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温度差で解ける問題は氷のままでいいのか



同じものαに対して、全く違う感想を抱くAとBがいたとして
最初にAと一緒にαを見たときにはすんなりAの感想を受け入れられたのに、その後真逆のことを言うBの話を聞いたらがっかりしてしまうことについて。

例えば同じ映画を見る。
主人公と相棒の関係がハートフルで素敵なお話だったとAが言う。確かにそうだったと私が思う。その後別で見たBは自分語りの多い相棒に主人公が合わせていただけだと言った。
私は悲しくなってしまう。


感想が各々あるのは当たり前で、見方によってはその捉え方もあると頭ではわかっていながらへこんでしまうのはやっぱりBにも同じことを感じてほしかったという期待からだろうか?

Bならこう思うだろうと勝手に予想して、そうじゃなかったからふてくされているのか、

自分が良かったと思ったものに対して否定的だったからか、

その全部か…


逆にAと見る前にBと一緒に見ていたら?

私も否定的な意見になってしまっていたんじゃないか?

自分の感情や感想が一緒に見た人に引っ張られているんじゃないかと時々思う。

つまり流されやすいと。

それはそれ、これはこれとして
必ずしも"一緒"が大事なわけではないのに
違ったことに対して悲しくなったり自分の感情に自信が持てなくなったりする。

それが怖くていつからか共有することを避けるようになった。
私は私でちゃんと考えられるようにしなければと思って。

勝手に蔑ろにされた気分になってんのかなあ。


だけれどそれによってもうひとつ懸念されるのが、

自分と自分の意見に似たひとたちだけを受け入れていくようになってしまうこと。

かなり恐怖だ。
私は私以外を排斥してしまうんじゃないかって。
歳を重ねるごとに価値観の固まり方が良くない方向へ行っているんじゃないかと。

柔軟性を失うことが一番怖い。

そのにおいがすでにすることが怖い。


AとBそれぞれの感想にロマンチストとリアリストの違いであるだけ、と心から思えるようになるのだろうか。

それだけで人を判断しないようにすることが大事と言い聞かせている。



氷の城壁を読みました。

正反対な君と僕がだいすきなので読まねばと思っていたんですけれど、休みまる1日使って2週しました。おもしろすぎた。

学園ラブコメのなかに細かく丁寧にひとりひとりの悩みや考えが言語化されているんですよね。ワッ…ワア…‼とちいかわ化しました。

正反対な君と僕も、そういうところにぐっと惹かれてすきになったので
まさか同じような学園もので作者様の前作があるとは思わなんだ。舞台やスタイルを変えずに新しい連載をされているなんてすごすぎる。

でも氷の城壁を読んでいるときに正反対と〜に似てるとは思わなかったんですよね。それってめちゃくちゃすごいなと思いました。
なんでしょうか、キャラの違いでしょうか。

元々秀逸な例えだとか、唯一無二に感じる言語化だとか
そういうものはだいすきですしそういうことができる人もすきだし羨ましいと思って生きてきた人生なので
ガン刺さりもいいとこでした。

片や私自身は
すごい、すきだ、おもれえ
での構成が主です。
だからこそでありと言えばそうですし、見てきているのに学びが少ないとも言えます。

湊の気づきのシーンの共感させ力たるや、恐ろしや。

小雪、美姫、陽太その他愉快な仲間たち含め
みんな幸せになって欲しいです。

感情の言語化、一生の課題な気がしてならない。
エモいとか、ヘラるとか、そういうのもすきなので使っていくとは思いますが
すべてをそれだけでしか語れないってのはやっぱり寂しいですし、使う場面の見極めは必要ですよね。

前半の自分まとめはちょっとそういう体験が思い返せばたくさんあったなというところからでした。
直近もあった。悲しくなっちゃったので書いた。私がまず気をつけなきゃなと思うところ。


今めっちゃBLEACH読みたいです。
アニメ見てないんですけれど。
今まで避けてきた詠唱全暗記に挑戦したいです。


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