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ブラック缶コーヒーとレモンサワーの味。

ファンタジーと言われても、現実の狭間で。

私はここ最近、えらく涙もろい。気がする、といってもここ数年。な、最近です。(歳を重ねる程この間、とかこの前の『この』の単位が数年スパンで最近になりません?)笑 

今日は、自分の誕生日云々かんぬんもあり、少しばかりいつもよりセンチメンタル風味になってしまうことをお許し願いたい。しかも女性にとってわりと大きな、「代」を変えるという大きな節目だから。

ここ数年。私は、「恋」をしている。そう呼べるのか、それすら勘違いなのか?果たしてこの感情をなんと名付けたらよいのかは自分ですら知らない。

ただ、今日。誕生日を前にして、何一つ変わる。進めていない自分に愕然としていた。この恋をして。から。失ったものは、余りにも大きい。でも、そこに悲観的になるでもなく、例えば想ったひと。例えば、恋敵。そんなものを恨むでもなく、自分の不甲斐なさにただ、なんかあきれ果てていた。

今日。お部屋のなか一向に進まない片付けに嫌気が差して、何か、前へ。と衝動的に外へ出たくなった。出掛けた矢先、宅配便のトラックとすれ違う。ふと、さっき申し込んだばかりの集荷の荷物がよぎる。「いや?でもそんなすぐはね」過ぎった予感を捨てきれずに家路へ急ぐとやっぱり。どんぴしゃでピンポンを鳴らしているお兄さんがいた。

「あ、すみません。私です。」

対応してくれたお兄さんがえらくいい人で、アディショナルにお礼を言いたくなる。「助かります。ありがとうございます」大変気持ちのよいまま二つの箱を小気味よく抱えて、秒で去っていった。彼にいいことがありますように。

さて。わたしも出かけよう。

引っ越してきてから、いつもお気に入りの場所がある。『お散歩が楽しい』というのと、『文化(歴史と生活)の香りがする』この二つが自分にとってその町を好きだ、と。住みたいと思う決め手になる。今のお気に入りの場所は、数駅向こうの、神社の境内で。見晴らしがとてもよくて、澄んでいて、空っぽになりたいときは、よくそこに向かう。

今日は歩きがてら、大好きな曲を聴いていた。雨がぽつぽつと降り出して、やはり私は泣いてしまっていた。(誰かが見たら雨の中を歩きながら、泣きじゃくっている女がいたらさぞや不気味だろうなぁ。笑) そんなことを考えながら、何度リピートしてもそれでもやっぱ泣いてしまう。音楽って時にチューニングみたいだよなぁ。って思う。じぶんの感情の『音』を教えてくれる。じぶんの中に流れてる音を知る。そんな風に例えばわたしも心を楽器とするのなら、琴線に触れて、響いて、震えて届く。この鷲掴みにどんぴしゃな感動をなんと表せばよいのだろう。そのものみたいな。心が咽ぶ。呼応みたいに。涙でしか表せない、この愛しさを、なんと言いあらわせばよいのだろか。

私はその正体をずっと知らないまま、馬鹿みたいに、まだ恋をし続けている。

神社について、諸々の神様にお祈りをして、お気に入りの場所へ。有名なのか夕暮れ時はわりと人が多いのだけど、今日は雨のせいか、ひとり占めだ。涙腺が緩むから外で聴くのは危険なのだけど。でも、その日。世界があまりにも美しくて。あぁきっと似合うな、って。あの空にも、届きそうだって。なんだか、この曲をお裾分けしたい気分になった。(スピリチュアルとか、特に信心深いタイプではありません。でも信じる、とか取り入れる。というよりも、感じる、もの?に正直でいたら自然と重なり、繋がっていて、それでいい。感じ?笑)そうやって聴いてるうちにやっぱり涙がこみ上げてしまって。でも一人だから、いいや、って。泣いてしまえ、って思ってたらふっと曲の終わりごろに気配を感じて。人並みに「あ、ハズカシイ」なんて、ふと。空を見上げて、泣いてなかったフリをした。

写真をいくつか撮ったりして、何食わぬ顔で帰ろうとした時だった。「…あ、のスミマセン。」ふと聞こえた声に立ち止まると、ランニング中だったのか、スポーツウェアに身を包んだ青年がいた。「すみません。これどうぞ。」とブラックの缶コーヒーを差し出した

