ゴジラVSコング 家で見てもイケる怪獣ブロックバスタームービー


(!!!大変ネタバレしてますよ!!!)


違う種族の知らぬお節介のせいで閉ざされた空間に囚われ苦痛を感じているコングが、その育った大地よりも遥かに壮大かつ新たな「ホーム」へと辿り着きその圧倒的なスケールの世界を駆ける、体全体でコングの喜びが伝わるそのシーンを見てこの作品が世界からポジティブな反応を得ていることの実感がとても持てた。

まず、コロナ禍の影響で公開が世界から遅れることとなった日本で過ごしながら漏れ聞こえてくる国外からの好評の声と観客層の広い幅 (映画秘宝の本作特集号でのマット・フランク氏寄稿が端的にその内容を記している) に、シリーズ前作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は熱狂的なファンを生んだものの全体的には評価も成績も正直ちょっといまいちで「閉じた」作品的なジャッジをされるものだったこともあり一体何がその評判の鍵となっているのかが気になっていた。

怪獣映画をなぜ見るのか

怪獣とは現実には存在しないいきもののことを指す。存在しないものを映画というひとつの世界で表現する意味は我々にとってその姿や景色がなんらかの価値を持つからだ。その意味合いは人によって様々かと思うが、今作はなんと偶然にも多くの人にとってこのコロナ禍でフラストレーションを溜めざるを得ないその心境に共鳴させながら鑑賞時間中映画の世界へ誘い現実を忘れさせてくれる作品になっていた。この偶然の力(映画はコロナ禍前から制作されていた)に今作は何よりも感動してしまった。

COVID-19のことはひとつも出てこないし市井の人々の苦しみみたいなものが(ほぼ)描かれるわけでもない、だけど狭い建物から解放されたと思いきや今度は船の上でろくに動くこともままならない、外には出たが自由はないコングの姿に共鳴しつつ、

( あの雨ざらしのコングなんか酷くないですか人間、人間最低すぎるだろと辛くなりました... )

(しかも『キングコング: 髑髏島の巨神』でコングは勝手に人んとこ来といて迷惑かけないでくれよなって注意対応してくれたのにこれですよ、果てはホロウアースまで監視しちゃうんですよ人間は。何様だ。)

映画はめちゃくちゃスピーディーに進んでいく、「みんな何を見に来たって『ゴジラVSコング』だろ、タイトルがそのままストーリーの説明になる映画を見に来たんなら上映時間目一杯楽しませてみせるぜ!」と言われているかのように非現実的な描写や展開が怒涛の勢いで展開される。荒唐無稽を大予算でデコレーションした飛ばしまくりの映像世界。

このバランスが今作は何よりも抜群だった。映画見てる間くらい滅入りたくはないもののあまりに突飛すぎてもついてけないし、みたいなマインドがしっかりハマる構成になっていて明らかに人がメチャクチャ死んでるであろうスペクタルな状況も、リアリティを向ける方向がそこじゃない世界観で描かれるから完全にウソと受容した上で楽しめる、正にタイトル通りの映像を満喫するための作り。地下世界まで到達するゴジラの熱戦なんて素晴らしすぎて笑いながら感動してしまった。いいぞゴジラ、もっとやっちゃえー!!

や、でもこんな凄いことしたらゴジラも疲れちゃうよね、メカゴジラ来る頃にはヘトヘトだね...

タイタンたちによる儀式

とにかく、実態の不明瞭な、しかし大きな流れに身を委ねざるを得ない昨年からの我々にとって映画という嘘の世界でそのタイトルから単純に1番見たい展開に沿うように全てを捻じ曲げアクロバティックな作劇を成り立たせていながらどことなくわたしたちの今の生活や空気感が主役であるコングを通して漂ってもくる、しかもそんなコングと一緒にライドしたその果てにあるのはわたしたちの何倍も大きなタイタンたちの戦い、いやただの喧嘩なんであるという清々しさが見事に我々のフラストレーションを鑑賞中忘れさせてくれる、もっと言えばわたしたちの抱える怒り ーそれは我々が生きるために必要なものでもあり、しかしコントロールの難しい要素でもあるー をゴジラが、コングがそれぞれの立場で背負って暴れまくって昇華してくれるという、まさに儀式なんである。

ゴジラもしっかり背負ってくれてる

今作の実質主役はコングで間違いないが、かといってゴジラが脇役かというとこれは違う。今作は前作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』で大変クレイジーな人物として登場したエマ・ラッセルの人類批判が正しかったことをコングとゴジラ双方が実証していくような内容になっているがコングは前述の通りで、そしてゴジラは怪獣の王として人類に鉄槌を下すポジションを担っている。(ゴジラがブチギレるに至った経緯がゴジラ目線で描かれる前日譚コミック 『ゴジラ ドミニオン』も大変オススメです。サクッと読めちゃうよ)

ひたすら翻弄され続けるコングと違い、ゴジラは徹頭徹尾人類に睨みを利かせ映画の世界観にプレッシャーを与え続ける。これぞ前作でキングになったゴジラだけが担えるポジションだ。また初見では違和感を感じた今作のゴジラのテーマも、この世の調停者としてジャスティス感満載で描かれた前作のゴジラに対して伊福部サウンドが使われていたわけで怒れる調律の乱れた今回のゴジラに敢えて少し外した音楽を添えているその采配はいい意味での違和感となり結果的に前作のゴジラ像に間違いはない、という強烈な信仰感が補強された形になっている。観賞後なんか思い出してクスッとしちゃった。

悪の元凶、メカゴジラ

しかも人間はゴジラとコングが織りなすその有難い儀式にまで横槍を入れてメカゴジラなんかけしかけてきてしまう。ていうかそのメカゴジラ完成の道中にコングを担ぎ出してくれるものだから人類への激おこと因縁の対決でゴジラはやること増えちゃったし、ともかくすべての元凶は人間なんだけど。(てかメカゴジラの中身キングギドラって、実質メカキングギドラでもあるじゃないか)

しかしそんな黒幕の登場にも観客の期待通りゴジラとコングは手を組み成敗してくれる。かつそのまどろみの果てに両者はお互いの関係性に妥協点を見出しゴジラは帰宅、散々な道のりを歩まされたコングは晴れて広々とした新世界を手にするのだ。

ありがとう、よく休んでください...

