課金疲れ【エッセイ】
ラジオトークというSNSをやっているが、そこで仲の良い方から連絡が来た。
ラジオトークからしばらく離れるとのこと。理由をもしよければとお聞きしたところ、課金疲れとのこと。
確かに運営会社としては収益がないと会社の存続ができないし、社員の給与も出ないわけだから課金してもらわないと困るに違いない。
しかしこうやって苦しんでSNSから離れていく人もいるのだ。
運営会社の非を問うわけでもなく、トーカーさんにも非はない。
ラジオトークは、プロの枠、課金を要する枠、お話ししたい枠にざっと分かれる。
仲のいい人が言っていたけど、課金してほしいなら課金してくださいとはっきり言えと。そこまで‥と思ったが、課金して後で気づいて傷つく人もいる。
運営会社としては商売だし法に触れることではない。
ただ、トーカーさんは、投げてもらう陰には、投げてくださる方が汗水垂らして働いたのだということを念頭に置いておかなくてはならない。
こういったものへの課金というのは、その場の雰囲気や、現金を使うわけでないことなど、「お金を使っているという感覚を奪う」側面がある。
私は電子マネーを信頼していなかったり、形に残らないものにお金を費やすことができない質なので、note以外ではお金を使っていない。
noteで買った記事は、有効活用しているので、なんの疑義もない。しかしながら、投げ銭を頂いたからという理由でほしくもないのに買ったスタンプに関しては、買ったことを後悔している。今は投げ銭頂いても、自分の気に入るものでなければお金を使わない。
数百円という金額でも後悔するのだ。
だから買物は本当にほしいかどうか問うてからするべきなのだ。それをしにくいのが、SNSであり、ライブ配信は尚更しにくい。私は一定間隔を置いて冷めた目で見ているから、課金を求められているなあと思ったら去ることができるが、それができない人もいるのだ。
果たしてこれを自己責任とだけ言えるだろうか。
人の優しさにつけ込んで、煽って投げさせる人は悪人だと思う。
投げる相手が満足するコンテンツを作り、自然と投げてもらうのなら、投げるに後悔もないと思うが。
コンテンツもないのに、雰囲気で煽って投げさせるのは嘆かわしい。
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