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日本の風景

旅から戻ってくると、この閉ざされた島国の異世界っぷりに度肝を抜かれる。

小さな島国に、多すぎる人口。
広大な大陸国家と比べると、ここはあらゆるものがミニチュアの凝縮世界。

コンビニひとつ見ても、狭い店舗に無数のサービスがぎっしり詰め込まれているのは日本ならではのお家芸。
狭小なスペースに効率良くコンパクトにまとめる技術は他国では見られず、日本のコンビニはまさに万能、ぶっちぎりで世界一だ。

接客も世界一。
別に偉くもなんともない、ただ客であるというだけで神扱いされる、異様な接客王国。

他に類を見ないイカれた街並み。

明るい。
夜がこんなにも明るいなんて。

この国で生まれ育ったのだから、よく知っているはず。
それなのに、あらゆるものに驚愕してしまう。
逆カルチャーショックの連続。

露店じゃあるまいし、商品が外にむき出し状態というのは異常。
こういった店には、銃を持ったガードマンがにらみをきかせているものだが。

自販機の多さも異常。

世界の大半の国では、自販機があったとしても紙幣がボロボロすぎて通らないだろう。
日本では、そこらじゅうにあるコンビニの中にATMがあり、いつでもきれいな紙幣が出てくる。
偽札は皆無といっていい。

「治安の悪い国も旅するのか?」
「海外で危険な目にあったりしないのか?」
とお決まりのように質問されることが多い。

「治安」とか「危険」という言葉が一体何を意味するのか。
質問者が期待する「危険な目にあったエピソード」と、僕の実体験や実感がおそらくかけ離れているだろうから、いつも返答に困る。

犯罪率の低さという意味では、日本の安全度はトップクラスだろう。
客観的な統計なら、世界中を旅しなくても調べてもらえば誰でも知ることができる。

僕が実感したのは、犯罪率が低いことと平和であることは違うということだ。
日本は犯罪被害にあう可能性は低いし戦争をすることもないが、安心してのんびり生きていけるような平和な国だとは感じない。
SafeではあるがPeaceといえるのか、果たして。

日本は無宗教の国、ではない。

個人的に神を信じるかどうかは、たいした問題ではない。
宗教とは、その土地に根づいた文化、風習、世界観、といったものの総称であり、そこに住む人々の身に染みついているものだ。

そして宗教は、時の権力者が国を統率するための強力な道具でもある。
日本は、神道と仏教のミクスチャーな歴史を歩みながら、明治期からは仏教を排除して国家神道として結束、一丸となって世界大戦へと駆り立てられていった。

敗戦後、アメリカは日本に二度と戦争させないよう神道の教育を廃止し、宗教を自由化してキリスト教などもミックスされていった。
これによって、日本人は宗教というものに対する明確な理念を失っていった。

しかし現代においても、いたるところに神社仏閣があり、事あるごとに参拝し、年間行事もしっかりこなし、お守りを持ったり縁起をかついだり、など日本人の信心深さを示す例はいくらでも挙げられる。

日本が無宗教だと言う人は、個人的に神を信じていない人が多いことと、そして宗教といえば他国の一神教のイメージが強いからだろうか。
厳格な一神教だけが宗教ではない、多神教特有の何でもありの寛容さとミクスチャーっぷりこそが、日本独自の宗教観でもあると思う。

寒い国はいくらでもあるが、日本の豪雪っぷりは世界でもトップクラス。

色彩が消失する雪景色。

その中で際立つ赤。

白の反対は、必ずしも黒ではない。
「紅白」というように、白と対になる赤という概念もある。

電波塔が赤と白の組み合わせであるのも、最も目立ちやすい配色だからなのだろう。

圧倒的凝縮。

東京の路線図も異常。

ほんの5分だけ路上に自転車を置いて戻ってきたら警告の紙を貼られている、病気だろこの国。

日本の自転車保有台数は約7000万台、2人に1台は自転車を所有している割合。
これだけ自転車が普及しているにもかかわらず、日本の道路環境はあくまで車中心で、自転車の存在に対して寛容になれない。
数分の駐輪で警告の紙を貼ったり、撤去したり、駐輪場で金を取るような国は、日本以外に僕は知らない。

バカのひとつおぼえで何でもかんでも禁止するのではなく、ある程度許可した上で上手にコントロールする工夫をした方がいい。
わずか数分の買い物もできないような社会はただ息苦しいだけだ。

ところで一方、歩道には点字ブロックが敷き詰められ、信号が変わるたびに滑稽な電子メロディが鳴り続けているが、日本人の視覚障害者の割合はわずか0.2%である。
この不自然な盲人びいき自転車敵視社会は何だろう?

独自の進化を遂げたガラパゴスなママチャリ。

白虹(霧虹)。

通常の虹は、光が雨粒の中で屈折して七色になるが、小さな霧粒の中を光が通り抜ける時は色が重なり合い、白い虹となる。

国境は、人の往来を阻む山や川に沿って引かれることが多い。
しかし古来からの山岳信仰など、その土地の人々にとってアイデンティティともなるような山が国境で分断されていたら、争いの種にもなりうる。

富士山は、日本列島のヘソともいえる中心部に、誰にも奪われることなく鎮座してきた。

ここは、僕にとって自転車旅の原点でもある。

日本一から流れ落ちる宝石。

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