見出し画像

劇団かに座公演観劇記「壊れた風景(別役実作)」

23年6月2日(金)。

この日は東海地方から西日本に被害を出した台風2号と、それによって刺激を受けた前線による大雨が横浜でも降りまくった日です。

そんな、もしかしたら帰れないかもしれない雨の日に舞台公演を観に行きました。

劇団かに座第124回公演=マグカルシアター参加公演=「壊れた風景」(作・別役実、演出・馬場秀彦)@神奈川県立青少年センター2階 スタジオHIKARI


フライヤー


私は、かつて劇団かに座に10年以上在籍していて、様々な舞台に立たせていただきました。

今回、若い人を中心にして別役実を上演するというので、もしかしたら帰れないかもしれない大雨の中(しつこい!)観て来ました。

私も別役作品2本に参加したことがあります。
劇団かに座第89回公演「雰囲気のある死体」(2004年11月)
劇団あげ玉Vol1「マッチ売りの少女」(2018年6月)

初めて別役作品に出演した「雰囲気のある死体」は、もう何がなんだかわからない作品で、ただただ苦しかった記憶しかありません。
2回目の「マッチ売りの少女」はあの有名なアンデルセン童話をモチーフにしたちょっと不思議で、怖い話でした。この時はやはり理解できないことも多かったのですが、自分でも魅力的に感じ、お客様にも強いインパクトを与えることができました。

いずれにせよ、別役脚本は演じる側からすると、極端にいうと苦しいということは共感してもらえると思います。
私も、「雰囲気のある死体」のあとは、もう別役作品なんて二度とやりたくないと思いました。

別役作品は、台詞に代名詞が多かったり、時間が進んだり戻ったり、とっちらかっているというか、頭がむずむずするような理解に苦しむものが多いです。
それが演じる側からすると、苦しみのもとなんです。
しかし、他の劇団で上演する別役作品を観に行くと、とても魅力がありました。
それは演じる側からすると苦しむ、その台詞の魅力と、出てくる人物の人間性です。
自分、あるいは自分の周りに実在している人の心の中を映しだしているような作品としての魅力です。

今回の「壊れた風景」のあらすじは以下のとおり。かに座HPからの引用です。

ハイキングの手料理が並べられている場所を通り過ぎようとしていた見知らぬ人達、道に迷った母娘、初老の薬売り、マラソンランナー、若い夫婦と集まって、鳴りっぱなしのレコードを止めるの止めないの…。
いつしか興味は手料理へ、ついひとつまみのつもりが態度は徐々に開き直り、みんなで責任を負えばいいのだと、やがて大宴会へと…何気ない行為、責任逃れの会話がいつしか迷路に入り込んでしまった。
集団心理と曖昧なコミュニケーション、別役作品のおかしなおかしな悲喜劇。

ほぼラストシーン(出典:劇団かに座ブログNeo)

これらの不思議な人物を、若い人や、ベテランが混ざり合って各々の個性を見事に演じていたと感じました。
このシチュエーションは、私たちの日常に繰り広げられる「無責任」の場そのものです。
その無責任さかげんが心地よかったです。最初はまともに見えていた人物が、いつの間にか無責任側に変わっている。そこに本音と建前みたいなものも覗いていたり。各々の人物がとても魅力的に描かれていました。
その魅力を支えていたのは台詞です。いつものとっ散らかった感じなのですが、その台詞が魅力的な人物を描き出す元になっています。あの台詞回しがないと表面的な喜劇になっていて、深い魅力は出てこなかったと思います。

役者の皆さんは、とても苦しんだと聞きました。そうでしょうね。
でも、その苦しんだ結果、「私たちはわかりにくい部分も含めて脚本に忠実に演じてみますので、あとはお客さんが感じてください!」という姿に行き着いたのじゃないかなと推測します。

また、別役作品に挑戦してみたくなりました。

今回は会場がHIKARIという場所のこともあるのか、舞台装置がいつものかに座らしくない、これも良い意味で裏切ってくれました。
かに座の舞台装置は、リアルな装置を作ることが多いのですが、今回は脚本に合わせたのか、ちょっと抽象的でカッコ良い舞台装置でした。

舞台装置(出典:劇団かに座ブログNeo)

次回以降も期待しています。