「何か、辛いことでもあったんですか?さっき、その、見えてしまって」と、バツが悪そうに聞いてきた。

「あ、いえ。全然!大丈夫なんですけど。すみません。ちょっと、恋愛で・・・」ってこちらも決まり悪く笑ったら、「あ、自分も!同じです。最近、ちょっと落ちてるなって(手で下に角度を示す)で、その。思わず」

「あ!ナルホド!励まし!!(の缶コーヒー!)…ありがとうございます!」(お互い頑張りましょう!)そうやって突然の理由を知って、声をかけてくれた、渡してくれた、缶コーヒーの有難みを知って、ほかほかした気持ちでお礼を告げて、神社を後にした。なんだか階段を下る足並みも、大事。

帰り道、大好きな古墳のある公園に寄り道しながら、生まれて初めての蓮の花の蕾をみながら缶コーヒーをかしゅっとあけた。すきっ腹への、ブラックコーヒーの威力は中々に絶大で、飲みながら既にくらくらし始めてしまっていたけど。でもこの、手の平のなかでだんだんとぬくもりを失いつつある缶をそっと胸に当てたら、とてもあたたかくて。あぁ。私は、世間がどんなにこの瞬間を笑おうとも、こういうやさしさを。こんな嬉しさを、あたたかさを大切に。私も与えられる人になって。生きていこう。ってそう思った。

そしてやっぱり。毎度のことながら、なんか感謝していた。人が生きるって出会うって、なんだろう?これまでだって、ちゃんと必死に生きてきたはずなのに。でも、今。学ぶ。出会う。そのどれもが必要なこと。大切な、メッセージ。みたいに感じるんだよ、なぁ。

私は、君に出会えなかったら。この世界がこんなに美しいこと。奇跡に溢れてること。ひとがこんなにも、愛しいこと。その何にも知らずに生きていたんだ、と。(と思ったけど。わたしは元々、知ってた気がする。でもいつしか、それを信じることを。思い出すことを忘れてしまっていた気が、する)

いつからだろう?暗闇の中怯えてばかりで。傷つく事から、つけてくるものから逃げて。人は、世界は私が知ってたよりもずっとやさしい。関わるその先を、信じられるように。またいつの間にか、なれた。なら、それは紛れもなくキミのおかげだ。からありがとう。

帰り道の途中であぁもう今日は気分がいいから、このまま、お家で誕生日を迎えてもいいような気がしてきた!けど、見かけた前に一度だけお邪魔した焼き鳥屋さんが空いていて気になって入ってみた。

たまたま、お隣になった方が美容関係のお仕事をされているゲイ(もしくはバイw)とのことで、そしてどの業界でも魅力的な方は、得てして(いい意味で)“構ってちゃん”笑。 焼き鳥屋さんの大将とのからみの中、ちらっと反応のある方へ輪を広げていく。もれなくそんな触手に引っかかるのが私なのだけど。笑 幸い話の全てが面白くて興味深くて、私は「うんうん、はい。ハイ。」と深々で聞いてしまった。

その中で、ふと目ざとく私の捨てられなかった缶コーヒーの空き缶に目をつけられた。(大将も気づいてらっしゃったけど、ゴミとして捨てるか声掛けするか悩む微妙な線だったらしい。さすがだ。)話すと長くなるんですけど、の前置きで経緯を説明すると「キモい!ヤバイ!恋に恋してる!思い込み!」と一蹴された。笑

「イヤ、そう仰るとは思いますけど!」と苦笑いで反論すると「だって、ね。この(例えば)今日始めて会ったおじさんが一人で曲を聴いて泣いてる。したら缶コーヒーをもらう。その缶を「捨てれないの」って持ってたらどう思う?ただの恐怖でしょ!?」と畳み掛けられた。笑 「はい。確かに。(Sounds like...yeah)」と仕方なくも、笑ってしまう。

「運動する人ってことはきっと同じ時間にまたくるよ。」と大将は現実的な出会いに繋げる方向へ舵を切ってくれた。うん。ありがとうございます。でも、別にその人にときめいたとか。またの出会いを期待するとか、そんなんじゃなくて。ただ。見ず知らずの(泣いてる)人に、そっと自分の持ってる缶コーヒーを差し出せる、って、その優しさって、素敵じゃない?と。

ちなみに、どこか近くの自動販売機で買ったのかと思った熱いくらいだったその缶カンはどこぞのコンビニのテープが張ってあって、その事実を告げたら「ダッシュで駅まで買いにいったんだな、そいつは。」と、大将と美容家さんはひひっと、楽しそうに笑った。私は思いがけず。もしそうだったらそれはそれでうれしいなとは思ったけど。こういう時、トキメク。とか出会いに発展させる意識というかその態勢が低い。のかもしれない。

