氣功師のつぶやき
瞑想と迷走
瞑想食わず嫌いだった、私。
「瞑想」という言葉のイメージ、ただ座っていること=時間の無駄、という解釈で…。
何もせずにじっとしているのが、苦手なだけだったのかもしれない。
瞑想に触れてみることも一切してこなかった。
だから、氣功が瞑想だと知った時、ショックを受けた。
正直、騙されたって思った(笑)
まぁ、何も知らない、無知だっただけだけど。
そんな中で、瞑想のイメージや概念ではなく、体感で感じる実際の瞑想に触れていくうちに、
段々気がついていく。
「瞑想」を知っていることを。
前から無意識に使っているものだと。
カテゴリ分けせず、名前もつけていないほど、自然に、無意識に。
きっと、みんな無意識に、その領域を使っている。
当たり前で、身近で、馴染んだもの。
氣も同じ。
今の私は、瞑想が大好きだ。
この氣塾式誘導瞑想を人に伝えたいと願う。
不思議なものだ。
嫌いだと思っていたものが、実は、好きなものであり。
触れたこともないものが、実は、既に知ったものである、ということ。
トラップのように、騙されなければ(主観だけど)、足を踏み入れることもなく、同じものだと知ることもなく、また、それを意図して深めようとも思わなかっただろう。
人生、何が起こるかわからない。
そして、自分は自分のことをわかっていると思っているが、実は、よくわかっていないということ。
自分で選び、決めているけれども、そうであって、そうではないこともあるのかもしれない。
この世界は意外性に満ちている。
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