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ブラックバード-「飛べない鳥の旅路」より- 3章

――今から4年前。

国内の大手レコード会社が3社合同で大規模な新人発掘オーディションを開催する。
当時は音楽専門誌だけでなく、地上波のテレビCMでも大々的に宣伝された。
その中でも、当時の音楽番組のCMは漏れなく垂れ流しとなっていた。
未来のスター。。。それはキミだった!!』こんなキャッチフレーズだったと思う。
もはや音楽業界だけでなく、国内メディア全体が注目した新人オーディションに、ブラックバードは大賞こそ逃したものの審査員・特別賞を受賞した。
それが切欠となり、現在所属しているサファイア・レコードと契約する運びとなった。

一方その頃の僕はというと、レコード会社の下請け会社の派遣社員として働いていた。
業務内容は、主にオーディションに参加した応募者のプロフィール管理と編集だった。
その中で、偶然にもブラックバードのプロフィールが目に入った。
更に偶然は続き、ブラックバードと僕の生年月日が全く同じだった。
しかも同じ岡山出身という共通点も重なり、驚きを通り越して、恐怖すら感じた。
その事を当時の上司と何気なく話していたら「それじゃあ、ブラックバードのマネジャーをやってみないか?」と冗談交じりに勧められた。
まだ、その時点ではオーディションの期間中だった為、結果など当然ながら全く分からなかった。
更に、応募者数は2万人を超え、狭き門となっていた。
まず、受かるのは無理だろうと上司と二人して笑っていた。

それからオーディションが終わった数日後、僕宛てにサファイア・レコードから正式にマネジャーの依頼が郵送便で届いた。

自分に仕事の依頼が来た事よりも、まずブラックバードが賞を獲った事に対して驚いた。
そのせいか、自分にマネージャーの仕事が舞い込んだ事に対しては、然程の驚きもなかった。
恐らく、その頃はまだ実感が湧いていなかったのだろう。
そんなふわふわした軽い気持ちでマネージャーの依頼を引き受けてしまった。
その誤った判断が、僕の後々の人生で後悔の連続を生み出す切欠になる事ともつい知らず。。。

その翌週にブラックバードと初対面した。
特に大袈裟な事件も起きない、何気ない風景だったはずなのに、その時の事は今でもはっきりと覚えている。

桜が散り始めた4月中旬の穏やかな小春日和。
サファイア・レコードが入る大手町ビルに向かう途中の並木通り、たくさんのサラリーマンが行き交う中で偶然に出会った。
幻想的に舞い散る桜吹雪と灰色のスーツ姿のサラリーマンたち、その中に全く馴染まない歪な黒い仮面。
それは悪魔の化身か、はたまた怪しい宗教の教祖様か
どちらにしても、初見であの仮面は誰でもたじろいでしまうだろう。
当時の僕も例に漏れずその場で立ち尽くしてしまった。
しかし、不思議と興味を惹く特別な存在にも思えた。
禁断の果実みたいなカリギュラ効果みたいな
兎に角、訳もなく心を奪われた。
そんな事を思っていると、ブラックバードも僕の存在に気付いたのか、不意に「行くぞ」とだけ告げた。
それはまるで幾度となく修羅場を共に潜った戦友のように、或いは毎日学校で会っている友人のように、何の挨拶も説明も添えないまま、その一言だけ告げると、颯爽と僕の前を歩き続ける。
そんなブラックバードの背中を今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
それは、これから偉業を成し遂げる決意に満ちた気配を纏っていた。
同時に、全てが失敗に終わり、何もかも失ったとしても、全てを受け入れる覚悟の出来た背中だった。
そんな背中に、僕みたいな何の決意も覚悟も持たない小さな人間が掛ける言葉などある訳もなかった。
ただブラックバードの後を少し遅れて小走りで追う事しか出来なかった。
自分と同じ年齢、同じくらいの背丈なのに、身に纏うオーラの違いなのか、それとも奇妙な仮面の仕業なのか、随分と大物に見えた。
しかし、すれ違う人たちは特にブラックバードを気にする素振りも見せない。
まるで僕だけがブラックバードを視界に捉えているようで、漠然とした不安に駆られた。