ぼんやりと”ブラック”かぁ。と思っていた。それが嫌なわけではなくて。もし自分だったら泣いてる女性には、何か甘いもの。せめて無難にカフェラテとか?糖分で元気にしようとか考えてしまうけど。ガチのブラック

きっと、いい人なんだろうなぁなんてぼんやり思っていた。むしろここでスッとスイーツ系ドリンク渡せる人より、絶対いい奴じゃないかなぁ。彼が落ち込んでいたという、彼女さんか片思いなのかはわからないけど、うまくいってない方。この人、絶対いい人!幸せにしてくれるよ!!ってお節介ながらそう伝えてあげたいなと、思っていた。

ここらへんの感性の由来は父かもしれない。父は、なんせ不器用で、お土産とか何にしろプレゼントのセンスが全く何と言っていいか微妙なのだけど。(そしてそれはもれなく私にも受け継がれてることを最近知った)笑 ある時はお土産でどこに着て行けばよいのだ?というハワイの“ムームー”をこれ見よがしに「な。うれしいだろ?」と渡されたときは「う、うん。。あ、ありがと。」って。子供心に、決して無下にしてはいけない、なにか越えてはいけないものを知った。でもその的外れなセンスはどこか可愛らしくて、その真っ赤なムームーも嫌いになれなくて、そっとしまっておいた(ちなみに一度お風呂上がりにみてみて!って着てみせた時以外どこにも着てはいけなかった。笑)

そんな事を急に思い出しながら、たまたま今日、カウンターで出会った方と大将と三人で笑い転げて。いい日じゃないか。流れで私の泣いていた理由になった。まぁ、嘘ついて誤魔化してもしょうがないから、と。ある程度正直に打ち明ける。好きな人がいるけどどうにもうまくいかないこと。その人には、自分の他に好きな人がいるかもしれないこと。それでもどうしようもなく好きでしかないこと

隣のバイさん(本名、敬称略ですみません)には全力で否定された。笑「キモい!痛い!ありえない!」それは気持ちいいくらいで。私はそもそも相手が「ちょっとガチで言っていい?」って警鐘鳴らすくらいの本音トークが好きだ。「…ハイ。ちょっと覚悟するんで、待ってください。どうぞ!」って告げると、お相手が斜めの角度で「どMか」と少しにやっと笑った。

そんな風に沢山釘を刺されて、それもあたたかくて。バイさんの頼んでた、レモンサワーが美味しい。と教えてもらった。このお店ではコレだよ!と。「飲んでみたい!」と素直にわくわくしていたら、大将の一声でバイさんにツケて頼んでくれた。笑 飲んでみて、違いはわからなかったけど、それは爽やかで、とても美味しかった。みんなに散々一杯の缶コーヒーとの違いをいじられたけど「私はどっちの味も忘れません!」と息巻いていた。笑

そんなこんなで、何が言いたかったか、というと。なんだろ?この一杯の缶コーヒーとレモンサワーのストーリーを。私は140文字にまとめきれなくて。でもとりたてて語るほどのことでもないから、日記にもし損ねていて。でも、なんだか忘れたくない日常のひとコマ。そして、伝えきれなかった「ありがとう」をどこかに残したくて、ここにまた書いているのかもしれません。私の日常は、この伝えきれなかった「ありがとう」で溢れてる

なんというか一杯のほろ苦い缶コーヒーも、すっきり甘いレモンサワーも。わたしには、あたたかくて。笑顔にしてくれて、大切にしたい一瞬なんです。でもご本人達にはそんな感謝をうまく伝えきれずに、今日もまた帰ってきてしまった。

この昨日の「ありがとう」を私は、今日、明日。これから。出会った誰かにそっと渡していきたいと思うから。そしてわたしも誰かを笑顔に出来るといいな。と思う。そんな連鎖が、いつか巡りめぐってご本人達にも届くといいな。と、本当に思う。

ってそんな夢みたいなことさえ願ってしまうような、素敵な出来事だったんです。あぁ、もう気づけば「今日」はお誕生日だ。

今年もこれからも、こんなあたたかな笑顔に囲まれて生きていけますように。

願わくば、私も。そんな笑顔を、大切に想える誰かに。周りにあげられる人で、ありますように。

はっぴーばーすでー とぅー みぃー♪

君に幸あれ!

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