【膝枕スピンオフ小説】膝枕と1人の男 柘榴哀歌‐ざくろエレジー‐【R15】※修正済み


膝枕と1人の男 柘榴哀歌ざくろエレジー


それは、インターネットを通して発覚した惨劇の物語であった

匿名掲示板にて流出した情報の中に怪しげなリストが見つかる
それは反社会勢力企業が殺害した人間のリストだった
拉致した一般市民を殺害し、加工して自社製品として販売していたという

以下、流出情報(一部)

【閲覧注意】流出した企業の内部情報が洒落にならない

有限会社スピノザ工業
『不適合人民活性化プロジェクト』
人格異常が見られ社会的な害悪・不適合者と判断された人民を選別し、新たな形で有効活用ができるよう改造するプロジェクト、それぞれの身体的特徴を活かして人々の役に立つに変える

通称・人民リサイクル

社訓
・肉体は魂の器にすぎない
・ゴミは分別、リサイクル
・鬼畜外道を生きたまま野に放つべからず
・警察よりも優秀な目であること

商品一覧

装飾品
・剥製
・アクセサリー
・マネキン
・革製品
・歯の模型

アダルトグッズ
・オナホール
・ディルド
・顔なしラブドール

日用品
・石鹸
・香水

AI搭載セラピーグッズ
・膝枕
うで

その他
・家畜用の餌
・会員用顔つきドール

(以外、殺害した人々の名前と顔写真が並ぶ)

【古今東西ニュース速報まとめより引用】

事件当時、世間ではセラピーロボの一種「膝枕」が流行しており、その流行に乗り発売した企業のひとつであるスピノザの商品が市場に出回っていたことで注目された
これにより膝枕以外にも、死体を加工した多くの商品が生産されていることが発覚し、それらが大手販売サイトにも流通してたことから、人々は知らない間に人身売買に手を出していたという事になる

この衝撃的な事実は下請け企業の男の告発により情報をネットに流され、この事件が取り上げられるようになった

そんな裏社会での非人道的な大量殺人事件が発覚してからしばらくの出来事だった

ある本が出版された
『柘榴哀歌‐ざくろエレジー‐』

有限会社スピノザ工業 元代表 澤木真一さわきしんいち死刑囚 出版当時56歳
東京都F刑務所にて澤木が書き記したものだった
男は半グレの世界の中で、多くの仲間を率いてこの事件に大きく関与した張本人だった

澤木の心情と事件の裏事情を著書から読みといていこう


以下『柘榴哀歌‐ざくろエレジー‐』引用文
この私、澤木真一がいつのまに壊れたか

テレビで私どもの話題が広まって、皆さんご存知のことでしょう

かつて有限会社スピノザ工業にて「膝枕」なるセラピーアイテムの開発・販売を勢力的に進めていた
元々、私の会社はセラピーアイテムを作っていた訳ではなかった

私の会社、スピノザとは何なのか
発足は日本が大不況と陰鬱に呑まれていた1996年、私が大学で得た知識を元にやって来た事業だ
由来は哲学者のバールーフ・デ・スピノザから来ている

それはゲテモノのような肉欲・禁忌への好奇心・破壊衝動を持つ社会的に外れた仲間……そして人体の愛好家に向けた商品を販売していた神聖な組織であった

私たちが厳選した"社会に放り出してはいけないが、それぞれの美を奇しくもを兼ね備えた哀れな肉塊"に手を加え…マネキン、ラブドール、アクセサリー、剥製……あらゆる芸術に仕立て上げ、美しく飾り立て、それを提供していたのだ

基本は一般の小売業、知り合いのコネクションとの販売
そして通信情報匿名化ソフトウェアを通して利用できる会員制のオンラインショップでの販売をしていた

オンラインショップは専用のソフトウェアを通しているとはいえ、あくまで仮想通貨での運用の為と外部から情報が漏れないようなシステムになってるだけで、会員たちが私たちと取引する際には身分証明書と顔写真の提示が必要であり、厳重な審査の元で会員になれる

選ばれた会員には指名で顔付きの商品を選ぶ権利が与えられる

有難いことに沢山のお客様が私たちの商品を迎え入れてくれた
しかしいくら顧客が付けど、ターゲット層に偏りがあるわけで、時より経営に余裕が無いこともしばしば
なるべく従業員には苦労させないように、賃金の方は保ちつつ、私が全て負担していた

こんなにも面白い仕事、無償でやっても心地がいいほど私にとっては天職なもので、負担なんて何のその
それより新しい材料がなかなか見つからない時が、何より苛立ちを覚えたことか
この仕事にやり甲斐を感じる部分は、人を解体し、どういう商品にしようか加工する所にある

生命がただの物に生まれ変わる
生き物としての役目は終わっているのに、新たにあるがままの物としての役割を担う存在になる
存在意義がすり変わり、思考する脳みそがかつてあった生命が本来の役目を破棄し『実存』の概念が宙を舞う、残るはただの物……こんなに面白いものは無い

人民リサイクル事業の基本の一日は
リサイクルして欲しいものがある依頼者の話を聞き、または寄せ集められた情報をもとにリストを制作
目標の材料を捕えに行く為に会議
材料に合わせたシチュエーションで相手に近付き、拉致して材料を揃える

そして工場内で各分野にわけで商品を生産
下請けにも関連商品の依頼をする

寄せられた価値のない人間の情報を吟味し、拉致の元、肉体をチェックし、何の商品に施すか考える

私らは使う価値のない人間の魅力的な一部を切り取って商売していた
端正な顔、しなやかな手、手入らずのままの性器
どれほど社会的に必要のない人間でも備わっている部品を保存し、共有するのが役目

何を根拠に役立たずと決めるのか
簡単な話、他者に危害を加えているかどうかだ

犯罪者は勿論、家庭内暴力、学校や職場でのハラスメント行為が目立つ者を選ぶ
なので例えば引きこもりだからとか、知的障害だからとかの理由で頼まれても、対して本人に加虐の罪がなければ、程度によるが基本は断っていた
そういうのは福祉の仕事である
けれど、そういった福祉にすら手に負えない掃き溜めが集まるのもまた事実

例外として殺人犯だとしても、殺人にもそれぞれ理由はあるもので、連続殺人でない限り相手はしなかった
選定基準としては、殺人犯よりも性犯罪者の方が優先的である
性という人の尊厳を踏みにじり、死ぬよりも苦痛な時間を与えるなど、人の道理に反する

ここで材料の一例を紹介しよう

ブラックと言われる某企業の役員は、日常的な暴力行為により部下を精神疾患になるほど追い詰め、そして部下が提出した診断書を突っぱねたという経緯から採用

某進学校の教師は、一度過激な体罰行為により生徒を自殺に追い込み免職を受けたものの、それ以上のお咎めは無しという理由を聞いて採用

また芸能関係となると、タレントも裏方も女を食い散らかし、悪の限りを尽くす小金持ちの巣窟
表向きは引退や病死や自殺と片付けられた人々も、実は我々の元で材料にさせて頂いた

極悪人であれば罪を償って釈放されようが、即座に捕まえる

そしてこの事業は人民リサイクル、無駄を残さず商品にする
送られてきた役立たずどもの中には
痩せぎすから肥えた人間、醜い顔立ちの人間も勿論いるわけで、装飾品になれない者、余った部分には別の商品へと加工する

装飾品と染料の次に発案したのは"石鹸"だった
これは脂肪分と苛性ソーダがあれば人間(特に脂肪分の多い個体)で石鹸が作れる
血抜きして吸引した脂肪を鍋に入れ煮詰め、濾した人油に苛性ソーダを混ぜる
装飾品とは違う、原型がない役立たずの成れの果てになる瞬間は、装飾品を作り上げる時とはまた別の喜びを覚える
余った小間切れ肉は養豚場の餌などに移す

難点としては加工用の機械の導入・材料を新たに必要とするからさらにコストがかかる、余った部位など沢山あるからそれなりの鍋が必要だ

その点、膝枕事業は選定と血抜きが完了していたら、あとはマニュアルを渡した下請けに任せるので他の作業より簡単だったのを覚えてる

下請けに協力した○○工場には一度解体した内蔵とAI機能が備わったパーツを組み立ててもらっていた

私のセラピーグッズに搭載されてるAIは、最近のAIにしては感情が大人しいとの声がよく寄せられていた
それはそもそも人の肉体を売る商売上、方針として肉体から得る癒しを重視するため、最低限の知能しか与えなかった

