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千里の道も一歩から

この夏はめちゃくちゃ働いている。通常業務はお盆休みが9日間あったけれど、実家へ高齢の両親のへルプに行った以外はずーっと持ち帰り仕事をやっていた。


毎年、初夏から10月にかけてかなり忙しい。秋のステージに向けて毎年初夏からは創作時期となるのだ。そこまではいつものことなので織り込み済みだった。しかし今年は、春先に骨折して以来何かと手が要るようになった義母のヘルプ、プラス、別の仕事で締切を守ってくれなかった人のせいでやってきた大きな皺寄せという、例年よりも何倍も作業が滞る事態があったため、自分でも「これは壊れるかもしれない」という危機を感じるほどの忙しさに見舞われたのある。


義母のヘルプもひとつひとつをとってみれば、大きな仕事ではない。しかし!仕事が乗っているところで中断されるということがどれほど流れを滞らせるか、ということが、春先の私にはまだ予想がついていなかった。特に、曲をアレンジして楽譜を書くという作業は、考えが浮かんでそれをまとめてという創作系のことなのでいったん乗ってきたらやめたくないし、乗ってきたものを中断するとそこからまた何も浮かばなくなってしまうのである。まとまった時間というものが絶対に必要なのである。これはキツい。かなりキツい。


すきま時間でできることを義母のヘルプ前後に組み込むように工夫してなんとか時間をやりくりするも、今度は締切を守ってもらえなかったことで予定が大幅に狂ってきて仕事が短期間に密集することになった。こうなるとまとまった時間が必要などと言っていられない。基本的に仕事から帰ってからは楽譜を書かないことにしているけれど、(疲れてる時にいいアイディアは浮かばないので)とにかく火事場の馬鹿力とばかりに、ひたすら五線譜を埋めていった。


同業者で尋常ではない量の仕事を抱える人がいる。いつもどうやって彼女はあの仕事量をこなしているのかと思って、(同業者ゆえ楽譜を書かねばならない繁忙期が同じ)
ずっと昔に何か秘訣はあるのかと聞いてみたことがある。だって、あんなに大量の仕事を(しかもものすごいハイクオリティで!)こなすだなんてきっと特別な秘策を持っているのだろうと思ったから。


すると彼女は実に淡々と「壁のよく見えるところに『千里の道も一歩から』と書いて貼り、先が見えなくて気が遠くなるとその貼り紙を見るだけでなく実際に口に『千里の道も一歩から。千里の道も一歩から』と唱える」と、予想もしなかったことを言った。


秘策どころかなんて地味なんだ…!
いや、だからこそ秘策なのか…?
私はあまりの忙しさにイーッとなりながらふと彼女のこの言葉を思い出し、
半分は諦め、そしてあと半分は希望を持って再び五線譜に向かった。


「諦め」というのは、自分の仕事なんだから納期までに仕上げるしかない、という「諦念」。「希望」というのは、書き続けていたら必ず終わりは来るという「未来の光」。
たとえ1小節でも進めれば、残りは確実に減っていくのだと思うと、怒りにも似たざわついた気持ちが気持ちがいったん凪いだ。


お引き受けしたお仕事はきっちり納める。書き続ければいつかは必ず終わる。書くのをストップしたら終わりはやってこない。ただそれだけのことだ。


淡々と、でも書くからにはできるだけセンスの良いものを、と心掛け、なんとか自分の決めた期日までに全曲書き上げた。目はしょぼしょぼ、肩はガチガチ、もう廃人寸前である。でも自信とでもいうか、大きな根がひとつ自分に生えたような気がする。慌てず騒がず淡々と少しでも前へ進めていけば終わりは来る、この当たり前すぎることが五十路半ばにしてやっと腹に落ちた。


「千里の道も…」の同業者よ、あなたはもうずっとずっとこの境地でやってきているのですね。どうりでいつも落ち着いていて肝が据わっているはずです。やっとあなたの背中が少し見えた気がします。ありがとう。


ああ、でもやっぱりできることならこんな思いはもうしたくないものだ。
来年は「えっ、もう準備始めてるの!?」と言われるくらい早くから取り掛かろう、
って言いながら、喉元過ぎればなんとやら、もう数ヶ月もしないうちに忘れそうだな。

#仕事 #時間

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