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第1回『コロッケそばについて』





そう、初っ端から拍子抜け感は否めないのだが、
いきなり「コロッケそば」の話だ。申し訳ない。



では、まず今回の主役の1人であるコロッケの話からだ。


コロッケとは元来、「ふかしじゃがいもをつぶし、炒めた玉ねぎとひき肉を加えて形を整え、衣をつけて揚げた料理」とある。ふむ。


僕が好きなコロッケは、商店街の肉屋さんが作る高温ラードでキッパリと揚げ、衣がサクサクの出来立てのコロッケ(¥80〜¥90程度が好ましい)か、家でお母さんが作る愛情こもった手作りポテトコロッケだ。うちの母は料理下手でコロッケを作った事がない。まぁいいか。



コロッケの定義はさまざまだが、サクサクの衣をまとったきつね色の美しい姿に「申し訳ないっす」と言いながら、ソースをちょこっと垂らし、間髪入れずにカップっと食らいつき「ホフホフ、あとぅい、うまうま、ほふほふ」とか言いながら、ワシっとサッポロ黒ラベルなどの黄金発泡系飲料(ビールだ)を片手にごくごくと流し込むのが正しい。
おそらく西洋から伝わったであろうコロッケだが昭和の戦後以降、大人も子供も好きな日本を代表する国民食と言っても過言ではないだろう。



僕はコロッケ好きが昂じて、伊豆大島の有名コロッケを野営隊と食べに行ったことがある。あれは素晴らしく美味いコロッケだったなぁ。

伊豆大島の鶏飼商店。肉屋の王道をいく惣菜の充実さ。
コレはひとくちヒレカツだろうか。
ダンボール容器に入れてくれる。良きだ。
大鍋のカレーの横に大量の揚げ物。みんなよく食べる。
各々がワシワシと好きなものも食べる野営隊方式メシ






やはりコロッケは熱々のサクサクをホフホフウマウマ言いながら食べる高揚感がたまらないのだ。『高揚感』とは良い言葉だなぁ。高い温度で揚げるとある。まさしく高揚感とはコロッケのことだ。あ〜今すぐ揚げたてのコロッケを食べたい。


そして今回のもう1人の主役「そば」の登場である。


僕は愛知県の生まれで日本麺類分布図からいうと中部であり「きしめん」「味噌煮込みうどん」という二代巨頭がおり(←地元民はあまり食べない)幼少期からどちらかといえば「うどん」をよく食べた。出汁は関西風で、昆布と鰹やあごだしで採ったものに薄口醤油や白醤油で香付け、透き通った黄金色に仕上げる。ツルッと喉越し良くコシのあるうどんが好きで、味覚はどちらかといえば「西寄り」の味で育った。蕎麦は滅多に食べることが無かった。



19で東京へ出てきてJR線のホームで初めて本格的な立ち食い蕎麦を知った。


当時のJR駅ホームに点在していたチェーン蕎麦店その名は「あじさい」だったと思う。ホームで電車を待っていると、なんとも芳しい食欲をそそる鰹出汁と濃厚な醤油の良い香りに店内へと吸い込まれそうになったが、ギターを抱えたアサイ少年は「東京の茶色いそばなんぞ食ってられっか!」とロック風に自分を戒め&思考ブロックし入店を断固拒否していた。

名代富士そばのかけそば、暴力的に濃ゆい出汁が旨い

が、とうとう数ヶ月経ったその日、食欲をそそる濃厚な鰹出汁の香りに負け、意を決して初めて店内に入った。(断固拒否=それまで1人で店に入ったことがほとんどなかった故のビビリだ。ロックとは関係ない。涙)

その暖簾をくぐると、カウンターには労働者風、会社員風、フリーター風や、おじいちゃん風、いろんな「風」が立って黙々とそばを啜っていた。

「おぉー!これが東京の立ち食いそばか!」
軽いカルチャーショックを受け、カウンター内のおばばに勧められるまま券売機で食券を買う。
まず、券売機の面には上下で熱いor冷たいのカテゴライズがある。
その左上からオーソドックスな「かけそば」「月見そば」「とろろそば」「えび天そば」「かき揚げそば」「春菊天そば」等々、初めて見る蕎麦のお品書きに選び胸躍る気分だった。しかし後続のおじさんがいるため、短時間の判断が必要とされ、初心者だと舐められないようにと意を決してスマートにボタンを押した。その後、食券を渡すときに「そばorうどん」をカウンター越しのおばばに伝えるシステムだ。圧倒的にそばを頼む会社員風が多いことに驚いたものだ。