私としては、本物の人間から肉体を得た人口知能が第二の人間になり変わろうとするとは、生意気にも程があると感じる
かつて人間だったものが道具として始まり道具で終わる、その運命に導くには、本来の人間らしい尊さがありながら、購入者に従順な道具でなければならない…だから微弱な知能しか取り付けない

これは単なる私のAI嫌いによる方針である

思えば、私は幼少期から狂っていたのかもしれない
私の母親は地元の小さな新興宗教の信者で、神様とやらにいつもすがりついていた

母親の話によると、真実とは
この世界は元々自然がもたらす潤沢なナチュラルエネルギーで構築されており、いつのまにかはずれ者の人々が悪魔と取引しながら生活を送るようになり、エネルギーが年々消費されているのだという
ナチュラルエネルギーを守る命の根源であり概念=人の形を成した教祖様が受け継いできたお告げの元、地球を守るために品行方正で信仰心強く生き続けると、大地に革命が起き、元の美しい世界になるという

根拠の無い夢物語だ
今となっては馬鹿らしいが、子どもの頃はなんとなく信じていた、そうするしかなかったのだ

地味な母はサークルに入ってから、どこかさっぱりとした雰囲気になり、それでいて複数のパワーストーンブレスレットを手首に着けて、手縫いのワンピースにめかしこんでサークルに行くのだった

そんな母親を「お母様」と呼ぶように言われたので、私は言うことを聞くようにした
父親は知らない
「僕の父親は「お父様」と言えばいいの?僕にもお父様はいるの?」と聞いたらぶたれた
そんな家庭だった



私は人が嫌いだ、社交場も嫌いだ
でも、人が作り出す"美しいもの"は好きだ

人は現世で美しい形を保っていようといずれ朽ちて果て、高度な知能の詰まった脳みそが丸ごと溶けて落ちる、たどり着くのはいつだって他の生き物と変わらぬ残骸

化粧を施そうが、爪を塗ろうが、真珠を身に付けようが、どんなに着飾ってもその下は肉

得を積もうが、名声を得ようが、端正な顔立ちのスターだって
成れの果ては肉、しかも腐敗だ

けがれの未来を待つ人が、残骸を残す前に作り上げた"美"

残酷な現実に相反した美こそ理想へのアンチテーゼ

それは高度な知能から生み出された必然なるもの、文明を築き生にすがる生き物が望んだ奇跡

私は肉や加工食品を口にしなかった
それは自然のあり方を重視する母からの教えで、母は殺生を…いや「死」の過ちを常日頃唱えていた

無駄な殺生に加担しない
それにより私たちはいずれ元通りになった世界=楽園にて暖かな御加護を受けると約束していたのだ

しかし待てど暮らせど楽園はやってこないと悟った日から、反抗期を迎えた頃に、私はようやく「死」は過ちではないと思えるようになった

むしろ、今は死に特別さえ感じている

大学では解剖医学を学び、剥製制作にも携わった
死というものの神秘をこの手で触れてみたかったから…

私はいとも簡単に母親に反抗し、ついでに新宗教の仕組みも独自で調べ出し、神様とやらに自分の人生を託すのをやめたのだ
それからというもの、母親との関係は良いものとは言えなくなったり、母は私が悪魔にいざなわれただとか喚いていた

母は常に私には将来サークルの中の女性と結婚するようにと言い続けていた
それに対する反発心か、私の知らなかった本性なのか
私は高校1年の春、男の先輩に恋をしたのだ

弓道部所属の3年生 Tセンパイ
勉学でも県大会でも好成績を残し、思慮深く、多くの教師や友人に慕われていた
文武両道の美しい存在

男ではあるが女子生徒にも負けず劣らずまつ毛が長く、その瞳は黒翡翠のように艶やかで
私より少し大きな体を持った包容力に反した、白くて細い腕は氷彫刻のような儚さ
全てが完璧だった

私はセンパイと同じ弓道部に入り、白魚のような手をピンと突き出し、鋭い目付きで的を得るセンパイの横顔を堪能しながら部活に励む日々

この時の光景は一生忘れられない

突然の事だった
ある日の下校途中、私のことをよく思ってない不良2人が、急に河川敷に呼び出してたかろうとしてきたのだ
わざわざ私の部活が終わるのを待っていたなんて、馬鹿は暇なんだなと……
気が済むなら金は出すし、1発くらい殴られてもいいかと腹を括っていたところ、そこに通りかかったセンパイが止めに入ってくれたのだ

王子様に助けられるという出来事が、まさか自分に訪れるとは思わなかった

取っ組み合いに発展…してまもなく、センパイは河川敷の階段に頭をぶつける形で倒れてしまった
それはあまりにも呆気なく、重い音を立て一瞬にしてセンパイは戦意喪失
そこに1回、不良が不意に頭を蹴りあげたが…頭部を複数衝撃を受けたセンパイはだらしなく痙攣し、泡を吹き始めた
様子がおかしいと気付いた不良共はグロテスクな光景に怖気づき、さっさと逃げていった
これ以上センパイがリンチされること無くて良かった

センパイの表情はそのまま固まり、何が起きたか理解してないような顔で転がっていた

その姿は捨てられたマネキン

人通りの少ない河川敷、静かな風が吹く中、私はただ訳が分からないままセンパイを見つめ続けたのだ
こうして惚けてる間にもすっかり血色の悪くなった先輩の体温は徐々に失われてゆく、先輩はあっという間に物になってしまう

「センパイ、大丈夫ですか」
何度呼びかけても反応はなかった
「……センパイ?」
頭から血が流れていた
センパイは長いまつ毛で黒翡翠を少し閉じていた

「センパイ…センパイ…」

何度も名前を呼んだ
センパイが死んでゆく

…センパイの魂は、概念は、あの時微笑んでくれた顔の表情筋を動かす力は…少しずつ消えてゆく

触っても抵抗が無かった、抵抗してくれなくなった
黒翡翠が見たくて綺麗な睫毛を汚さぬようそっとセンパイの瞼を指で開いた、それでも反応はない

目の焦点が会ってない、しかし黒翡翠は美しい
センパイの柔い瞼に大切に包まれ、そこにいる黒翡翠…蓋をするように瞼を戻す

ぱさ、と長いまつ毛が1本抜けた
羽根のように長く美しいまつ毛
でもは……

『死体』

甘美なひとときが、己の心音を引き金に現実を突きつけてきた

先輩は頭から血が零れて仕方が無いのに
私の体中に温かな血潮が巡ったのを感じた
同時に湧いてきた恐怖で苦しいくらいの心音が聞こえる

「センパイがっ、センパイが死んじゃった…あぁ…センパイ…こんなの…センパイじゃ……センパイ…センパイ…」

喉の通りが悪い、涙が止まらなくて鼻水まじりの絡まった呼吸が器官を通り情けない声を漏らした
だらりと涎も出てきてはしたない

だけど笑うしかできなかった

それはまるで、目の前の肉に我を忘れる駄犬

「せんぱっ…せっ…センパイ…僕の、愛しいセンパイ……」

センパイの胸に飛び込んだ
されるがままに僕を受け止めるセンパイのカラダ…
"僕"の心音は五月蝿いくらいに聞こえるのに、先輩の胸からは、何も聞こえない、何も鳴らない

「うぅ、センパイ…センパイ…ッ!!?」
見上げると、屍人の顔が下を向いて…半開きの黒翡翠と目が合った

生気の無い目だ、鮮魚コーナーに横たわった魚と同類だ
しかし、死んでも変わらず綺麗な人だ
羽根と黒翡翠で飾られた肉だ
センパイの漏れ出た唾液と鼻水が頬に落ちた

反吐が出そうになる、でもこんな美しい先輩の前で粗相をするにはいかない

死体、死体、こんなに間近で感じる、死体

「ひっ!!」
力のないセンパイが寄りかかってきた、重かった
誰だ死体は魂が抜けると体重が軽くなるだなんて言ったのは

……これが、センパイの重み…本当の先輩…残りの僅かな体温、強い先輩の匂い
頭の血は僕の肩を伝い、かつて生きていた名残りを証明してみせた
全てに取り残された僕を受け入れてくれるようなセンパイの重み

