「ない」と思うから足りない(スピリチュアル)
健康を失った。
感染症にかかった。
一人きりぽつんといる。
道場へ行けない。
恋人に会えない。
これらはあれば良いものではある。
しかしないからと言って、「不自由」ではないのだ。
住む世界は自在に選べる。
行けなかった道場。
会えなかった恋人。
ないものに目を向けて「寂しいという感情」の流れてくるままにしておく必要はない。
今私には寝床があり、食べるものがあり、テレビではABEMAでもティーバーでもユーチューブでも見られる。
少し元気が出たらドールハウスキットを取ってきて、ゆるゆると作成を楽しめばいい。
そして、早く元気になって、ユキエモンのワンピースを着て楽しく出かけることを想像すれば良い。
この世界のこと、まだわからない。
「みどり」を中心に考えればいいのか。
必要なとき必要な人や物が現れるのか。
今日いかなかった道場は、今日は実在しないのか。
会っていない人は、あっている間だけ役割を演じているのか。
相手にとってもそうなのか。
相手にとって私が必要なとき、何らかのキャラとして登場しているのか。
いずれにせよ、怖がる必要はない。
行きたい方を目指して楽しめばいいのだと思う。
今ここにあるものだけを見て。
ないもののことは考える必要がない。
そうなのだろうという思いが湧いてきた。
それが正しいのかどうかわからない。
ただ思いついたので書き記す。
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