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美しい横顔 prologue〜#1

prologue


5年半のガンとの闘病生活の最後、
母はある日自力で立ちあがることができなくなった。
もう何年も病院へは行っていなかったが全身にガンが転移していたと思う。

父親から電話があり急いで駆けつけると、
母はリビングで横たわり、救急車の到着を待っていた。

幸い実家近くに綺麗で快適そうな病院が見つかり、
息をひきとるまでの四ヶ月の間、母はそこでお世話になることになった。

窓の外には鎌倉の野村総研跡地の小さな山があり、
秋には美しい紅葉を見せた。
窓越しに見る外の景色は何もかもがゆっくりで、
音のない風が木々を時折揺らし美しかったが、
母はほとんど窓の外を眺めることはなかった。

真っ白な部屋で横になり、入院した最初の二週間位は
友人の揉め事の仲裁でほとんどずっと電話をし続けていた。

そのあとの二週間位は教会の先生が残した
講話のテープを繰り返し繰り返し聞き続けた。

一月ほどするとそれはパタリと止まった。母はノートに繰り返し

「希望、光
 希望、光
 希望、光」

という言葉を書き残している。

キリスト教にとって死とは、
天に召される最高の出来事であることに納得したようだった。

そのあとの時間は、ただ静かに過ごすようになった。
テレビはほとんど見なかったし、
家族以外の誰とも会おうとしなかった。

外の社会はどうでも良い代わりに、
家族には24時間そばにいてくれるよう懇願し、
亡くなるまでの二ヶ月ほどは、父と姉、私の3人で
ローテーションを組んで、常に誰かがそばにいられるように努めた。

最後まで疼痛がひどく、薬による副作用でせん妄に悩まされた。
時には真夜中でもかまわず電話をよこすこともあった。
一人で夜を過ごすことが不安で仕方がなかったのだと思う。

できる限りそばにいようと努めても、
その不安を全て受け止めることはできなかった。

後悔はあるけれどあの時、私たち家族はみんなで力を合わせて、
よくやったと思う。母もきっとそれは理解してくれていると思う。

ただただ、あのあまりにも美しかった時間を忘れないでいたい。
いつか自分にも訪れるであろう死を自分自身が迎えるまで。
時の刹那にもう少しだけ。遥かなる永遠を刻んでいたいと、
母が入院中にベッドの側で書き溜めた詩を
ここに編んでおきたいと思うのです。

美しい横顔

あなたが小さな息をして
精一杯に生きている
闇はもうそこまで訪れて
行きつ戻りつ考えている

後悔も焦りもなく
はりつけられたベッドの上で
あなたが今を生きている

こめかみがくぼみ
頬はそげおちて
あなたの美しい顔だけが残る

その顔は言う

私を愛しなさい
私が愛します

ほっそりとした指先を握ると
あなたはうっとりとほほえんだ

吐露

「なんでこんな風になるんでしょうね」

足も腕も、腹も胸も
膨れあがった身体であなたが云う

痛みにも苦しみにも絶え
けして見せなかった絶望を吐き出す

なんでこんな風になるんでしょうね
なんで、こんな風になるんでしょうね

甘美なにおい

簡易ベッドの上で白い天井を見上げる
隣のあなたから、甘いにおいが漂う

最後の言葉は何かしら?
美しい顔をして死ねるかしら?

つまらない心配をよそにあなたは
残り少ない生命の火を燃やす

そして香ってくるのです
枯れていく最後の花びらが
むせる位に部屋を満たすのです

あなたの甘美なにおい
あなたの甘美なにおい

夏の日

玄関を開ける
いつもと変わらない土間をあがる
リビングにかけこむ

夏の日射しにあなたの花柄のチュニックが映える
麻のカーテンごしに光が揺れる

あきらめやら
悲しみやら
落胆やら
平静やら

ごちゃまぜになった顔であなたが見るから
私は冷静にならざるをえなかった

迷った末に私は言う

「絶対に帰ってこよう」

そしてサイレンが近づいて来る
そしてサイレンが近づいて来る


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