初めて死んだ人を生で見た、怖い、救急車、それよりも…

それよりも…

「はぁー……はぁー……くふっ」

力の入った呼吸を整え
センパイに包まれて僕は静かに果てた

「センパイのカラダを手に入れることができた」

僕は頬に伝った体液を拭き取るように舌なめずりをした

母が宗教に寄り添ってるように
僕の宗教はセンパイ…そして人間だ

湿った股間を擦り付けるように先輩の胸に抱きついた

死臭する前のセンパイの匂いを堪能してしばらく「どうしました?」と横から声が聞こえた
おそらく散歩中であったであろう通行人の男が、様子のおかしいこちらに声をかけてきたことによって"私"はようやく我に返った

通行人の男は力の抜けた先輩を抱えていた私と目が合った瞬間、事件性を察知したのでしょう
「大丈夫ですか?」と怯えた目で、しかし慎重に見つめてきた
私はなんと返せばいいのか…一瞬迷った
先輩を独り占めできる機会だったから…このまま抱えて自分の部屋に連れて行きたかった

しかしそんな事をすれば私は気狂いと見なされる

「…人が死んでます」

私は常人の仮面を被り、目に涙を溜めながら、救急車を呼ぶことにした

金持ちで両親にも愛された先輩の葬儀は豪華絢爛、大勢の弔問客が集まった
センパイを殺した不良共は来なかった
親御さんもクラスメイトも皆涙を流していた
生前それだけ尊敬されていたと言うことだ
しかし、そこにいる多くの人間はセンパイの死体の肌触りを知らない

肉とは私にとって人生の主軸であり、大きな障壁である

いくら母の呪縛から逃れようとも、私の人生の一部は母の教えから成り立っているもので、それに加えてセンパイの死の記憶から食肉への抵抗があった

食肉を否定はしない、命を頂くことは生き物が生きてる内に織り成す事ができる浄化・輪廻への道成になると思ってる
それに同物同治という考え方も存在し、生き物として食してようと損はないと思っている

しかし私はセンパイの死を引きずっている
他の生命を己の体内に入れることなどできないのだ
それを言ったら植物はどうなのか、というこの手の話に繋がりやすいが、動物と植物(細かく言えば昆虫類や微生物やウイルス)では命の形が違う、単細胞に左右される意味などない
人間が1番命に遠い形をしていて、細胞であればあるほど命そのものに近い

食事なんて多少割り切りが必要なもので、そうしないと生きられない
そうやって、生き物が知恵と本能で食らいついてきたというのに
私は、肉と呼ばれるもの……死体を食す行為ができない体に陥ってしまった

強いて、何の肉を口にしたいかと言われたら……

私はセンパイを食べたかった
センパイと1つになりたかった、焼かれる前に食い尽くしたかった、センパイを生を尽くして受け入れたかった
私にとって肉は劇物、しかしセンパイの肉なら、食べられそう

あの時、センパイを抱えて救急車を待ってる間に、早く食ってしまえば良かったものを……

アルバートフィッシュ、ジェフリーダーマー、佐川一政
彼らは大罪人、決して許されるわけがない愚か者
しかしそんな愚か者たちは、私には到底成し得ない食人にありつけている

この愚か者たちにできて、私にできないというのは何故なのか…
カニバリズムというのは、生き物の本能である食欲に反した、食物連鎖の頂点にいる人間としての尊厳を踏みにじる、罪であり神秘でもある人類史においての究極の生き様なのである

死体の服を脱がし、部位を切断するなり加工を施すなりといつものように仕事をこなしてるとセンパイを思い出す

あの時、魂の抜けたセンパイを家に持ち帰り、脱がして、好き放題味わい尽くして、2人きりの楽園に浸っていたかった

数多の死体を見てきたが、先輩と同等の物なぞこの仕事を続けて一度も見たことなどない、ましてや工場に集められたのは美しいセンパイなどとは違った人間性の欠落した役立たずばかり

それでも私は、センパイに満たして欲しかった心の穴と肉欲をこんな奴らを代わりにして自慰に更けるのだ

今でもセンパイの夢をたまに見る、夢の中のセンパイは美しく、いつもその場で眠ってるだけ
夢の中でも体温が消えてゆく感覚が伝わり、そのまま変色し腐りゆくセンパイの肉体

センパイが消えてゆく悲しさよりも込み上がる感情
センパイが溶けてゆく姿はもったいなくて、早く食っちまえばよかったと後悔に襲われ、苦しみ足掻く黒い夢

私は毎朝、柘榴ざくろを食べる
というのも、日頃有機野菜や果物を積極的に摂るようにしてるのもあるのだが、柘榴は人肉の味がするという噂話を信じてどこか依存している
これは短なる俗説で、この私がこんな話を信じるなど自分でも有り得ないのだが、ひとつの祈りのように私は柘榴の実を齧る

センパイの弓を引く逞しい腕の味を確かめたい、体液を余すことなく飲み干したい、硬い部位の噛みごたえ、柔らかな脳みその舌触りを堪能したい
そんな夢はもう絶対に叶わない

センパイへの独占欲とは裏腹に、私には新たな感情が芽生えた

私は母の教育の名のもとに人格を否定され続け、そこに矛盾するかのように時より良いように扱う母が本当に煩わしかった
母は私の「使える部分」にしか興味がなかった
ルールを破れば叱られ、神様を信じるふりをしたら褒める
都合よくてどうしようもない自分
この頃からだろう、人間の『使える部分』に着目するようになったのは…

センパイを殴った不良どもは、一度捕まったとはいえ少年院に入ってものの短期間で出所したという
センパイが死んだことは事故として片付けられた

私は一度、教師に問いただした
「センパイを殺したあいつらは、本来ならば死刑ではないでしょうか」
すると教師は激昂した
「死刑などと簡単に口に出すんじゃない!いいか、確かにあいつらのした事は許されない、しかしな、あいつらにも未来ってのがあってな…誰にでも更生する権利があるんだ!その為にあいつらは少年院に入ったんだ!」

未来?あいつらに?
センパイの未来を奪ったあいつらに未来があると?
償いをすれば死者が帰ってくるとでも?

人権のことか、そんなもんあんな奴らに必要ない
だが、基本的人権の元に世の中が成り立つというのなら、世間が加害者の未来を尊重し、更生が必要とするのならば
私が新しい価値を与えよう

無法者が生き延び、勤勉で真面目で罪のない人間が地に墜ちるこの世の中は間違っている

そんな社会不適合者を制圧し、物としての価値を与え、社会に有効活用する

それが私の使命であった



「膝枕?」

「は、はい……弊社のセラピーロボの制作技術を活かした新しい商品の開発には…スピノザ工業様の技術が相応しいかと……」

事業が忙しくなり始めた頃、とある町工場と手を組んだ、工場長は後に私を告発したという畑瀬という男だ

畑瀬はひ弱そうな成りで、経営が傾いた自分の工場を建て直したいという申し出をしてきた
経営者の意地が反社と手を組もうなど、尊厳もクソも無い

そんな男が提案したのが、流行りのセラピーパートナーの一種である「膝枕」の開発である

「…すいませんわたくし、流行りに疎いもので…」

膝枕、人体の保存を得意とする我々にかかれば作るのに造作もなかった
しかし、なぜ膝枕がセラピーの効果に該当するのか、私にはいまいちよく分からなくて、自分の中で納得できる理由を探した

何故このようなものが流行っているのか不思議で仕方がなかった、特に膝が重宝されるということが…

膝が枕になるのなら、うつ伏せの腰でも仰向けの腹でも良いのではないかと…人には枕にできるパーツがあるというのに、今の世の中は膝枕に重きを置く…

しかし幼い頃の微かな記憶、母と共に行ったサークルの集会にて、メンバーと座室を囲ってたらとある子どもが(それは実に甘やかされて育ったであろうふくよかで笑顔の絶えない子どもだった)、自身の母親の膝に頭を乗せて甘えていた様子を目撃したことがある
そこで人が甘える上で膝に特別な意味があるのかと考え、ようやくそれなりに納得できた

私の母は、居眠りをするとすぐ怒り、座室で正座を崩そうものなら「行儀がなってない」と私の太ももを引っ叩いていた
無論、自らの膝に私の頭を乗せることなぞ、許してくれそうにない方だった
人の膝に乗ることが愚行なのか愛着行動なのか…

