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あまり出かけなくなってから、電車の乗り方が(より)ヘタクソになった。

少し遠出をしようものならちゃんと何番線かを間違える。時間通りにたどりつかない。

スマホとにらめっこして調べてやっとの思いで乗車、ただ静かに座っていれば私を目的地まで届けてくれるはずの電車は、気づけば全く乗換案内に出てこない駅に連れていく。
乗っている間も油断しまいと何度も何度も確認しているはずなのに、どうしてこうなるのか。

ほんの少しでも目を離していないかと聞かれると、
いや、まあ、それは、なんというか…とゴニョってしまうけれど
いやいやそれにしたって!そもそも乗換の時に路線を確認しているのだから、私の不得手だけの話ではなくないか??

と抵抗してみるも

ダイヤは通常通りであり、私のこの身体が目的地に足をつけていないのだから、全面的に自分のせいという結果を受け入れざるを得ない。

頭の中で私1と私2がお互いのせいにしている。
言い合いがヒートアップし、手が出て、お互いの右こぶしが相手の左頬を捉え、顔がへこみ、ツバがとび、口の中が切れて、意識が飛びそうに…
をスローモーションでお届けしているが、実際は私(本体)の心が崩れ落ちているだけだ。
っっク、、、ッッ!!つれェ、、!!!


「何もしていないのに急にパソコンが壊れた」
と言う不慣れな人の言い訳のように、
「時間通りの電車に乗っているのに時間通りに駅に着かない」
とぶーたれているということ。

実際ははやく乗ってしまいたいがために乗換案内ででてきた1本前の電車に乗ったりしている。我ながら常習犯である。

私はPC関連に詳しくなどないが、何も触らずにいきなり壊れることなどそんなに起こらないことはわかっている。




「時間がない」
と思うことがある。
だいたいは好きなことに没頭しているときだが、それでも
『1日の時間が増えればいいのに』
とは思ったことがない。なんでだろう。

と思って考えてみた。

1日の時間がたくさん欲しい人って、期日があるものに取り組んでいたりとか、一種の流れをせき止めたい人?というイメージなんだが(おわかりいただけるだろうか??)
私はそれには当てはまらない。

好きなことは別にいつしたっていい。
いつしたっていいけれど、その時間が確保できないのであれば「時間がない」と思ってしまう。
この日までにあれしたい、というより、何日も継続的に好きな事していたい、が強いため、1日の時間を伸ばしたところでそれは叶わないから24時間でいい。

叶わな…いよな……?
叶わなそう……だよな…??

確かに1日が48時間あって、好きなことが48時間できるならいいけれど
勤務時間が16時間になりそうだからイヤ。
そおんな都合よく、そのまま8時間でいいですよぉなんて、言ってくれるわけっ!

と、急なリアリティが私を襲う為、
つまりは「毎日が夏休みならいいのに」、これに限るということだ。


と、ここまで考えたけれど、銀魂のマダオの「毎日が夏休み…」に関する名台詞が頭をよぎったので明日もちゃんと働こうとは思う。
調べたら知恵袋に原文ママが載っていて、改めて笑ったとともに、今この台詞が笑える環境にいることを感謝しなければなとも思った。

大切なことはいつもマダオが教えてくれる。

おろしたてのタイツの指先に穴が開こうが、人生に義務と休み、起伏が存在していることに、合掌。

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