家事育児が大変で困っているから手伝おうとか無理無理かたつむり

奥さんが育児大変そうだから手伝おうとしたんだけど、「やり方が違う!」とブチ切れされてやる気がなくなった。優しく教えて欲しい。

旦那さんに家事、育児をお願いしても、言ったことしかやらないし、言ったことも全然求めるレベルに達してなくて、むしろ疲れる。どうしてこんなに気が利かないのか。

などなどの話はよく聞く話であり、実体験として「ほんとそれ!!!」と思う人、少なくともどちらかに共感して、自分はそうはならないぞと心に決める人は多いのではないだろうか。
もしくは、そうなりたくないから結婚したくないと考える人もいるだろう。
私は結婚しており、まだ子供はいないが、小学生の頃から、十数年もの間、家事の分担について、家事について、考え続けている人間として、困ってから分担しようとするのがよくないのではないかと思う。

家事育児を困ってから分担するというのは、いわば炎上案件に新人を入れたら足手纏いだったというようなものであり、困る前に分担することがお互いのためになるのではないだろうか。
困る前に分担ができれば奥さんの心に余裕があるため、優しく教えて貰える可能性はあがるだろう。
困る前に分担ができれば旦那さんに1から10まで家事を教えることができ、真に頼りになる可能性はあがるだろう。
だから、家事育児は困る前から分担をすべきなのである。
具体的に言うと子供ができる前に、育児期間に入る前に家事の分担をすべきなのである。
話の主題は以上である。

もう少し丁寧に説明していく。
家事(家の仕事)分担を決めることは非常に大変な作業だ。
結婚とは、異なる文化を持つ二人が一緒に暮らすということである。
すなわち、異なった環境で育った二人が、ひとつの場所で、家事を分担することになる。
そのため、家事の明確化と合意形成、ときには教育もセットになるのだ。
どう考えたって大変な作業である。
分担することで、負担の偏りが減り、楽になる。どちらかが我慢することなく円満な家庭へ近づく。
しかし、家事の分担というのは本当に大変な作業なのだ。
大変だがその先の幸せのために払うべき労力なのである。

よくありそうな例を元に話すと偏見だらけになってしまうため、我が家を例に話していく。
同じ学校に通い、付き合い始め、数年働き、お互い一人暮らしの期間を経て、私の家にて同居スタートという形である。
私は両親が共働きかつ、父の転職などもあり、母の方が父より年収が高く、母と私と兄弟が家事をする家庭で育ったため「結婚相手は私が働き続けることに反対せず、家事育児に協力的な人がいい」と思っていた。
そんな私だったが、同居後しばらくは私が全ての家事をやっていた。
なぜかというと、私が全ての家事をやったほうが、分担するより楽だったからだ。
私が一人暮らししていた家に彼氏が引っ越してくる形で同居が始まったため、我が家の家事は私ベースであったのだ。私が物の場所、消耗品の種類、家事のやり方を決めていた。
家事を分担するのであれば、これはここまでやって欲しいということを明確すべきだと思っていたため、余計に家事を分担することが面倒に感じられた。
その結果、家事に協力的な人と結婚したい、夫婦で家事を分担していきたいと思っていたにも関わらず、私は自ら全ての家事を行っていた。
気付いたときには驚くと同時に納得した。だから家事の分担は難しいのかと。
世の中悪人ばかりではない。自分は一切家事をやらずに「風呂」「メシ」という夫、家事に子育てに奔走する妻ではないのだ。(もちろんそういう家庭もあることにはあるだろう)
自分のために自分でやる一人暮らしの家事から、共同生活になったにも関わらず、家事の分担へ払う労力を渋ったがために、私は惰性で家事を全て担い続けていたのだ。
配偶者も配偶者でやってくれるならやってもらっちゃおうくらいの気持ちしかなく、悪意はない。
(実家にいるときに、母が家事をしてくれているときの私は同じ気持ちでいるため、何ら文句はない)
しかし、将来的に子供が欲しいと思っている私としては、遠くない未来に配偶者にブチ切れするだろうと予見できた。
そこで、週に一度の家事や、毎日の家事、随時行う家事などをリスト化し、配偶者に1週間家事をしてもらった。(正確に言うと料理に付随する家事以外)
必要最低限のものの場所や、家事のやり方の説明をした。
分からないと言われたことは詳しく説明した。
作業工程を見ていると、非効率的なことにイライラしてしまうため、なるべく見ないようにした。
皿洗いで汚れが残っているところはここが汚れていると伝えた。
いつまでも紙パックを切り開いて片付けない配偶者に若干イライラしながらも、あえて自分でやらずに伝えた。
夕食を作るまでに洗った皿を食器棚に戻してくれないと夕食を作る際に不便であるなど、締め切りがある家事とそれによる不都合を伝えた。

