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被写体との関係性

 こんばんは、朝日向です。めずらしく!写真のお話をしていきたいと思います。

朝日向楸19歳。写真というものと向き合い始めて早2年になります。最初は、ディズニーシーのショー(当時はファッショナブルイースター)を綺麗に撮りたくて、親の競馬の副産物で買ってもらったカメラで撮り始めたことがきっかけでした。

 が、実は10年前にコンデジを買って貰っていて写真が撮りたくて自分用のが欲しいと親に強請ったことを思い出したりしていました。なんでもないものを撮りたくて、カメラを持ち歩いていたある日、歩道橋から見えた夕焼けがとても美しくて、逆光になる友達の影がかっこいいと感じて撮影を行なった記憶があります。(細かく場所を支持しすぎて怒られた。あの時はごめんと思っている)

 そんな私が、実はとても苦手なものがあります。
誰かの為に撮影する、ということです。(多分私の周りはそういう人多いと思う)

 余談ですがアーティスト写真とかは別ですヨ。あれはどうやって撮る人のの内面引き出すかみたいな活動として捉えてるので。私としてはウィンウィンな気持ちで活動してます。あくまで個人としては、ですけど。(おまけで機材テストさせて貰ったり、現像で遊んでみたりさせて貰ってます)

困ったなぁ。って。私の偏見というか、体感的な感覚的な話なんですけど。

承認欲求を満たすためにモデルをしているのに、それをなんかこれが私なりの表現だのなんだの適当な理由をつけていいことにしてる人が多いな。と思います。

 もちろんね、本当に表現を追求する為にモデルをしてる人もいますけどなんというかそういう人は写真にしっかり自我が組み込まれてるのがよく分かります。

 私は、私の写真をだれかの承認欲求を満たす為の道具にしたくない。

 でも、被写体のことを馬鹿にしたいわけではないのでそこは誤解されたくないです。ただ、被写体との関係性、対等性みたいなものをいつも意識していたいなって思います。

被写体さんには被写体さんの表現があって、私はそれを受け止めた上での写真が撮れるようになりたいなって思いました。

うん。今回は上手く思考整理できて満足したので寝ます。

ご拝読ありがとうございました。

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