僕が立ち食いそばで最初に食した蕎麦は「エビ天そば」だった。立ち食い初心者でもその味とカタチの想像がつき、無難だったが最初からガッカリしたくないので高価なそれにしたのだ。
番号と品が呼び上げられ、お盆を持って着席。
割り箸をパチンと割る。その丼を覗くと、漆黒の出汁の中に面妖と佇む蕎麦、申し訳程度のネギ、そして天高く反らせた尻尾を掲げた2本の海老天。


「むむむむ、、、美味そうだ。」

七味唐辛子を全体にパッとかけ、いただきますのご挨拶。

まずはハシで海老天をよけ、そばをずずずっと啜る。
「ずずずずずー!」
「むむむむ、、、美味い!」
キッパリと出汁も麺も熱々で味も濃く深く美味い!



続いて海老天。
「サク!」
天ぷらもカラッとアツアツで申しぶんない。

「むむむむむむむ!、、、美味い!」

出汁を啜る。

「むむむむむむむむ!、美味しい!美味い!」
海老の天ぷらと出汁が混ざり合ったえもいわれぬ粋な味。




「これが東京のそばか!美味いぞ!」
と熱々の丼の中に広がる新しい世界に感動した。


愛知と違い、蕎麦の出汁は色濃く・味濃く、とてもしょっぱくてコップの水を何杯もお代わりしたものだ。

そこから僕は東京での立ち食いそば人生の沼にハマり、駅前の「名代富士そば」然り、数々の立ち食い蕎麦屋を渡り歩いた。駅のホームや駅前でそばを食べ、それでは物足りずその駅周辺をぶらりとあてもなく散歩し美味そうな蕎麦屋を開拓するという「ぶらり途中そばの旅」という1人企画をJR山手線一駅ずつ降りて遂行・散策し、そばを啜ったものだ。まぁ当たりもあれば外れもあったが。カツ丼と蕎麦という夢のようなタッグに出会ったのもこの頃だ。この最強コンビについてはまた語る。




そこでずーっと気になっていた存在。




今回の議題「コロッケそば」だ。


おそらく自身の半分以上を出汁に侵されたコロッケの姿





最初の頃は立ち食いで「天ぷら蕎麦」「月見そば」「とろろそば」などまぁ素人でも想像がつく想像の範囲内の無難なラインを攻めていたのだが「コロッケそば」という面妖たるネームのボタンを押す事はなかった。
「なんなんだ「コロッケそば」って」、、、、
その時、20になったばかりのアサイ青年は立ち食いそば歴、半年ほどのアマちゃん。

なぜ立ち食いでは「コロッケそば」があるのに町の蕎麦屋ではないのだ?

数々の疑問と考察を繰り返すうちに自然と「コロッケそば」を思う事が多くなり、思う時間も長くなった。気になっていたのだ。知りたかったのだ。恋愛でいうと恋焦がれる状態だ。


しばらく「コロッケそば」の存在が気になりつつも疑問だったが、立ち食いそば屋に入ると会社員風のお父さんの多くがその「コロッケそば」を頼んでおり、結構な人気のメニューだと知ることになる。





そしてある日、隣り合わせた会社員風の食べるその「コロッケそば」を見た。


「 ふむ、、、そばの上にあの熱々のコロッケを乗せるのか、、、和のそばという粋なものに、西洋のコロッケを乗せるのか、、、、衣がびちゃびちゃになり出汁はコロッケ内部まで侵食しコロッケが解体してしまうだろ、、、せっかくの鰹出汁が溶けたじゃがいもや挽肉で濁ってしまうではないか、、、、」

「邪道だなぁ、、、、ふんw」
とちょっと江戸を齧った程度の青二歳の青年アサイはその会社員風のお父さん達を嘲笑ったものだ。


そして幾年、、、

その晩は、渋谷のクラブというところで明け方まで遊び(若かったのだ)明け方4時ごろだろう、並木橋あたりの「名代富士そば」に入り、どーしてもそばとコロッケが食べたく、一大決心の元そのボタンを押した「コロッケそば」。
当時は¥380ぐらいだったと思う。



その時、初めて「コロッケそば」なるものを食べた。出汁を啜り、そばをずるずるっと啜り、コロッケを齧った。

が!
なんと!
コロッケが冷たかったのだ!


