思案



自分の見えている世界と、相手に見えている世界は違うんだなと思い知らされる出来事があった。
そんなもんは当たり前なんだけれど、主観の強さというのは切っても切り離せないものなんだと改めて思ったというか。

"自分とは"みたいな個性のことを考えているくせに、少数派であったときは「え、、マジ、、??」みたいなスタンスで目を泳がせてしまう。
いーつだーってわがままばっかでこーどーもーみーたーいーねー??

がんばれかなぶん。私はずっと応援している。

そんなことを考えていたら好きな文章を書かれる人が同じような雰囲気の文章を書かれていて「好きだ」と思いました。



感想文を書いた某シェアード以下略映画を観たので、ドラマを2つまた見返した。映画を観る前にも通して見たけど、また通して全部見た。おもろすぎる。

同じドラマを何度も見るって、あんまりない。
学校帰りの時間、再放送で幾度となく目にした名作たちは、そのとおり目にしただけでそんなに覚えていなかったりする。
ランチの女王とか?オレンジデイズとか?
誰が出ていたかは覚えているけれど、ストーリーってどんなんだったっけ、と。


幼少期からずっとそんな感じ。同じものを何度も見て、でも覚えていないみたいなこと、何に対してもどれに対してもそんな感じ。

好きだったはずなのに、興味なかったんかな~とか、ちょっと、悲しくなる。なんでだろうね。

でも漠然と「おもしろかったな」が残っているんだよね。いいね。



私は、自分でできることは自分でやりたくて、
自分でできることだけど誰かに任せられるのならやってほしい、みたいな感覚があまりわからないなと気づいた。
休日出勤とか、残業とか、家のことだって、
「私がやったほうがことがスムーズに運びそうなにおい」みたいなのに敏感だ。
でもそれってつまるところ自惚れでもあって、他の人がやったとて結果が大きく変わるわけでもなしに、勝手に「私がやらなきゃ」と決めつけてそれが誰かの自由だったり成長だったりの妨げになっているんじゃないかと。

すげ変わっても続いていく社会を理解しているつもりが、しっかり胡坐をかくに飽き足らず、醜くすがりついているのは自分じゃんと突きつけられている。うえっ、吐きそ。

お節介おばさんイヤすぎる。
でも沈黙も違うんじゃないかと思ってる。
【沈黙・名言】で検索したら「口数は少ないほどよい。」とでてきた。
これはまたちょっと違うか。
ニーチェは「友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。」とまで言っているらしい。
そんなん、私なぞ、誰の友だちにもなれなすぎる。

お節介と手助けの、そのボーダーの推察。
何何の実を食べたら身につく?


この思慮深さを、なんとかうまく活かせたらと思うけれど
結局活かせているかがわかるのも他人評価だよなーと思うと
つくづく一人では生きていけないなと身に染みる。
楽しくいきたいな。




どうやら今年は10月のクリエイターフェスはないみたい?
そういえばお知らせ出てないなと思って、Xで検索したら2年前の自分の記事が出てきた。
当時はついったにも記事リンクを貼っていた。
タイトルからして書いた覚えがなくて、内容を読んでも書いた覚えがなかった。記憶になさすぎる。そうやって時間て過ぎていく。

フェスのタイミングでしか毎日投稿をしてこなかったものだから、今年もやるもんだとばかり。今年はどうしようかなあ。


てかもう1年経つのかよエグ。

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