「瞬間ぶち込みキュン」


よくわからんそわそわに襲われている。

さっぱりなのでとりあえず家でカルーアミルクでもつくって上にスーパーカップバニラを乗せたいと思う。


先行きが不安なのは誰にでもあることだろうが、私は過去のほとんどを恥ずかしいと思っているから、今しかない。
前も後ろも、自分のせいで暗闇である。

でも"今"私の頭の上には鈍いオレンジ色の電球があって、勝手にゆらゆらして今にも消えそうなんだけれど、ありがたいことに生まれてから今まで消えたことはない。やべーLEDだったっぽい。

その明かりを、何個にも増やして、行く道を整備したり、少し戻っても居心地が良くなるように固めながら進んだりすればいいものを、なんの律儀か頭の上にしかない。ゆらゆらの鈍いオレンジ。




図書館でたまたま目に入った「くたばれ地下アイドル」という本を読んだ。(タイトルと装丁がかなり目を引いた)

アイドルにまつわるお話の短編集だ。

そのなかで出てきた、アイドルに癒やしをもらっている社会人が言う。

「アイドルはさー、娯楽として即効性があるんだよね。小説も映画も、労働ですり減った頭んいはまわりくどいんだよ。良い作品でも、気が滅入ることも多いしさ。
アイドルはこう、血管に無理やりぶち込むみたいに効くから。」

「くたばれ地下アイドル」本文より

これ、めちゃくちゃわかると思って。
最近でこそ本を読むようになったし、映画館にも行くようになったし、長編と呼ばれるものを割と興味を持ち続けたまま終わりまで摂取できるようになっているけれども
少し前まで、というか合間合間で、こういう即効性が欲しくなるときがある。

対象がアイドルに限らず、YouTubeのショート動画とか、切り抜きとか、そういう類のものはこの、"瞬間に効く"を求めて見ている。

シーブリーズの「瞬間、汗キュン!」のキャッチコピーが脳内再生され、かつて買ったばかりのものをクラスメイトに盗まれたことがあったなと思い出す。
親と一緒に、同じ色の新品を持って家まで謝りに来て、親の焦りの形相とは裏腹本人はへらへらしていたから、私も子供なりに「あー、手癖なんかな。」とか思ったりした。
シトラスっぽいにおいが好きだった。

話が逸れたが、そういう短い時間で当たり前に感じられる「瞬間ぶち込みキュン」に慣れると、いつの間にか時間がたっていて、なんか自分に対して嫌悪感が残るし、だんだん効果が薄れて効かなくなってきて摂取の量と満足感が比例しなくなってくる。

ただそれよりも"日常から目を背けること"が自分のなかで優先だったりするので、『突発性好きなコンテンツ摂取法迷子』になる。

マジで今、ちょうどそれ。オレンジの明かり揺れすぎ。



"推し方"とかに関して考えさせられるタイミングがあったから、それも相まって絶不調だ。件のnote、本当にすごかったな。

お金や時間をかけることの意味がひとりひとり違うのだから、誰も(特に外野は)ああしろこうしろ言えないし、言ったってしょうがないんだよな。
本人と相手の話であって。
共感を求めた先に批判があったとき、ブレない心が良いとも悪いとも言えないし。

理路整然と「自分の感覚」として話してくれるひとの意見が聞きたくなった。


「くたばれ地下アイドル」に、もっと「それそれ〜〜!思ってた〜〜!」ってところがあったけれど、長文でもはや転載かって感じになっちゃうからやーめぴ。

カルーアつくろ。



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