第20回『同窓会は30過ぎてからが面白い』

中2から始めたギターは一度も上達することはなかったが、廊下で適当にポロロンと弾くのが好きだった。
隣でギャルが歌ってくれたり、話したことのない後輩から「その曲好きなんです!」と話しかけられたり。
中学の頃はギターを弾くことで一人になれたり、二人から三人になったりするのが楽しかった。

学校は中高一貫のエスカレーター式で、高校に上がると男の子たちもギターを弾くようになっていた。教室で眉間に皺を寄せ、気持ちよさそうにギターを奏でているのを見た時、急に自分のポロロン演奏が恥ずかしくなった。
そして、軽音部に入っても”ボーカル”を選んだ。

軽音部の後輩に”みんちゃん”という女の子がいる。
軽音部に入ってから初めてできた後輩で、彼女は私のバンドのドラムを担当してくれた。
初めて会った時から「敬語は使わなくていいよ」と言っていたが、今もみんちゃんは私に敬語で話してくれる。礼儀正しいみんちゃんにとって、きっと敬語の方が話しやすいんだと思う。というか、そう言っていた。

みんちゃんとは卒業してからも定期的に会っていて、今はバンドメンバーではなく”お風呂仲間”だ。
先週は、みんちゃんと宮前平にある『湯けむりの庄』へ行った。
2人で露天風呂に浸かりながら、仕事の話、学生時代の懐かしい話をして「また軽音部で集まりたいね」と話していた。コロナで誘いにくい空気もあったけど、来年こそ一歩踏み出してみんなに声をかけてみよう。そう思ったその翌週。思わぬ形で集まることになってしまった。


仕事終わりスマホを開くと、軽音部の後輩の男の子が病気で亡くなったと連絡が入っていた。

先週、集まりたいねと話していたのに。
今から思っても遅いことばかり頭に浮かぶ。
早く会えば良かった。

心がざわざわして落ち着かないまま、クローゼットから喪服を取り出す。
太ったせいで背中のチャックがまったく上がらない。
チャックが壊れるのが先か、布が破れるのが先か、私が痩せるのは何年後か。
仕方なく母に連絡し、喪服を借りた。ぴったりだった。


お通夜の式場に到着すると、軽音部の男の子たちと久々に再会できた。

挨拶は一言。

「おう。」

中高6年も学生生活を共にすると、久々が久々に感じず、もう親戚みたいな感覚だ。

御香典を渡すとき、ネットには”ご愁傷様ですと言うのがマナー”と書いてあったが、そんな用意した言葉言えないよ…といつも黙って心を込めてお辞儀をすることにしている。

ご家族に深くお辞儀をし、手を合わせ、遺影をじっと見つめる。


…。



…。



…ん?




…ヒト間違えた?


私の記憶では、まだ身長が伸びる前の可愛い笑顔が似合う男の子だったはず。会わないうちにすっかり髭の生やした大人の男性になっていた。
記憶とはあまりにもかけ離れたイケてる後輩の遺影に戸惑いながらも、当時彼が坊主だったことから、あだ名が”ミソ”だったことを思い出した。

軽音部の男子、みんちゃんと一緒にミソの思い出コーナーを眺める。
テーブルの上には阪神のグッズがずらりと並んでいて、真ん中には家族との写真。そして、学生時代のミソと私の写真が飾ってあった。

(あぁ。これが私の知ってるミソだ。)

目頭と鼻先あたりがブワ〜!っと一気に熱くなり、慌ててバッグからハンカチを取り出したけど、間に合わなかった。


お通夜の後、卒業後初めて先生にビールを注いだ。

私「最近感じたことがあって、20代の同窓会よりも30代の同窓会のほうが面白く感じました。」

先生「そう!浅井の言うとおりでね、同窓会は30歳過ぎてからが楽しいんだよ。」

昔から自分を知る人たちとの再会。
時間が経ったことで、振り返って笑える話がたくさん増えていた。
悲しい形だけど、ミソが繋いでくれた縁。
元気かなと頭に思い浮かぶ人には会いに行かなきゃ、会えなくなってからでは遅いのだ。


それから私は同級生のグループラインに連絡していた。

「みんなでお花見しませんか。」



ーーーーーーーーーー
この記事を読んでくださった方へ

ここでは”浅井”という同性の2人が
交換noteをします。

次は、”アサイ兄”の番。
次の次は、”あさい妹”(私)の番です。

次の次は、私が今挑戦している
寿司職人への道について書きたいと思います。

年末年始、体調を崩しやすい時期でもあります。
お身体大切にお過ごしください。

あさい妹より
ーーーーーーーーーーーー

いいなと思ったら応援しよう!