話し合い、得意不得意による分業、リストの改訂を経て、現在は「1週間おきに担当する家事」「私の担当の家事」「配偶者の担当の家事」の3つのリストができて、ほとんどストレスなく家事の分担ができている。
また、配偶者に対して「気が利くなぁ」と思う頻度が圧倒的に増えた。配偶者が家事の全貌を理解したことにより、何をすることで私が助かるのかということが分かったのだと思う。(これについては別の記事で詳しく書きたい)
私も配偶者も激務ではなく、「やって」と言って「分かった」と家事を分担する配偶者であり、財布を握る私が便利家電にお金をつぎ込み(独身時代からの趣味)、子育てしていない私でさえ家事の分担は面倒だった。
圧倒的に楽な、恵まれた環境にいる私でさえ面倒だったのだ。
きっと子供が生まれ、育児に関わる膨大な仕事が増えれば、また変更していかなければならない部分が出てくるだろう。
子供によって個性の差が大きく、日々成長していく、変化していく子供を育てていくというのはルーチンワークにはならないため、その都度必要なことが変わっていくだろう。
「家事育児が大変で困っているから手伝おう」というのがどれだけ甘い考えであるか伝わっただろうか。
私には子供がいない。育児が大変だろうというのは想像である。
しかし、家事の分担でさえ面倒で大変だったのに、それに育児が加わって楽になるわけがないということは確実に言えるだろう。


この文章を読んで「家事育児で奥さんが大変そう。でも今から手伝うのは足手纏いだし、やめたほうがいいんじゃないのか」と思う人がいるかもしれない。
これまでの話は「家事育児で困ってから手伝うのは大変だから、もっと早くから家事の分担を進めたほうが良い」ということであり、「家事育児で困っている人を助けなくて良い」ということではない。
絶対、なんとか、少しでも、大変でも手伝ったほうが良い。
怒られても、キレられても、なんとか少しでも大変な人が楽になるように手伝って、何をすれば楽になるのか話して欲しい。
怒っている、キレているというのはそれだけ余裕がないのだろう。
生まれてたての子供の胃袋はとても小さい。当然、満腹と空腹のサイクルは短い。
(子供を産んだ友人は「3時間おきにミルクをあげている」と言っていた。)
そんな子供に合わせてミルク(または母乳)を用意していたら、寝不足になるのは当たり前である。
加えて、ちょっとしたことで子供は死ぬ。
(「子供 家庭 事故」で検索すると多量の事例が出てくる)
寝不足なうえに、そんなプレッシャーの中にいたら、疲れないほうが不思議だ。
手伝うという単語を使っているが、子供は二人の子供であり、子供は育てなければ死ぬ。
子供を産むという行為は女性にしかできないが、ミルクがある今、育てることは男性でもできるのだ。
ニュースで男性の産休制度が創設されつつあると知った。非常に喜ばしいことである。
育児に積極的な男性がこれまで制度がなく、子育てに参加しにくい状態だったものが改善されるのだ。
まだまだ問題はたくさんあるが、家事育児を分担しよう、母親一人でなく父親も子育てに参加しよう、子育てに参加したいという流れは確かに生まれ、大きくなっている。
その気持ちが実を結ぶために、この文章が一助になれば幸いである。

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