「、、、、、、、。」

酔った頭で既成概念を修正・解析するには情報量が多すぎた。
「これ、、、、うまいのか?」



そう、そばは熱々であったが、コロッケは冷たかったのだ。悲しい。


今、思えば仕方ないのだ。
人通りの少ない明け方4時の富士そばである。

店員のおじさんもどことなく覇気がなく寂しげで、
「おれの人生の最終就職先が富士そばだったんよ。なんでもよかったんさね。もう金も夢もねぇし、子供とは縁も切れてるしさ。孫の顔も見たことねぇ。あ〜ぁ、年金をもらって仕事なんてしなくてもいい人生がよかったのに、なんであんないい女房に、あんなことして、あんなこと言っちまったんだ、、、、ううぅうううぅぅぅぅ涙」

店内には昭和演歌がしみじみと流れ、客は他には酔った会社員風が2人。

どうも店内の辛気臭さは抜けきらず、ジャっジャっジャっと厨房内の床をデッキブラシで擦るおじさんの背中を見ると、哀愁とやるせなさで、、、、



そんなことを思っている間に、我が頼んだ「コロッケそば」はコロッケが出汁にドロドロに溶け始め、両者は仲良く渾然一体となり「和風ポテトポタージュ」の様相となり、全体的に物悲しくそして丼の全体が「キッパリアツアツ路線+冷たいコロッケ」から「ぼんやりワシらぬるぬる渾然一体路線」へと大幅に舵を切っていたのだ。辛い。


僕が想像した「コロッケそば」は熱々のかけそばに、熱々のコロッケが「ジュワ!」っと乗った姿を想像していた。「あのかつての会社員おじさん達は①こんなどっちつかずのものを②うまそうに③汁まで平らげていたのか⁉︎」と3度も驚いた!そして悲しかった。人生悲しいことばかりだ。

そう、今思えば立ち食い蕎麦の世界はまだ20歳のアサイには奥深すぎたのだ。



昔から「ぬるっ」とした中途半端な感じが好きではなかった。白か黒か!明か暗か!やるかやらないか!物事ははっきりとした方が良い。好きだ。

お風呂なんかもぬるいのは嫌で、熱い風呂にサッと入るのが好きだった。


そして初体験の「コロッケそば」から幾年。
アサイ青年は立ち食いそばでは「コロッケそば」ばかり頼むようになっていた。

長い年月でむしろ好きになっていた。


アサイ青年が長年立ち食いをしてきた中でこういう傾向が弾き出された。

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①立ち食い蕎麦はラッシュ時が熱々で美味い。店員が多い時は混む時間帯だ。

②天ぷらや、コロッケなどの揚げ物は予め定量を揚げておく店がほとんどだ。

③上記の2つが重なる「神タイム」が存在する!

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そうなのだ。
そばも天ぷらやコロッケなどの揚げ物も「できたて」「揚げたて」の時間が必ず存在し、それはその店の立地や混雑具合によって違うのだ。
なので自分の身の丈に合った「推しの店」と「推しのおじさんorおばさん」を作ると高い確率で「出来立て&揚げたて」の「◯◯そば」に遭遇できることがわかった。コッソリおばさんが揚げあがり時間を教えてくれたりもする。


まぁ考えてみれば当たり前の話だが、ここまで導き出すのに何杯の「コロッケそば」を食べてきたと思うか!立ち食いとは一期一会でありまして云々、、、、と、「コロッケそば」を求めて幾年月が流れたが、しかし歳を重ねるごとに「キッパリアツアツ路線」と「ぼんやりぬるぬる路線」その真ん中?「どっちつかず路線」という、それはもう路線ではなく「諦め」ではないかという、いかにも日本人らしいぼんやりした世の中があると知った。それも良いのだ。それはそれで良い。多様性の時代なのだ。

コロッケそばに想いを馳せる。

更には、熱々のそばに冷たいコロッケが浸からないようにどうにかコロッケを丼のヘリに立たせ保ち、急いで熱々のそばをかっこみ、熱い出汁に浸ったコロッケのフニャ部分から食し、出汁を濁らせないか!という新しい競技も開発された。もう1人で勝手にやりなさいという感じである。


とまぁ、長々と書いたが「コロッケそば」には長年の思い出がある。


先日、あさい妹に勧められた落語がコチラ↓


やはりみんな「コロッケそば」がどうも気になるらしい。


しかし「コロッケそば」は年配の男性は好きで食べるのらしいが、女性は全くと言って良いほど食べた事がないらしい。何故なんだ?
あんな美味いもの、、、、


あぁ!

冒頭で「ちょっと違う視点と斬り口で書いてみよう」と言ったのに、、、
「キッパリアツアツ路線」から「ぼんやりぬるぬる路線」になってしもうた。

全くもって駄文・雑文で申し訳ない。うううぅぅぅぅ涙


2023年1月22日
アサイタケオ

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