出されている。25年前に。
そう、あの名作コピー、「モノより思い出」である。
人は新時代の価値観に気付きながらも、
物を売ることだけを繰り返してきてしまった。
いまこの価値観を改めて物産振興に落とし込むことができれば、
時代にあった持続可能な物産振興を再定義できるはず。
たぶん、もしかしたら、ワンチャン、、という仮説。
「モノより思い出」は、”モノ”を排斥する表現を含むので
「モノと思い出」と、表現を調整してみてもいい。
”思い出”という言葉を、”体験”と言い換えてもいいかもしれない。
モノをもっと体験の近くに置くこと。
物産観光と体験観光が一体となった価値提案。
いわば体験と地場産品のセット販売。
この光明に物産振興の新たな未来を感じている。
ご興味ある方ぜひご一緒しましょう。
余談:
先日、協会の新任理事たちと県知事に謁見する機会があった。
毎夜、知事が熱い紅茶を飲みながらつづる人気ブログ
「山本一太の気分はいつも直滑降」は
わが家でも時々話題になるほど好きな読み物だったので
ブログに集合写真を掲載いただけてうれしかった。