「もう一度確認致しますが、本当に私共でよろしいのですね?」
「……」
男は分かりやすく戸惑っていた

「…金が、必要なんです…会社だけじゃなく、自分とこの貯蓄もままならなくて…」
「はは、正直でよろしい」

この男はいかにも金がない被害者面をしてるが、その本性はただ金遣いの荒い欲深い男だ
私の知り合いの金融に金を借りていたが、返済が滞ったことによりこちらを紹介されたという

表向きは技術は確かな町工場な分、我々の事業と手を組むことで面子を保とうという魂胆だ
バレたらこいつの人生は一巻の終わりではあるが

しつこいくらいの複数の書類への拇印、複数の身分証明書の提示、そして遠縁含む家族関係までも詳細に書かれたプロフィール表
この男は言われるがままに全てを出し、同意した

後悔先に立たず
落ち着きようもなく目を瞬き、脂汗を流しながら説明を聞いている

「お客さん緊張してます?」

後ろから声が聞こえて、畑瀬は体をびくつかせた
声の主は、私の仕事の相方である木山明信きやまあきのぶ
菓子を乗せたトレーを持ち、にこにこと愛想良く振る舞っている

私と違って耳に複数のピアスを空け、半袖から印象的なドクロと、太い字体で"Memento mori"と書かれたタトゥーが見える
それに畑瀬は分かりやすく怖気付いた

「クッキー焼いてきた、食べる?」
そう言って私の前に皿を置いた
小ぶりなクッキーが綺麗に並べてあった

甘党の明信は菓子作りが趣味だ、明信自家製のミントを練りこんだクッキーは独特な匂いがして、私はあまりこの匂いが強くて好きでは無いが、小腹が減ってたのでひとつ拝借

「良かったら少し食べます?リラックスできますよ」
「これから商品の説明に行くんだ、そんな時にこんなもん食わそうとすんな」
「じゃあしばらくここでゆっくりして行きゃあいいじゃん」

ミントの強烈な香りに顔をしかめる畑瀬だが、恐る恐る手に取る
クッキーを食べるか一瞬の迷いが生じたらしいが、畑瀬は我々の視線に耐えきれず小さなクッキーをひとかじり
大層まずそうな顔をしたが、噛み締める口を止めることは無かった

「硬っ苦しい商談なんて後々!ゆっくり談笑しましょうよ!」
明信は屈託のない笑顔で笑っていた
「…この後はお前も手伝うんだぞ、お前も従業員なんだから」
「はぁーい」

新人の研修の時もそうだが、中途半端に逃げ出す者を出さないように、時間をかけて理念を叩き込まなければならない
よく勘違いされるが、私たちのやっている事は製造であり、ゴミのリサイクルでもある

「…それでは、終わったら我社のプロジェクトと業務内容の説明を行います
…私共のこのプロジェクトに託した意味を、私共が望む社会のあり方を、どうかしっかりと聞いてください」


膝枕制作を始めて順調に月日が流れた

その中で、膝枕商品の一例をご紹介しよう
大概の商品の協力者の名前は忘れてしまうが、これは良くも悪くも、名前が印象に残った商品だった

都内某所にて私は1人のご婦人との面会を約束した
ご婦人が心から悲しそうに、涙ながらに訴えてきた事を覚えてる

「娘は、変わってしまったんです…昔は、素直な可愛い女の子だったのに…あんなに何回もバイトをクビになって、友達付き合いがおかしくて、平気で私の財布からお金を取って…私にはもう手が付けられません、娘が怖くて…私…もう無理です……会いたくないんです……」

気品あるレースのハンカチで目元を拭き取る、頬にはガーゼが当てられている
余程今までの人生を苦労してきたのだろう
……その娘を作ったのはこの女ではあるが、人間の諸悪の根源を辿っていくのはキリがない話である
今はただ、目の前の悪に向き合うだけ

「私たちにお任せ下さい、必ず娘さんをあげましょう」

「お願いします…」

母親の手渡した封の厚さが契約成立の証だ

織田真希、25歳女 身長156cm 体重54kg 傷物(性交渉経験あり)
高校生の頃はいじめの主犯格
親の勧めでバイトを始めていたが、バイト先でいくつもトラブルを起こし、最近までやっていた雑貨店のバイトをクビになって以降さらに遊び呆けるようになった
二年前に友人関係にある人物を精神的に追い込んで自殺させた経験があることが判明
先日、両親と喧嘩して母親に暴行を加える

最近、質の悪い材料しか集まらなくて、膝枕と上半身ドールに使えそうな見た目の材料を探していたところにこの女がいた
入念な追跡と情報収集の末、この女を選ぶことにした

この時の材料回収は、明信含む部下たちが回収しに行くことになった
私はミントを一服し、無事材料が届くのを待っていた
上モノの回収とあって明信がやけにはしゃいでいた、コイツは褒められたいあまりに年甲斐もなくはしゃぐ事がよくある
私と大学時代からの付き合い…当時53歳でありながら、普段の言動は幼い
そうこうしてるうちに明信から『(工場に)向かってるよ〜ん』と大層めでたい内容の連絡がスマホに寄越された
ちゃっかり文末にピースサインの絵文字を使ってるのはコイツの癖である

倉庫で合流すると、ワゴンからテープで腕と足と口を巻かれて白目状態の状態の女が運び込まれて、私の前に転がった

「うぅぅ…うぅ……」
「コイツ薬飲ませた時さ暴れてきたんだよね、うるさかった、本当は殴りたかった、でも真一が傷つけるなって言ったから…俺、約束守ったよ!」
明信はまた屈託のない笑顔を見せる
いつもなら材料の多少の怪我や痣は治療期間を設けたり、こちらで加工して隠すのだが、久々の上モノなので慎重に運ぶように頼んだ

女の売春用のSNSアカウントを見つけて、性交渉を求める形で5万で連絡を取りあった
本当は初対面だからもっと安く設定をしても良かったのだが、こういう手の女たちは売春にノルマを設けているから、手っ取り早くノルマ達成できる顧客になった方が早く仕事にありつける
まず部下が1人で現場に向かい、ホテルに連れていく最中に待ち構えていた車にぶち込んだ
そして薬を溶かした水を無理やり飲ませて一旦眠らせた
この後この女には5万以上の価値が付く

この女もつくづく馬鹿なものだ
金をチラつかせた事で、会ってすぐの男にあっさりと捕まってくれたのだ
男に騙され、育ての親に見放されたのだ
私の会社に流れ込む材料は、このように生き物としての危機管理能力が欠けている者ばかりだ、こういう間抜けは捕まえやすくて楽だ

「久々の現場だからテンション上がっちゃった!褒めて!」
「……お前だけの仕事じゃないだろ、ここにいる全員の協力の元で出来たことを忘れるな」
「分かってるけど〜…」
言い訳を制して私は無言で明信に屈むように指示した
屈んだところを小柄な私より20センチは大きい明信の頭を撫でた
「よくやったな」
こうする事でこいつはさらにご機嫌になる
「いひっ、やったぁ!いひひっ!」
明信は子犬のように飛び跳ねる
「ちょっと〜、このコを誘ったのは俺なんすよ〜」
「まーた木山さんを甘やかして〜」
「分かってる、お前たちもよくやったな」
部下たちが笑い合う下で、女は泡を吹いていた

色々な殺し方があるが、今回のは外傷の少ない麻酔でトドメを刺すことにした
芸術品にならない物だと社員のオモチャとして好き放題に拷問されてから細切れにされることが多いが、上モノは慎重に殺さなければならない

専用の医療室に昏睡状態の女を担ぎ込み、素早く台に固定する
医療室の横は工場スペースだ、赤が滲んだミキサーとレーンと在庫の山
家畜の餌に加工された肉の細切れの袋詰め
普段は工場で死体を切断するが、今回は特別なので医療室での処置が必要だ

ハサミで衣服を切りはがし、麻酔の針を刺しこむ
これでこいつはしばらくは起きてこない、というか、仕込んだ薬の効果と相まってこの時点で死んでる可能性もある
その間に写真を撮って記録する
無防備な身体を好き勝手に扱う、着実に弱まってゆく肉体、完全に死んでなくても構わない、これからこいつの血は抜かれ、生命活動は必ず終わるのだから
命が"物"になる瞬間……

