自分の"暗さ"と同居する


年々明るさを失っている気がする。
別に笑うし、楽しいこともたくさんあるし、全てにおいてネガティブというわけではない(と思う)んだが
根本的な考え方が変わっているような、ちょっと霧がかってきたかのような、どうもスッキリしないよなあ己ってやつは、と、自分の中の壁が高く高くなっている感じ。
私、幼少期はなんかもっと明るかった気がするんだよな。なんも考えてなかったからかな。

さして頑張ることもなく、その壁を超える為に生きているのだというわけでもなく
本当にただの6畳間で何ともつながりを持たず、この世に在る人とは、みたいなものを考えているような。(実際別にそんなたいそれたことは考えたことない。)



そんな書き出しだけを残し、放置していた。
そして私は見始めることになる。
NETFLIX【LIGHT HOUSE】だ。

SNSの広告で流れてきた。
《人気者2人が本音トーク》
キャッチコピーだけではここまで惹かれなかったと思う。
ただ、話している2人の、顔は笑っているのに字幕はどうも暗そうな内容。

若林さんのエッセイは読んでいた。暗くておもしろいひとだなと思っていた。
星野源さんはそういった前情報はなく、歌も芝居もできて家に帰ればガッキーがいるひとだと思っていた。


#1では2人がそれぞれ待ち合わせの喫茶店に向かうところから始まる。
ざっくりとした企画概要しか聞いていないとしながら、すり合わせたかのように各々が"土地に沁みつく嫌な気持ち"を話していた。すでにおもしろかった。
喫茶店で挨拶をし、席につき、この企画は、【LIGHT HOUSE】とは、この2人とは、説明部分を諸々済ませたところで[1行日記]というコーナーへ。

星野源さんが先陣を切る。

『大人になっても一向にストレスが減らない』

ウッソ!!!!ゲンホシノってそんな感じなの???
私は本当に、ラジオも聴かなければ、ドキュメンタリーみたいなのも見なければで、星野源さんが表に出しているパーソナルな部分は全くと言っていいほど知らない。
若林さんが最初からドロップキックと言っていたけれど、まさにその通りだったし、頭ぶち抜かれたみたいな衝撃のあとめちゃくちゃ笑いが出た。

そうか、そうなんだ。
こういう感じで進んでいくんだ。
全6回、この時点で足りないと気づく。


そこからお互いの悩み、感情の共有、客観的に見た相手の現状、他者のイメージ、本当にいろいろなことについて話していた。
場所が変わるとちょっとテンションも変わって、その場その場に合わせた(勝手に寄った?)雰囲気で進む。
東京タワーが見える、私なんぞが足を踏み入れることなど一生ないようなホテルの一室で、『嫌いだわ』『ダセェ』なんならピー音まで聞くとは思わなかった。最高だった。
客入れをした小さな箱で、普段テレビで見ているかのような回しだったり、そもそも客前ってことが楽しいんだろうなという顔や声色だったりもまた印象強く残った。最高だった。

最後まで見て、#3がいちばん好きな回だったなと思ったんだけれど
幸せだけどつまらないと話せる若林さんも、それに対して『あくまでも僕の目線で、ですけど』と前置きをして飽きてるんじゃないかとはっきり言う星野源さんも、さらにそれに星野さん好きだわと返す若林さんも
すごく、すごく良かった。シナジーやばすぎ。

確かに企画自体が"悩みを話す"なんだけれども、それでもカメラは回っていて、最後のほうのドライブ時以外他の大人もいて、その先に私のような視聴者がいて、
そういった状況でもお互いがお互いに本当に抱えている悩みを話せるという空間そのものの羨ましさったらない。
そういう相手がいることや回を追うごとに少しづつでも前へ進んでいる様、憧れ青天井。
月1である意味、1年弱もかけている意味、ぎゅっと詰まって丸く光っているような。

風が強い日にこれからも流されていくと話し、『もう120歳じゃが、一向にストレスが減らない』と未来を予想し笑い合い、灯台の下、それぞれの道へ歩んでいく姿に拍手喝采。
とってもおもしろい番組だった。


どうしたって見えている部分でしかこちらはその人を判断できない。
ただそれだけじゃないことも頭に置いておかないと相手にとても失礼になってしまうことや悲しませてしまうことがあって、
自分を語る上でも相手を知る上でも0か100じゃなく63だってあることが素敵だったりする。

たとえそれが足元の暗い悩みに繋がったとしても、そういうもんだと受け入れる余白はちょっとでも残しておきたい。


『だいたいのことは淡さの中にある』

目の前が少し明るくなった気がした。


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