怪獣映画をなぜ見たのか

改めて、怪獣とは一体何なのであろうか。少なくとも言えるのは、これは人間が作り出したものであり、そこにはどう見積もっても我々の姿や視線が投影されるということだ。

今作においては公開されたタイミングも合わせ結果的に、様々な矛盾や問題に対する怒りのようなものを怪獣という形でゴジラコング両者が引き受け暴れきってくれて、かつメカゴジラという象徴的なダメさの塊に対して手を組みその問題を克服するというさまが非常にシンプルに描かれていたように思う。こうした表現(感じ方)は、まさに怪獣という形態でないと表せない描き方、視線だったであろう。

きっと日本に先立って公開された世界では劇場で、自宅で、ひとりで、数人で、それぞれにこの作品を見た人たちの多くがいろんな受け取り方をして楽しみ、ポジティブな何かを本作から得たり、心のどこかが浄化されたり励まされたりしたんだろうな、本作を初めて見た時まず思ったことはこれだった。

そして、それを映画の中で担っているのは他でもないゴジラとコングという二大怪獣であるというその事実が怪獣映画として何より輝かしく素晴らしい。怪獣という、姿も、大きさも私たちと違う、しかし映画という表現世界の中ではゴジラも、コングも、まとめて人間という種も、日常の延長に、かつ日常とは違う目線で見ることができる。ちょっと特殊なジャンルがそのポテンシャルを遺憾なく感じ取ってもらえたというその点で怪獣が好きで育った自分は嬉しかったし(と勝手に思ってるだけだけど)、怪獣という存在しない存在のひとつ見事な表現がこの世界の状況下で必要とされたことも、その偶然性の面白さに感動したりもしたのでした。

おまけ

...と、いうことを思いつつ個人的には2014年のギャレス・エドワーズ監督作『ゴジラ GODZILLA』やジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督作『キングコング: 髑髏島の巨神』の方向性が大好きなので前作、今作はそんなに好みということではないんですが、でもいいんです一本の映画として好きでなかったとしても色んな楽しみ方は幾らでも出来ますからね!

以下は雑談的な個人的な本作のポイントなど。

●バトルシーンの新鮮さ、スピーディーだけど重量感、『ゴジラの逆襲』のアップデートがついに!!

今回はとにかくバトルシーンが素晴らしい、特に夜の香港でのゴジラVSコング戦!!!今までの作品で1番役者を映させるための絵作りになっているので見易いのは勿論、巨大な物体が動くリアリティと戦闘の荒々しさを表現するため苦心したそのスピード感が見ていて爽快。監督のコメントだと煙や瓦礫がそのサイズに見合った速度で描ければ怪獣が早く動いても違和感が出ないという結論に達したとのことで、まるで『ゴジラの逆襲』のスピード感が更なる説得力を持って眼前に展開されてるようで大変フレッシュかつ見ごたえがありました。繰り返し見たくなる快感。

●香港という舞台、巨大生物映像の最良の都市破壊とその限界、次の手があるか

『パシフィック・リム』でも主な舞台だった香港のカラフルな夜景の魅力は今作も大健在。あちらはサイズ感表現のために雨を降らせるなどしてましたが今作は晴れててそのあたりは差別化もされてましたね。ただ、巨大な物体を見せるときに様々な光を当てて複雑さと見易さを担保する万能都市香港もさすがに何度も使えないと思うので、シリーズ継続なら次の一手はどうなるのかなとか考えたりしちゃいました。

●怪獣に字幕をつけてほしいほど感情がわかりやすく素晴らしい

香港での第二ラウンドでコングを踏みつけ両者が叫ぶシーンは、ゴジラが「オレの勝ちだー!!」と言いコングが「うるせえわかったよそれでいいよ!」と言ってるのがありありと伝わってくる。日本版ディスク販売時には監督監修の怪獣字幕版をつけてほしい切に。

●ゴジラの表情

負けを認めたコングに満足げな顔で去っていくゴジラのなんとラブリーなことか。そうだそれでいいんだよ顔。でも背中の焼けたコングにゴジラがニヤニヤするシーンは個人的にはウッとしてしまった・・・この辺も人によって受け止め方違うんでしょうね。とはいえCGという表現幅が増えた現代の表現として、ああいったシーンも残しておくことの意義はとてもあるでしょう。これからもまだまだ怪獣の表現は深まっていくでしょうね!

●ジアというキャラクター

本作の(電気ショックでコングを助けたりお酒の力でメカゴジラの調子狂わせたりとかの展開はあるものの) 基本的にバツが悪いポジションの人間たちにおいてジアというキャラクターはその他人間やタイタンともちょっと違う、というか両者の間にいる立ち位置を与えられており重要ですが、あの子は髑髏島の人間だし所謂「わたしたち」と別の存在なんですよね。これもいろんな見方があるかとは思いますが、個人的には映画を見ている子供たち、これからの未来に向けてのメッセージかなと思ったりしました。最後はゴジラとコングと同じく、ジアも良い顔して終わりますしね。

そういえばマディのお父さんの「人も変われば怪獣も変わる」は名台詞でした。おわり。

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