さぁ、ここから楽しいエンバーミングの開始だ
大体の過程は基本の保存処理と変わらない

まずは体内の内容物・排泄物の除去、膀胱にカテーテル、口や鼻を吸引、腹部を圧迫して体の中に詰まったものを排出させる

体の洗浄、従来ならば消毒液を死体の全体に吹き付けたり湯灌をするのだが、私たちは肌を傷つけすぎない程度に専用のバスタブで丸洗いをする
顔は慎重に、体内に余計な水が入らないように
次は顔の形を整える
顔の美しくない人間はにどうでもいい作業だ
何事も死後硬直が始まる前に手早く済ませる必要がある

ピアス、人工関節がある材料は場合はスキャンして取り除くが、幸いこの女は耳のピアス以外特に何も体内に異物は無い

そして血抜きだ
右鎖骨上部を切開し、血管を取り出す
その血管を切ると噴水のように血が飛び出る
静脈に管を通して血抜きを開始する、同時進行でオリジナルの保存液を注入する
抜き取った血は、固めて加工してアクセサリーにしたり、薬品と混ぜて染料にする

私が開発した保存液は、他の防腐剤よりも断然効果がある
大学生の頃、研究を重ねて開発した遺体の究極の保存方法だ

これらの作業は、マスクを付けて行う者がほとんどの中、私と明信はマスクをせず作業をするから、部下によく驚かれる

思ったよりも膝枕の需要は高いもので、膝枕用の下半身も吟味しなければいけないのだが
この女の見た目は申し分ない美しさなので即決した
上質なので下半身で膝枕を作った後に、上半身はそのまま特注ドールに加工しよう
顔付きの商品はオンラインショップでしか販売しない
この女はそこで売ることにした
外柄の鮮度も保てるように保存液のバスタブに沈めて、しばらく放置する

今回のメスは私が入れる
膝枕に必要なのは腰から下、腰周りに点線を引く
ただ真っ二つにするだけでは内蔵が切られてしまう
内蔵は複雑に絡み合ってるが、腸と胃袋を境にして分ける
人体に初めてメスを入れたのは大学生の頃の解剖学実習だった
生きる活力をなくした生き物が並べられ、スっと身を切られる快楽がそこにはあった

あの時の感覚をなぞるように、女の子の腹部を断ち切るようにメスを入れる
血抜きした体から血は滲まない、ゆっくりと腹が開いて内蔵が見えてくる

それぞれ内臓を痛めつけないように剥ぎ取る
内蔵を取り終わったら少しずつ引き剥がし、背骨が見えたところで背骨を専用のナイフで断ち切る
上半身ドール用、膝枕用と内蔵を分けて並べる
1つずつ洗浄を始め、そしてまた保存液に浸す

繁華街で着飾って男を待っていた女が、今こうして身体を切り取られて並べてある
これで無抵抗で機能を全て断ち切った物となった
この瞬間が本当にたまらなく愛おしいのだ
梱包した下半身は、膝枕用の畑瀬の会社に送り出す

切り離した子宮に商品の刻印を、AIのチップと回路を組み込んでもらう
そして機能しなくなって形がゆるやかになった大腸と小腸を丁寧に重ねてもらう

なんて神秘的な組み立ての儀式なのだろう、本当は私がやりたくて仕方がない
その後は縫合した傷を隠すために、それぞれの肌の色に調合した特性の樹脂をパテに取り塗りたくる

翌朝、男の工場に306番目の死体が届いた
今日は現場の偵察を兼ねて私も工場にいる

「……今日も、届いたんですね……」
「はい、良い材料が手に入りました」
私は手元の資料に目を通して説明した
「協力者、都内在住、織田真希25歳…」
「っ!?マキ!?」
「どうかしました?」
男は私の持っていた資料を無理やり奪い取った
そしてじっくりと資料を(というか写真部分を)見つめると…しばらくして安堵の表情を見せる

「な、なんだ……同姓同名……」
「…そういう知り合いがいるのですね」
「あ、いや、あの……ば、バイトの子に…はい」
こいつはなんでも簡単に喋るから間抜けだ

畑瀬の工場は私の所よりも綺麗で血生臭くない
発送予定の他の膝枕が工場の隅に並んである

死体とは知らず、男の工場の職員は「あれほんとグロい」だの「あの作業で内蔵なんて入れる必要ある?」と愚痴をこぼしていたのを廊下で聞いた
私らの工場なんか、もっと生々しいものを生産しているがな



紙幣カウンターの音が鳴り響く室内、私は畑瀬を会社に呼び出していた

「現在の注文数は542体、順調に顧客を集めています」

畑瀬は俯いたままだった、しかし目の前でズクの束が数えられるのを見て男の目は血走っていた

「新商品のうで枕の生産も順調なようで何よりです……では、こちら今月分の利益です」

まとめ上げたズク束を小さなアタッシュケースに入れる、ざっと500万円
分かりやすく唾を飲み込む音が聞こえた

「これからもよろしくお願いします」
ケースを差し出すと、男の手が震えた

「…俺は……」
「畑瀬様?」
「俺は、正常だ………」
「如何致しましたか?」
「俺は正常なんだよおぉぉぉぉぉ!!」

畑瀬は発狂してケースを蹴り上げた、私はこうなるだろうと予測して蹴り上げられたケースを衝撃をそのままに放り出した

「こんなの!!狂ってる……!!」

そう言ってチラチラとケースの方を気にするこの男は、やはり金を諦めきれないらしい

「近寄ってきたのはあなたではありませんか、何を今更」

「違う!こんなのは聞いてない!お、俺は!人殺しをっ手伝うなど!言ってない!」

自分がどういう組織と手を組んでいたのか明確だったのに、愚かなものだ
しかし向こうが脅されてる身とはいえ、こんなにも言い返す度胸が奴にあったとは

歯を食いしばった様子で手を震わせながら反撃のチャンスを探ってる
こいつが手を出してくるかどうか、私は静観していた

「なぁーに喧嘩してんの」

明信がジョイントを吸いながら部屋に入ってきた
部屋は一気にミント臭くなり、畑瀬はまた分かりやすく怯えた

「仕事に限界が来たとの事」
「今更ー?」
「ふ、ふざけんな!お、俺はおまえらと、こんな仕事」
「なぁに?お前ってそんな風に正義ぶって言える立場なの?」

明信は首を傾げて微笑む、その表情は歳に合わずどことなくあどけない
「か、かね、金を稼ぐのに、ころしは必要、な…」

「畑瀬、お前自分とこの金パクったろ」
明信の声のトーンが下がった
ミントの煙が揺らめく

途端に畑瀬の顔は真っ青である
歯をカタカタと震わせ、必死に目を逸らそうとしている
「おい逃げんな、こっち見て話を聞け」
明信がゆっくりと歩み、にじり寄った
その顔は笑ってなかった
畑瀬は足をがくつかせ、また脂汗をかいている

「給料前だってのに合計700万、ひとつは愛人に、もうひとつは車の購入に……」
咥えていたジョイントを手に持ち替えると、畑瀬に向かって煙を吐いた

畑瀬が煙を吸い込み咳き込んでいると
「知ってんやぞこっちは!!」
明信は怒声を上げると畑瀬の鳩尾を蹴りあげた、畑瀬は口から唾液を吐いてうずくまる
再びジョイントを吸い出した

「お前のお気に入りのなんだ、だっけな?おとといと五日前、会社の金でその女とホテル行ったらしいな、他の社員はテキトーにあしらって、奥さん泣かせて、好みのバイトの若い子に貢いで……ぜーんぶこっちはるンだよ」

調子に乗った明信は、咥えていたジョイントをうずくまっている畑瀬の首に落しつけた
「あッッ!?」
畑瀬はその熱さにはしたない声を出した

「…そもそも向こうの返済してくんないってから俺らのとこ来たってのにさ、ギャンブルしてマンコハメるために更に人の金を奪って…しょうもない男だなァお前…」

床に伏せた畑瀬の頭を踏みにじり靴底を拭う、今日のこいつは機嫌が悪いらしい

「もっ、申し訳ありませんっ、申し訳ありません…」
涙で床を濡らすほど泣いて詫びた

「……明信、それくらいにしなさい
畑瀬様、横領とはいえ元は貴方の稼いだ金です
金なんて、使ってナンボです、ええご自由にどうぞ
ただその金遣いの荒さが少々目立つようなら…向こう(金融グループ)の借金も残ってることでしょうし、せっかく手を組んでる我々の事も考えてくれないというのなら、こちらもそれなりの対応をさせていただきますが…
例えば、これ以上奥さんを泣かせるだとか…お子さんもう年長さんだそうですし」

