物欲センサーがぶっ壊れて財布ぶち込む
シロノワールのぬいぐるみが獲得できず、気が狂い勢いで中古の液晶タブレットを買った浅井です。
少し使ってみて、とんでもない文明の利器だなと思いました。
最近の原稿は「筆ペンで線を重ねる+Gペン裏返し」で描いていたのですが、使い勝手はあんまり変わりませんでした。板タブに慣れてるせいかもしれません。
こういうときの脳みその補正機能はすばらしいですね。
私は片目がアカン感じの人なので、物を立体的に掴むのが苦手です。
大きめの図像は歪みやすいので、ものすごく縮小して描くと歪みが少なくなります。
今までは部屋の端っこから原稿を見て一個一個確認していたのが、スイッチひとつで簡単に縮小できるので歪みの確認がしやすいです。
バランスが整えやすい!
ただブルーライトのせいか目と肩が疲れるので、ライトの調節を細かくしたり、休息を細かく取った方がいいですね。
液タブにもうちょっと早く手を出したら良かったなと思いましたが、早い段階で手を出していたら怠け癖がついていそうなので、今が一番良いタイミングだった気がします。
パソコンの便利さに自分の創作意欲も薄くなる瞬間があるのです。めんどくさいな〜と感じている時に便利なものがあるとつい頼ってしまう弱い心…。
今はその感覚がちょうどいい感じがします。
目の調子もあるので他の人より漫画家でいられる期間は短いだろうなと思っていましたが、うまく付き合っていければいろんなやり方がありそうで嬉しくなりました。
思っている絵がすぐに描けるようになって楽しいです。
ありがとうクリップスタジオ。
シロノワールが手に入らなかったのも神の導きかもしれません。
豚グッズ収集家
姉にロピアというスーパーで豚の缶を見つけたとプレゼントしてもらいました。
「なんかどこかで見たことある気がする」という姉の言葉を聞いて、私もなんだか既視感があるなとしばらく考えていたら思い当たることがひとつ。
漫画雑誌で使わせてもらっている自画像の豚と似ていました。
目がひんむいている方向までそっくり。
私の豚はハルタという漫画雑誌で、最後の一言コメントのために描いた自画像で、掲載されたあとに「人を煽っているような顔でいやだな…」と思ったものの変更が面倒くさくて放置していたら5年経ちました。
ドヤ顔を披露し続ける自分の目次を見るのは恥ずかしいものですね。
自分の外側の世界を舐め腐っている雰囲気は私にすごい似ています。
さらばボス・ランピー
暑い日が続き、そして急に寒くなった日の朝、メダカ大家族のボス・ランピーが亡くなっていました。
最近になって餌を食べる量が少し減っていたり、底の方で寝ていることが多くなったものの、私の顔を見ればパタパタ泳いでいつも通り周りの子どもたちを蹴散らしていたので今年の夏も乗り越えられそうだなと思っていた矢先でした。
いつものお気に入りの土管の横で眠っているのかと思ったら動かなくなっていて驚きました。暴れん坊将軍ランピーらしくない静かで穏やかなものでした。
年を取った魚の最期は自然界ではほとんどないので、珍しいものを見たなという気持ちが一番先にあります。
メダカは人に懐かないし、意思疎通ができるわけでもありません。
ボス・ランピーは我が家に来た時から他のメダカより大きく、メダカ大家族の女帝でした。
悲しいかと聞かれれば悲しいですが、恐らくワンちゃんやネコちゃんを亡くしたときとは全然違います。
どちらかというと育成管理の感覚が強くなる虫に近いでしょうか。その間かな。
その気持ちの差が親近感から来るのか、個体との触れ合いの可否によるのか、単純な私のエゴなのか…多くの感覚が先行して言語化できません。
「80円×4匹」からはじまったメダカとの共同生活ですが、育成管理が好きな気持ちが強いです。
生き物が自分に懐くかどうかはあまり興味がなくて、じろじろニヤニヤしているだけです。
でもランピーの子どもが孵化したときにはライトを振り回してお祝いをしたり、弱い稚魚を守ったり愛情からの部分もあります。どちらも本当です。
ランピーがいなくなって2・3日は少しの寂寥感がありましたが、その後は大きな感謝を感じています。なんで感謝なのかは自分でも分からないですが、ありがてえ気持ちがあります。
ランピーから見た世界はまあまあ悪くはないものだったんじゃないかなあ。
彼女の目を通して世界を見てみたい。
そんなこんなで最初に導入したメダカ4匹の内、残るはのんびり屋の「のびこ」だけになりました。
のびこはランピーの次に大きかったので、今はゆる~くボスをやっていて、なんだか前より平和な雰囲気になりました。
ランピーを鉢植えに埋葬したら、それまで出てこなくて諦めていたナスがにょきにょき出て来たのでランピー・ナスと名付けて収穫を楽しみにしています。