エッセイ1

どこかのブランドが、「このTシャツの売上の一部をLGBTQ(Qってなに?)やBLACK LIVES MATTER とか云々の教育云々を支援している団体に寄付します」「境遇があまりよくない方に寄付します」というのをやっていて、すごく良いことなんだろうけど、私自身の心には全く響かず、むしろ違和感を覚えるのはなんでだろう?と悩む。全然LGBTな友人もいるし、女性にも男性にもどちらとも言わない人にもフェアに接してきたと思っているし、これからもそうありたいと思っているし、差別には吐き気を催すタイプだけど、なぜああいった活動に気持ちがぐっと入らないのか、もやもやする。なにかが違う。デモに参加しようとも思わない。なんだろう?誰か理由を教えて欲しい。スッキリさせてほしい。世の中の人は本当はどう思っているのだろう?

コロナだからって、それを逆手にとった周到な施策に見える(と思う自分が卑しい)のがいやなのだろうか?それとも負け惜しみなのか(先にやればよかった)。それとも他人事だろうか。当事者ではないから。遠い世界で起こっている出来事に、なんでそんなに熱くなれるの?ってただ冷めているだけなのだろうか?自分の中で当然解決している問題を蒸し返している奴らを心の中では見下して、優越感にひたっているだけなのかもしれない。

ほんとのところわからないのだ。ニュースを見ていてイラッとするんです。なぜだか。

BLACK LIVES...のニュースを見ていて、米国における人種差別の問題は、日本における同和問題のようなものなのだろうなと思った。社会の教科書にも載っている同和問題。脈々と続く出生地差別の歴史、と教わったけど子供心に当然解決されているのだと思っていたものだ。

そんなことを誰も気にせず、誰の記憶からも消えてしまうことこそが本当の解決なのだろうな。そのときには当然教科書からも削除されるわけで、そうなれば良いと思うけど、一方でそうなるには社会は色々と複雑になりすぎたんだろうな、などと考えた夜。おやすみなさい。

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