「勘弁してください!!そんな事は、しません、絶対にしません!!こ、今回のことは、欲を、かいてしまったのです、彼女には、妻にも子どもにも、何もしないでください…!!」

38にもなる男が号泣して頭を垂れる姿は滑稽なものであった
畑瀬が泣きべそかきながら部屋を出ていく後ろ姿を私たちは見送った

「そういや最近の品物も名前がオダマキだったな、ややこしいな」
「明信、やりすぎだ」

明信はへらへらと笑っていたが、私の一言に一瞬にして大人しくなった

「……俺はお前のことを思って」
「最近のお前、落ち着きがないぞ」
「ちょっとミントの効きが悪くなっただけ」



あれは明信と出かけた夜のこと
場所は知り合いが経営しているバー、我々が傍らで栽培したミントを渡すためにやってきた
私も明信も酒は呑めないが、バーテンダーが私たちのためにノンアルコール飲料を提供してくれる
私はいつも頼む柘榴のモクテルを頼んだ、明信はチョコレートのモクテル

「さて、俺たちも一服…」
さっさと取引を済ませた後は休息だ、明信はカウンターに巻紙を敷いて、持参したミントをミルで砕き始める

「はい、澤木さんの柘榴、木山さんはチョコレートね…あとこれ、サービスです」
そう言ってカウンターに何かを置いた
「わっ!ありがと〜!カヌレじゃん!」
「ヴィーガン・カヌレです、お2人にはお世話になってますから…木山さんが好きそうなのを…あ!ヴィーガン用なので澤木さんも食べられるかと思います!」
普段こういうのはあまり食べないが、せっかくなので頂くことにした

明信は若干マナーがよろしくなく、ぐびぐびと飲んでは大きな口でカヌレにかじりついた
「ん〜〜〜〜うま!極上だわ…」
「木山さんって本当に美味そうに食べますよね」
「マンチーになるんだもん当たり前じゃん」
「それにしたってなんか…リアクションが元気いっぱいというか、澤木さんだったらマンチーになっても冷静じゃないですか」
「真一もちゃんと心の中では美味いって言ってるよ!ね、真一!」
「あぁ…」
明信は声を張り上げ続けて語り出す
「この飽食の時代に食事ってのは単なる活動維持って訳じゃないじゃん、娯楽だよゴラク、美食を極めておいしーものを食べてハッピーになるのが幸せじゃん、俺はそれをミントでさらにハッピーに味わってるってわけ」
「でも体に気をつけてくださいよ?」
「分かってるよぉ、だから筋トレ頑張ってるんだもん」

こうして誰かが楽しそうにしているとふと考える
私の生き方はこのままどうなるのかと、最期はどう終わるのだろうかと
この事業を長年続けられたのは奇跡としか言いようがない
しかしいずれ終わりが来る、その時は平穏なのだろうか、それとも……

「はい、真一」
明信がミントのジョイントを渡してきた、私が吸う番である
余計なことを考えると、ミントの効きが悪くなる
私は自分のスマホとイヤホンでシューベルトの「野ばら」を聞き、受け取ったミントを吸う

"少年が小さな薔薇を見つけました
野に咲く小さな薔薇を
若々しく朝露のように美しい
少年は急いで駆け寄って
大喜びで薔薇を見つめました

薔薇よ、薔薇よ、小さな薔薇よ、野に咲く小さな薔薇よ

少年は言いました
君を折ってやる、小さな薔薇よ、野に咲く小さな薔薇よ
小さな薔薇は言いました
君を刺すよ、君が僕のことを忘れないように
僕はそれを許すわけにはいかない

薔薇よ、薔薇よ、小さな薔薇よ、野に咲く小さな薔薇よ

そして乱暴な少年は折りました
野に咲く小さな薔薇を
小さな薔薇は抵抗して刺しました
しかし悲鳴は彼には届かず
苦しみに耐えるばかり

薔薇よ、薔薇よ、小さな薔薇よ、野に咲く小さな薔薇よ"

研ぎ澄まされて、思考が1粒ずつ潤ってゆく
美しいシューベルトの楽曲がドーパミンを放出させる
こういう時、同時に思い出すのはセンパイの愛おしい姿
甘酸っぱい血を纏った先輩の骸
そしてモクテルをひとくち、口に広がる柘榴の酸味と甘味、これがセンパイの緋色の肉だったら…と想像する
なんと香しい夜なのだろう

だが、終わりは突然やってきた

スマホから電話通知が来た
事務所で当番をしてる部下からだった

「"タタキ"が入りました、今捕まえてます」
実に醜い現実が私を待ち受けていた
事務所に仕込んだ監視カメラの映像をスマホで確認すると争った形跡がある
食べかけのカヌレとモクテルを置いて急いで事務所に戻る準備をした、その間、他の連中も呼び出した
一刻を争う事態だ
そんな中でも明信は、残りのカヌレに齧り付いてモクテルで急いで胃に流していた

タタキ(強盗)は若い男が3人、入ってすぐ金品を取るのではなくパソコンの前に向かったと言う
男らが逃げられないように侵入してすぐ扉にロックをかけていたのと、部下たちの健闘により、事務所に入った頃には叩きの男たちは3人とも押さえつけられていた
私の足元にUSBが投げ出された
「それ…パソコンに挿してました…すぐ取ったんですが…すいません…」
なるほど、目的は金ではなくこれか、おそらくウイルスが仕込んである

セキュリティを何より気にしてる我が社では、どの角度からのマルウェアを何としても防ぐように仕掛けていた

事務担当がそそくさとパソコンを立ち上げ手早くウイルスの駆除と解析をしてもらった
だが、この時点でもう遅かったという
EDRの壁を突き抜けられた
マルウェアというのは、感染を防ぐのもそうだが、手を替え品を替え侵入して来るから仮に感染されてもそれを発信させないというシステムも重要になる
が、そっちのシステムすら突破されてしまった

このパソコンから抜き出された情報の行方が気になった
全てが崩壊する1歩手前、やれるだけの対処を任せて、私たちは捕まえた3人の男を倉庫に連れて行った
「すいません、すいません!」
泣いて喚いて、男たちは抵抗したが、それも虚しく担ぎ込まれて行った

3人は用意した椅子に手足を縛られていた
縛られるまで随分と大人しかった、余程怖がってるようだ、子犬のように震えている

「はぁーほんと、お前、何してんの、真一に迷惑かけちゃダメじゃん?ねぇ?」
明信はまた不機嫌に、さっきもう一回渡したジョイントを咥えながら(もうほとんど吸い終えてる)、見張り番の部下を一人捕まえて責め立てていた、躊躇なく首に絞め技をかけている
「そいつはやれるだけの仕事はやった、叩きを捕まえただけでも良しとしよう」
と言いつつ、ヘマをした部下たちは後で別のお仕置を用意するつもりだが

私は男たちの真ん前で闊歩しながら誰からどう料理しようか迷っていた
「お前たち、誰に頼まれてこんな事をした?」
「……」
男たちは黙秘、というか恐怖で混乱している様子だ
「いや何、ゆっくり言ってもらって構わんさ」
そう言ってひとりひとり男たちの頭を撫でる、頭から汗を感じる
本当はゆっくりしてる場合じゃないのだが…

「……外に車は無かった、お前たち仲間に見捨てられたな」
一方で明信が男ら3人に冷酷に言い放つ
近づいて、向かって右の奴の手にジョイントを押し付けた
「あづっ!!」
真ん中の奴が恐怖のあまり失禁していた、尿が私の足元に広がる
「てめぇ真一の足汚してんじゃねぇよガキが!!」
真ん中の奴は明信の強い蹴りで後ろに倒れ、その衝撃で気を失った
口を割らせる前にこんなに乱暴にされては困る
「こんくらい慣れてる、お前は黙っとけ」
馬乗りになって殴り込もうとした明信を制止した、暴れたら面倒くさいが私の言うことだけは聞いてくれる

私は尿を拭いとった足で左側の奴を選んで股間を蹴った、そしてぐりぐりと、足を拭くように押し付ける
「ぁがっ…」
男は情けなく股間を膨らまし、刺激を身に受けている、さてどうやったらコイツらは白状してくれるのか…
明信は後ろでずっと舌打ちを続けていて妙にうるさい
「お、俺たち、バイトで、USBさしたら、50万出すって言われてぇっ…そ、それで、従っただけ、です」
ゆっくり痛めつけてやろうとおもったら、簡単に吐いてくれた