そんな出会いから3カ月後、ブラックバードは無事にメジャーデビューを果たした――

武道館からブラックバードを自宅に届けた後、僕はそのタクシーで西麻布に向かっていた。
それは今回のツアープロデューサーを務めた青木さんとツアーマネジャーを務めた高柳さん、
それと先程コンサート直後に無理なお願いをしてきた笹沖の4人で、
全国ツアーが無事に終わった事を祝して、ささやかな飲み会を行う為だ。
西麻布は週末という事も手伝って、既に多くの車でごった返していた。
特に外苑西通りは中央の路線以外は完全に渋滞していた。
これは今から降りて歩いた方が早いだろうと判断し「ここで良いです」と運転手に告げた。
不機嫌そうな運転手にタク券を渡すと運転手は何も言わず後部ドアを開けた。
3月初旬の夜はまだ空気が冷たく、タクシーを降りた途端に溜息が白く染まった。
そこから歩いて5分程で約束の居酒屋に着くと、既に笹沖が居酒屋の前に立っていた。
そして僕の存在にいち早く気付き、こちらに向かいわざとらしく大きく手を振る。
恥ずかしいな。
一刻も早くその大きく振る手を降ろさせる為にも「お疲れ様です」と僕は小走りで笹沖の基に向かう。
随分と早かったね!」と手を振っておきながら笹沖は目を丸くして驚いた。
そうですか? ブラックバードを自宅に送ってすぐに来たから、早いといえば早いのかな…
そんな僕の説明に笹沖が曖昧に頷き「まぁ… 渡辺くんが良いならいいけど」と軽く首を傾げながらも、先導するように店に入って行く。
僕の説明に何か腑に落ちない事でもあったのだろうか?
微妙な雰囲気を漂わせたまま笹沖の後を追って居酒屋に入ると、案の定、道路の渋滞と同様に、店内も多くの客で賑わっていた。
予約の笹沖様ですね。こちらになります
黒いエプロンを掛けた金髪の女性店員が僕と笹沖の前を歩き、カウンター奥にある座席へと案内する。
こちらの席になります
案内された小部屋は本当に小さな部屋だった。
一見すると、雪で作ったちょっと大きなかまくら位か。
この中に大の大人が4人で座れるのだろうか?
そんな疑問を抱きながら靴を脱いで部屋に上がる。
室内は小洒落た間接照明で全体を薄暗く照らした随分と落ち着いた雰囲気を演出している。
中央には黒くて丸いテーブルがひとつ置かれているが、4人部屋にしては、やはり小さい気がする。
まぁ、いいか。
おっ、渡辺くん! 随分と早かったね。それじゃあ、始めようか!
部屋に入った瞬間に独特なしゃがれた声の高柳さんが既に先程までビールが入っていたであろう大ジョッキを空けて待っていた。
そんな高柳さんの横に座っている青木さんは相変わらずの巨漢で成人男性の平均を軽く超えている。
ただでさえ狭い個室が更に狭くなり、僕が座るエリアはバチカン市国並みに小さくなっていた。(世界地図に対しての比率だ)
そんな状態でも全く気しない3人は飲み物を早々に注文し終えると、全国ツアーを無事に終えた事に安堵した様子で会話を弾ませる。
いや~、それにしても、今夜のライブは今回のツアーで一番の出来だったんじゃないかな?
そうですね。ブラックバードと日本武道館はよく似合います
青木さんと高柳さんは腕を組んで感傷深げに語り始める。
そのタイミングで注文した飲み物が届くと各々でグラスを持ち、気持ち程度の小さな乾杯でグラスを交わす。
特に赤い照明に照らされた瞬間のブラックバードの仮面には狂気が宿ってますよね!
そうそう、この瞬間を見る為にライブに来たって感じがするよね
そんな二人の会話を横で聞いていた笹沖も“分かります。分かります”と言わんばかりに渋い表情を浮かべ、わざとらしく深く何度も頷く。

そんな感じで、2時間が経つ頃には、更に酔いが深くなっていた。
特にお酒があまり強くない癖に勢いよく飲んでいた笹沖は顔を真っ赤に染めて、眠そうに重くなった瞼を必死に開いていた。
そんな完全に出来上がった笹沖が思い出したように僕を見つけるなり、目を擦りながら「いや~、渡辺くんは本当に偉いよ~」と僕の持っている空のグラスに赤ワインを注ぐ。
何故、褒められているのか分からないが、悪い気はしない。
そんな高揚感に包まれているものだがら、僕も調子に乗って何度も赤ワインを飲み干してしまう……

