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あたしンちを見てわかったこと(エッセイ)

ここ一週間、調子が悪く横になっている時間が多いが、ほぼ、ABEMAを見ている。

簡単に見られるチャンネルを選んだところ、クレヨンしんちゃん、あたしンち、ドラえもんのみをやっているチャンネルになった。

あたしンちは、庶民的な家庭のアニメだ。

お母さんは変なとこにケチケチし、ちょっと高いお店に入るとビクビクするような、魚みたいな顔をした怪獣みたいな髪型をしたキャラだ。

それと、女子高生、その弟、そして父の四人家族だ。

さて、あたしンちを見てわかったのは、うちの母もあたしンちの母と大差ないということであった。

あたしンちに出てくる子どもたちは、それなりに母の目から隠れ自分の好きなことをしたり、母に対して自己主張したりしている。


高校生の頃友人の家へ行ったとき、母に対して文句を言う彼女を、すごいなあと思った。
私は親に対して自己主張したことがなかったからだ。隠し事もなかったしとても真面目な子だったのだと思う。

私は一旦自分の家庭を持って、今実家へやむを得ず戻っているが、家を出てようやく自己主張ができるようになった。

家庭をもったことで、ぶつかることが増えて私は疲弊し、一年ほど疎遠にしていた。

けれど私は気づいた。
ぶつかってどうなっても、もっと早くぶつかっておけばよかったと。


子供の頃、母はあまり家におらず、家にいても話せる時間もなく、悩み事があっても一人で解決するようになった。


それで信頼関係が築けなかったのだが、あの頃もっと文句を言えばよかったのだと思った。
弟の好きなお菓子ばかり買ってきたこと。
弟がかぜひいたときだけ、すしをとっていたこと。
私の気に入っていたお土産を勝手に人にやってしまったこと。
何一つ褒められたこともないこと。

そんなにセンチメンタルに捉えることでなく、いちいち文句を言えばよかったのだ。お母さんー、なんでホワイトロリータばっかなの?たまにはルマンド買ってよ、とか。
見てみて、学年十位内2つもあったんだよー、合唱でソリストに選ばれたんだよー、とか。
なんかそんなことを口にすることが憚られるような雰囲気はあったのだが、気にせず言えばよかったのだ。

だって私がどんなに品行方正に育とうとも(今は違う)、母はあたしンちの母と大差ないんだから。

私がなにか言うたびに、でもー、とか、だってー、とか言う。
一所懸命、合理的な考え方を教え込もうとしても、興味ないらしい(ゴールを設定して、そこへ辿り着くためにはどうしたらいいか、という考え方)。
ロジカル思考ができないのである。


だから、あたしンちの主人公のように、気になったらその場で「もうー、やめてよね」とスパッといえばいい話なのであることに気づいた。


私はずっと、うちの母はもっと賢いと思っていた。けれどもっとこう、なんていうか、俗っぽいわけじゃないから気づかなったけど、庶民的な人間なのである。

もう扱いがわかったので、あたしンちを参考に、言いたいときはその場で!というとワンちゃん相手みたいだけど、そうやって言って、喧嘩してもあとにくよくよしないで次の日にはケロッと話そうと思う。


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