「誰の指示でやった?」
「は、畑瀬、畑瀬と言う人です!」
「A工場のか?」
「そ、そうです!」
畑瀬…あいつか
あいつが私たちに恨みを持っているのは予想出来た
少し前、畑瀬が自分の会社で新しいバイトを募集してるのを見かけたと思ったら、コイツらの事だったか……

後に知ったことだが
指示役は畑瀬、裏で実行していたのは愛人の方のマキだ
彼女は癖のあるハッキングデバイスが仕込まれたUSBを用意していた、そして私たちが畑瀬の事でギャーギャー騒いでいる間に、マキが裏で単独で受け取った情報を利用してるとは露知らず

私たちの事業の全てをバラそうと、この時を虎視眈々と狙っていたのだ

これをきっかけに前から別件で対立していた警察がついに証拠を掴んだことにより動くはずだ
勝算があったわけではないが、こちらでもみ消す必要があった
知り合いにこれ以上捜査が入らないようにするために動いてもらおう、顧客リストにいる政治家や警察の名前を上げれば、警察も少しは抑制される

「畑瀬は今どこにいる?」
「えっと、一回工場に送られて、車で、あとはわかりません、多分さっき逃げられました」
多分バイトに免許持ちがいないか、ろくに集まらなかったのだろう、移動に使った車の運転を畑瀬がしていた……
ということは奴はまだ近くにいる、高飛びしてないようだ
そして私は、少々感情に走って部下たちに命令した
「畑瀬の野郎を捕まえるぞ」
ブラッドムーンが輝く夜だった、私たちは車を出した

当てはなかったが、まずは調べあげていた畑瀬の家に押しかけた
予感は当たった、閑静な住宅街のガレージにて、急いで車に(会社の金で買ったとされる車だった)荷造りしている畑瀬一家がそこにはいた
あの間抜けな怯えた顔の畑瀬渉、そして娘さんを抱きしめる奥方

「よぉ裏切り者、こんな時間に家族水入らずでお散歩か?」
助手席から出てきた明信が三人を追い詰める
今回の件は、奥方も子どもも何も関係ない
だが逃がしたら警察に行かれる、仕方がなかった、だから家族も巻き込んだ
「お前たち、連れて行け」

部下たちは私の指示に従い走り出した、畑瀬にはスタンガンを食らわせて部下の車に、あとの二人には何もせず、もう一台の私の車に静かに誘導した
というか、怯えた様子で素直に従った
そして全員の口をテープ閉じ、足と腕を拘束した

倉庫に戻るまでの間、奥方と子供は泣いていた
部下たちは威勢よく怒鳴る

不意に、小学生の頃、教師に必要以上に怒鳴られて泣いている同級生の姿を思い出した
そして私は、恐怖に震えた
運転時、平静を装っていたが、動悸が激しくなった

これまで商品の為に多くの人を殺してきた、時にはトラブルを起こした相手を拉致して拷問もした
だが、善良な市民は脅しとして情報を握るだけで、手を出したことなどなかった

今まで、そんなことをしなくてもスムーズに事が進んだ
自分の指示に自分で驚いた
こんなに動揺してるなんて、わけが分からない

私が、罪のない女子供を陥れるなんて
私の道理に、正義に反する

だが今は、畑瀬に制裁を下すことを意識していた
バーから出てきてここまで約2時間ほど、時間はあっという間に過ぎていた
事務所に着いたらまず騒がれると困るので、私が奥方と子供を別室に連れていった

倉庫には残っていた部下に殴られ続け、弱り果てたバイトの男三人がいた、それに気付いた畑瀬は過呼吸を起こした
「はぁ、はぁっ!こんなっ、はっ、はっ、はっ、はッ」
「うるせぇ!」
明信が蹴りあげる、その瞬間部下たちも応戦して畑瀬を蹴りあげ、殴り、服を剥ぎ取り、罵声を浴びせた
獲物に群がる蟻のようだった
「お前たち、まだ殺すなよ」

裸で手足を縛られて椅子に座っている畑瀬に問い詰めた…けど問い詰めても遅いだろうと察していた
「何故こんな真似を?私らの情報を抜き取って何をしようと?」
「はぁー…………はぁー…………」
さっきまでリンチされていた畑瀬に生気は無かった、口から血を出し、目を腫らして項垂れる、そして精一杯口を開いた
「…今こうしてる間にも…お前らの悪事は…全部世間に知られている……」

マキが裏で手に入れた情報を無差別にネットの海にばら蒔いているのはちょうどこの時間あたりだったという
私たちにできることはあとは隠蔽工作、と言ってもこの工場を突き止められたら…仮に捕まらなかったとしても、私の芸術品たちが押収される

滞りのない怒りが湧いてきた
私にとってこの会社はただの事業ではない、慈善活動でもあり、私の生きる理由でもあった
私には、この場所以外に居場所なんて無いのだから
「…ひとつ…聞きますが…澤木さん……」
「…なんだ」
「あなたは…何故こんなことを…したのですか…」
「最初の頃に企業理念を教えたでしょう…この不条理な世の中…どんな人間にも人権が与えられるのなら…私が新しい価値観を与えると…」

間抜けで恥知らずで、金にがめつくて、家族を不幸にしたこの男
弱者で、常に私たちから怯えながら働くその男の目は
血を滾らせ、私を睨んで言ってきた

「お前は…神になったつもりか!?」

神?私が?
いや、無い、違う
私は、どれだけ支配しようとも、神になぞなるものか
神は、お母様を奪った
センパイの未来を奪った
不良どもをこの世に生んだ

私の思うようになんてしてくれなかった!

「ふざけた事を言うな!!」
私は畑瀬を押し倒して馬乗りになってひたすらに殴った
畑瀬の意識がなくなっても、拳と腕が破壊される覚悟で殴り続けた
「私は神なんかじゃない!!神になるために私はこんなことをした訳じゃない!!神は一番の裏切り者だ!!神にできないことを私がやったまでだ!!」
歯を折り腹を殴り、私は止まらなかった
私は外道と言われようが、気狂いと言われようが平気だった
そんな言葉を押しのけてこの仕事をしてきた

だが、私はたとえ褒められるつもりでも『神』になんて言われる筋合いは無かった
神は最上級の侮辱だった

私はこの仕事を社会の奉仕ではなく、埋まらない汚らしい肉欲を捧げるために人を巻き込み、自分の存在意義を確立していただけだった、そんなこと最初から分かっていた

「やるじゃん真一」
明信の一言で我に返った、手の骨に響くような痛みが染みる
私が感情的になったのが余程珍しかったのだろう、少々周りは戸惑っている様子だった

畑瀬は僅かな呼吸を繰り返しながら白目を向いて倒れていた、あの時のセンパイと似ている

「真一、スッキリした?」
慈悲深い顔で明信は私に優しく語り掛けた
この長年蓄積された気持ちが簡単に晴れるわけなかった
「みんな!真一のカッコイイところが見られたな!」
部下たちはとりあえず笑っていた、私の感情的な姿はさぞ滑稽だったであろう

「えーと…で!どうしようかコイツ?」
明信は倒れた畑瀬を起こした
「そうですね、この後どうします?澤木さん」
「澤木さん!畑瀬も材料にしちゃいます?」
「てゆーか、USBの件が終わってないですよ、澤木さん何か作戦はありますか?」
「真一!どーする?」

みんなは次々私の方を向いた

また明信が…いや、みんなが笑顔だった
私を羨望する笑顔
みんな私の指示を待っていた

違う、違う!
こんなの、お母様が愛した教祖様と代わりないじゃないか!
嫌だ!私は教祖に!神になったつもりなどない!

「いや、しばらく様子を見よう…すまないが一人にさせてくれ、頭が痛い」
私はその場を離れたくて背中を向けた

「真一、お前はいつでも真一だよ、それ以上でもそれ以下でもない」
後ろから、明信の言葉が響く
「…ありがとう」

私は母娘のいる部屋に戻った
頭が混乱する、もう何もかも限界な気がする
捕まるのがそんなに恐ろしいのか?
神のように扱われるのがそんなに気持ち悪いのか?
私はこれほどまでに弱虫だったか?