気が付けば黒いソファーにうつ伏せで寝転がっていた。
時計を探すが部屋は随分と暗く、何も見えなかった。
そう言えば、年が明けて早々に全国ツアーが始まった。
だから、今までずっと全国のホテルを転々としていた。
そのせいか、今自分がどこに居るのか一瞬忘れてしまう。
しかし、この間取りにこの家具の配置からして、確実に今は東京の自分の家に居る。
それなのに、まだどこか、この家ときたら、余所余所しくしているように感じる。
しかし、家に漂う独特な生活臭が次第に自宅だと認識させ、徐々に家の主を受け入れ始めている気がする。
同時に、不意に、もう何年も帰っていない実家の景色が過る。
今の僕が突然実家に戻っても、独特な生活臭は僕を温かく向けてくれるのだろうか。
どうでもいい事だ。
本当にどうでもいい事なのに、そんなどうでもいい事が、実は人生で最も大切だったりするから、人生とは質が悪い。
横に置いてあった携帯電話を開くと午前4時と表示されていた。
それとおまけ程度に母親からのメールが届いていた。
ご飯はちゃんと食べているの?』や『仕事は順調なの?』や『今度はいつ戻って来るの?』などなど。
都会で一人暮らしをする息子に対する長文の心配メールだ。
そんなメールに対して、僕は実家に漂う生活臭を思い出しながら適当に返信を済ませるが、
結局のところ実家の生活臭は愚か、家の間取りさえも怪しい記憶に溜息を漏らすのが精いっぱいだった。
そんなどうしようもない諦めの境地で携帯電話を閉じる。
飲み過ぎたせいで未だに全身が火照っている。
何とかしたいと立ち上がろうと試みるが、全身に溜まった疲れが鉛と化して僕から自由を奪い取り、ソファーから離してくれなかった。
幸いな事に明日は久々の休みだ。
だから、夜更かしをする事に何ら抵抗は無いのだが…
何か嫌な予感がして、脳内に得体も知れないモヤモヤが蠢いていた。
気を紛らわそうとテーブルにあったリモコンを手に取り、テレビの電源を点ける。
しかし、こんなミッドナイトでは、どの民放に変えても通販番組が流れているのが常識となっているようだ。
僕の知らない常識に困惑をしながら、隈なくチャンネルを変え続けると、唯一、NHK総合だけが冬山の絶景を何のナレーションも添えずに流し続けていた。
身体が火照っているとは言え、雪山の映像で涼しくなる訳も無く、今度はBSに切り替えてみた。
すると、モノクロの粗い映像の随分と古い映画が放送されていた。
リモコンで番組情報を表示する。
どうやら『楽園への歩み』という、60年前にフランスで制作された映画のようだ。
内容欄には“主人公の少年が家出をして楽園を探す旅をし…”と端的な内容が表示されていた。
この場合の楽園が何を指しているのか……
そんな疑問を抱きながら観ていると、いつの間にか映画に見入っている自分が居た。
そんな自分を俯瞰で見ている自分も居た。
何とも不思議な感覚だったが、意外と心地が好い。
テレビの中では大きな麦わら帽子を被った少年が広大な麦畑を無邪気に走り回っている映像に切り替わる。
ただ単に、誰にも縛られる事無く住み易い場所を楽園だと定義するのであれば、それは主人公の少年がまだ幼いだけだ。
楽園なんて、その時の状況によって変化する…
実は地獄だと思っている現状が、後になって楽園だったと気付く日が来るように…
その事に気が付けたなら、、、
少年はまた一つ成長して、、、、、
この旅の、、、、、
終着点にも、、、、、、
幾分かの、、、、、、、
輪郭が見えるのかも、、、、
しれ、、、、な、、、い、、、、、が………zzz


その道は無数の桜が延々と続ている。
遠くを眺めれば黒い城の天守閣が見える。
あれは、そう、岡山城だ。
そうなると、ここは地元岡山の旭川沿いという事か。
そして何故か、幼い僕の手を引く母の後ろ姿。
この桜も私が来世に生まれ変わる頃には無くなっているわね
寂しそうに微笑む母が、桜吹雪と同じくらい儚く思えて、僕は何故か涙を流していた。

ギ念… この世界には常に2つの選択肢しか存在しない。

ギ念… 魚たちは水の中を泳いでいると認識していない。

ギ念… 人類は哺乳類ではなく地球に対する有害物質でしかない。

ギ念… 自分で決断した事でしか運命は生まれない。

ギ念… 楽園に対する定義を求め過ぎた果てに残るものとは………

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