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本当に考えることが多い。考えなくてもいいことを考えている時間が長い。
これをストレスとするならば、むしろいくらか片付けができるのだろうか。
娯楽の接種方法や頻度、向き合い方が変わる。
かなり救いを得ようとしている。
ネトフリで次々映画を流すし、自分にしては恐ろしいスピードで本を読んでいる。腰が痛い。足がむくむ。散歩に出ることが好きでよかった。
こんなに意気揚々と休みを過ごしているようにみえるから不調それすらも思い込みなんかな?とも思うのだけれど、
まあ、どっちでもいっか。続かなければ。
怪物の木こりと屋根裏のラジャーとメアリと魔女の花を観たんだけれど、スタジオポノックってまだ長編は二作品だけなんだな。
ラジャーがとても好きだった。子供が見たら怖いだろうなと思った。大人でも怖かったけど、大人でよかった。
想像力豊かな子供と、その想像をハイハイと受け流していた大人と、いつまでも想像にすがる大人の三つ巴対決(実際はピュアで一生懸命な子供とそれを信じた大人、意地汚い大人の想像力対決)。
想像は現実に勝てないと言いつつ、いっちゃんお前がずっと想像の中で生きたがっているじゃないかとおっさんを見て思った。生きてきた年数だけ想像力はあるんだみたいなことも言っていたし、なんか、ふつーにヤなことあったんだろうな過去に。
おっさんのイマジナリの女の子が、洋服を着ていても完全に和製ホラーに見えて、黒いもやになって移動するもんだから本当に怖くて。
気づいたら後ろに立っていたりとか、脅かし方が本怖のソレじゃないかと。
自分の幼少期には、イマジナリーフレンドという存在はいなかった。
覚えていないだけかもしれないが、シンプルに、寂しくなかったんだと思う。猫もいたし。
段ボールに入るだけで世界が広がって、雪山をハイスピ―ドで滑り降りていく。何に襲われても、どれだけ無謀な道が先に見えていようと、突き進み必ず最後には解決し、笑って終われる。
羨ましく思う。今、見ているからそう思うのかもしれない。それでも「どんなところにでも行ける」「なんだってできる」をカラフルな世界観で魅せられると羨まずにはいられない。
私も、物語はハッピーエンドが好きだ。
想像と妄想の違いはなんだろうとググった。
簡単に言うと、妄想はマイナスな意味だった。自分におきかえてみると、妄想ばかりしているなと思う。
それに対してまた悲しくなる。なんでこんなに悲観的なんだと。この円環から抜けるためには魔法のステッキが必要で、私は魔法少女(成人)にならなければいけない。人を助けることを第一にして、みんなが喜んでくれるなら自己犠牲などいとわず毎日をがんばってきたけれど、ふと自分はその使命がないと誰からも見向きされないのではないかと怖くなり、そんな感情すら押し殺して変身してしまえば私さいきょう……
これは想像である。
散歩した先のスーパーでずっと探していたごろグラのさつまいもづくしに会えた。
どこを見てもいなかったものだから、今だけの子であるし、もう私はその魅惑の味を想像するだけで季節を終えてしまうのだ、一生出会えぬままだ、と妄想していた。
高額転売には負けてはならぬ、その縁が金で買えようとも、それは無色透明であり本来の色ではない。
私は黄色や紫色に惹かれているのだから、この縁ではないと律していた。
そして出会った。数多のイマジナリーを駆け抜け出会った。
マジでラッキーすぎ。ウケんだけど。
ああそうか、これで、『今日はいい日だ』と思えばいいのか。
帰りに雨に降られずぶ濡れになった。
ふざけんな、いいしもう寝るし。
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