私が部屋に入ってきて母娘はまた怯えた
冷静になった、この二人には手を出さないとはいえ、巻き込む必要が本当にあったのだろうか?

口を塞がれながら「ママ」と言おうとしてモゴモゴと喋る子供
だらしなく涙を流し鼻水を垂らしながら、娘の身を守ろうと必死に声を漏らす母親
母と子はアイコンタクトを何回も取っていた

私がやりたかったのはこういう事だったか?

私にはなかった親子のあり方に酷いショックを受けた
どんなに強い恐怖に駆られようとも、親は子を守ろうと足掻いて、子もまた親の傍に離れたくないと身を寄せていた

やめてくれ、目の前でそんな事しないでくれ

私は何のために死体を愛した

現実を逃れるため?

先輩を愛するが故に?

私は、私が1番望む形で生きたかったのか

生きる意味を理解したかったのか?

誰か、誰か

誰か僕を 正しいと言ってくれ

気がついたら、私は身を寄せ合う母娘に土下座をしていた



私は部下の元で意固地になってる自分が情けなかった
部下に顔向けできなくて一人になりたくて事務所に向かった

精神的に追い詰められていた、この後どうするべきか頭が回らなかった
ただ目眩と汗が止まらない

どんなに足掻こうとも、気付いた警察がやってくる、それまで私は何もできずただじっと身を潜めていた
その間、ひたすら自問自答を繰り返していた
仕事に誇りを持っていたが、自分が死体を愛した理由が最後まで分からなかった

私は暗い事務室に隠れ、いずれ捕まるその時を待つしかない
ひと汗かくと腹が減る、酷く汗ばんだ服の感触と胃をぐるぐると掻き回すような空腹の気持ち悪さといったら…
バーで軽い飲み食いしかしていない、疲弊した体が食べ物を欲している

デスクを見回すと、部下が残していったスナック菓子が目に入った、無意識に手を差し伸べた
思えば、生まれて初めてのスナック菓子だ、手に取ってからの感想というものは「派手でチカチカする包装だな」としか…
ポテトチップスというやつだ、しかもパッケージを見る限りとても濃そうな味付け……胸焼けしそうだが、こいつで食いつなぐしかない

塩辛い、断面が凸凹で固く口の中を痛めるほど豪快にはしたなく、食欲に身を任せた
がりがりと無我夢中に、いくつかポテトチップスをぽろぽろ床にこぼした、まるで幼子のように
なんて品のない味なんだ、なんて品のない食べ方なんだ、毎朝、柘榴を食べるのが日課の私には想像もしなかった食事だ、それでも私は食べた

今このスナック菓子が私の命を食いつなぐ手段
嫌いな味だ、肉ではないとはいえ俗物の塊、幼い頃は食べさせてくれなかった味、命を繋ぐ味、普通を覚えるには最適の味、幼い頃に食べておきたかった味、夢見た味…

涙が止まらなかった、ああ塩辛い、うまい、腹が満たされてゆく、けど塩辛い

気がついた頃にはひと袋全部食べてしまった
それなりに腹は満たされたがやはり胸焼けがする

そのまま横のウォーターサーバーに駆け寄った
口と喉に残る油っぽさと塩辛さを流して欲しかった
僅か数量しか残ってないウォーターサーバーの水を、付属の紙コップに受け止める、注がれる水の冷たい温度が手に少しずつ伝わってくる

呼吸を整えて一気に飲み干した
思ってたより冷たくなかった
その時、水が喉を勢いよく通る感覚に思わず痺れてしまった

嗚呼、生きてる、なんて清々しい

窮地に陥り無我夢中に飯をくらう様は本能のままに動く動物だった
腹を満たしたスナック菓子が、ぬるい水が、今私が生きているということを証明してくれた

「僕…生きてるよ…センパイ……」
ようやく救済を知ることができた気がする
これで良かったんですよね、センパイ

疲労と安心感から眠気が襲ってきた
適当にデスクから誰かが置いていたブランケットを借り奥の暗い書類室に入り、いつのまにかまどろみの中へと落ちていった
窓のブラインドの隙間から、ブラッドムーンの赤がほんの少しだけ見えていた

気がつくと淡い色の暖かい世界が広がっていた
ここがどこだか知らないが、居心地は悪くなかった
その世界で私は眠っていたらしい
ふと、頭に枕のようなものを感じた…温かく、強い弾力性とがっしりとした骨組みを感じる肉塊…

いや、これは肉塊ではなかった
これは"人間"だ

「真一、起きたか?」
上から声がしてそっと見上げた

そこには、大好きな、大好きなセンパイがいた
"僕"の大好きなセンパイ…
センパイの体も、美しい黒翡翠の目も、そこにいた
あぐらをかいて、太ももに僕の頭を乗せてくれていた
これが膝枕…か、これが…

「真一、もういいんだ」
そう言って、センパイは優しく頭を撫でてくれた
どんなに忘れたくなくても、記憶の彼方に消えゆく先輩の声が、しっかりと僕の耳を通った
涙が溢れてきた

「………センパイ…センパイ……」

泣くのは何年ぶりだろう

先輩がそばに居る、人肌がこんなに温かくて心地がいいだなんて、知らなかった

「せ、センパイ…僕…」
子供のような言い回しで先輩に何かを伝えようとした
それは懺悔なのか、愛を伝えたかったのか、僕もよく分からなかった

「真一……」
センパイの声、とろける、好きだ、先輩…ずっと時が止まっていたらいいのに、センパイ……

「センパイ…愛してる…」

僕は柄にもなく愛の言葉を吐いた
先輩がこんな私に愛を証明してくれたのだ

もう僕は、思い残すことは無かった

この楽園で永遠に2人っきりでいたかった
この時間が終わらなければいいのに……
あたたかな光に包まれて消えてゆく

これが救済かと理解したのも束の間

私はパトカーのサイレンと警察の怒号で目が覚めたのだ



全ての責任として、澤木真一に死刑判決が下された
この男は最後まで救われない男だったという
死への執着がある澤木は、死刑判決をすんなりと受け入れた

しかしその割に多くの市民を殺害した事に罪の意識はなく、面会した者たち全員にごく当たり前のような態度で頓珍漢な事を言っていた
親に感謝を言うこともなく、神に祈るわけでもなく
静かに、それでいて身勝手な振る舞いをしながら、刑務官に怒声を浴びせられながら事務作業をこなすように淡々と生きていたという

ただ、畑瀬の妻と子供を拉致したことをいつまでも後悔しているらしく
長い拘置所暮らしの中で、不意にその事を思い出しては、急に泣き出すこともあった

そして、時に見えない誰かと会話をしていたと言う
記述してある「高校時代の初恋のセンパイ」の事だろう
その後は精神鑑定により統合失調症だと判明された

最後まで、この男は夢の中にいたのだ

畑瀬渉と織田真希により発覚した大事件
あまりにも残酷で、顧客リストに政治家や警察がいたことにより報道規制が入った日本メディア史の暗黒の記録
警察は澤木を捕まえたのは良いものの、顧客リストの問題から調査が進展せず、澤木の死刑判決が下されるまでも裏で逃げ延びた仲間たちがオンラインショップを運営していた

勇気ある告発をした元工場長の畑瀬渉とバイトの織田真希は、多くの企業の情報をばら蒔いたことによる背任罪として表向きは逮捕された
その裏では、メディアは取り上げなかった壮絶な事件が起きていたのだ

指示役の畑瀬渉は大怪我を負ったが命に別状は無く、事情聴取の元に正式に逮捕された
人民プロジェクトに加担してしまったことによる後悔と、家族を巻き込んでしまった罪悪感、そして澤木の仲間から暴行を受けたことにより精神的不安定になり
法廷にて裁判官は畑瀬には責任能力が無いと判断し、無罪判決が下された

そして実行役の織田真希も、畑瀬渉を逮捕した次の日に逮捕された
織田には罰金が下されたが、その後は澤木の会社にアクセスできた実力を買われ、ホワイトハッカーとして活躍を始め、著書を出版社現在まで多くの講演をするようになるまで出世した

澤木真一は死に何を求めたのだろう

203×年1月14日 死刑執行日
絞首刑台に連れて行かれた澤木
最期に、刑務官から何か言いたいことはあるかと聞かれ
笑顔でこう言った

「愛しい屍肉へとなれるのなら光栄です」

澤木真一 享年68歳 死因・絞首刑

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