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ふとした時に、自分にはルーツと呼べるものがないんじゃないかと考えることがある。

小さいころに見た感動的な映画とか、思春期に救われた歌とか
今の自分をかたち作る言葉をくれた人だとか。

まったくないわけではないんだろうが、パッと出てこないというか
これだ!!みたいなもの、思いつかない。

それすなわち"浅さ"だと思いがちなんだけれども、そんなの結果論だよなあと思うのも確かだ。
好きなものがどれくらい好きか、時間なり量なり、測れないものに執着したところでどんどん砂に足を取られるばかり。

でも明らかに"自分より"みたいなものを見ると
すげー、とか、いいなー、とか、思ったりするよね。
だから結構ポジティブなオタクのTwitterとか見るの楽しい。

本音がどうあれ推しのやることなすこと全部嬉しいし楽しいし
自分なりのタイミングでものを見て、誰かに何か言われても言い回しうまく消化して、本当に大好きの気持ちで動いている、みたいな。
すげーいい。

『推し疲れ』なんて言葉が取り上げられたりして、それにあーだこーだと意見が飛び交ったりしているし、私自身も《取り巻く環境にうんざりしてコンテンツから離れた》という経験が無きにしも非ずだが
結局『好き』ってデカイよなぁと。この感情が満たす広大な大地、どうかどこまでも続いていてくれ。

あくまでも"私にとって"健全な追い方してるな、みたいなところにハマる人がそういう感じで、見ていて気持ちいいという話なのでどんな楽しみ方をしようが勝手なんですけれどね。


ネットリテラシーのある行動を心掛けようとはしているものの、正解がいまいちよくわからんかったりして
いまや何に対してもROM専なので特定の"ソレ"において発言する、というよりは、これってこうじゃないのかなって思ったことがいわゆる『杞憂民』とされる人たちと同じだった、みたいなことがあるって感じで。
その温度感も多少差はあると思うので完全に同じとするには少々弱いかもしれませんが。

はたまたそんなところが気になるんだ???ってのも多々あったり。
おおっぴらに好きだ、見てる、こういう楽しみ方をしている、
と簡単に発せなくなっているのもひしひしと身勝手に感じている。

気にしないのが良いし、楽しめたらいいし
そういうベクトルに持っていけるようにしたいなと思っている今日この頃です。


少々しわ寄せがあった仕事を気にしてか、上長が年末年始にみんなより少し長めにお休みをくれたので
社会人になって初めてレベルの連休がある。
いや、転職したときのほうが長かったかもしれない。
いや、まあニートだったしな。

旅行とか行くんですか?とみんなに聞かれるが
いえ、何もしないです。と答える私にお休みをくれてありがとう。
本当に何もしないか、ヴァイオレットエヴァーガーデンが視聴途中なので劇場版まで全部見たいです。
ありがとうネトフリ。
できればカラオケも行きたいけれど年末年始は混んでるし料金が高いので悩みどころ。

常々ここでも書くけれど、楽しいものや好きなものは多いに越したこたあないなと。
ウキウキしたいですね、年の終わりと始まりは特に。
何があるでもないでも、ソワソワしますしね、なんか、年末って。

残すところ数週間、あ、これできたな。みたいなものをなにかひとつ携えて年越しを迎えたいところです。
できればそれをnoteにあげられるくらいの時間の有効活用と、心の余裕を持った上で。



ていうのを1週間ほど下書きに残しっぱなしだったんだけれど
年末特有のあれやこれやがさすがに滾っちゃったのでまた書きたい。

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