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『真剣』って言葉の意味を知っているか。

皆さんこんばんは。朔 彩人きた あやとです。

梅雨も本格的に入ってきたのを感じる近頃となりましたね。僕は元々折り畳み傘という物を持ち歩いてこなかった人間だったのですが、備えあれば憂いなしという事なので、人生で初の折り畳み傘を購入したのです。「これで急な雨にも対応できる!」 早く使いたくてうずうずしていたのですが、ここ最近は天気予報に反し晴れ間が見える機会が多く、いつ使えるのかな?と待ち望む事さえしばしば。ある日の帰り道、そこに待望の通り雨が! 今こそ折り畳み傘の出番だと興奮気味に鞄から取り出そうとしたその時、「……あれ?」折り畳み傘が見つかりません。それもそのはず、折り畳み傘は綺麗な状態のまま家の玄関で僕の帰りを待っていたのですから。仕方なくコンビニで傘を購入。これで僕の傘コレクションが3本になりました。


はい、余談はこれくらいで。(笑)

今回は中学時代サッカー部に所属していた際の恩師の言葉について書いていきたいと思います。


『熱く生きる』をモットーに

何事にも熱意を持って、全力投球、闘志を燃やして、そんな言葉がピッタリな先生でした。最初に言っておきますが、当時の僕はそんな暑苦しい先生が大嫌いでした。日中は担任として生徒に対して真摯に向き合う表の顔を見せてると思いきや、放課後は一変。職員会議が終わった先生が燃え盛る炎を纏った様なオーラを放ちながら登場する裏の姿は、恐怖以外の何物でもありませんでした。僕等はそんな先生を影でゴリラと名付けていたので、本文中はゴリラ先生と呼ばせていただきます。

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*先生、見ていたらごめんなさい。

ゴリラ先生はサッカーに対する情熱は勿論の事、部活動に対する熱意も半端じゃありませんでした。「走った分だけ強くなる」そんな言葉を掲げて、僕等がサッカー部である事を忘れているのではないかと、そう錯覚を起こすくらい朝から晩までほぼ毎日走り続けていました。それに加えて多忙な練習量と厳しい指導は、中学生で青二才の当時の僕からすれば耐えられるものではありません。「試合で勝っても喜ぶな、反省点を探せ」など、強くなる為の助言でも僕等には苛立ちしか残らず、勝っても反省、負けても反省。達成感すら見失いかけていた事もありました。そんなゴリラ先生ですが、ただ立って怒鳴り散らかすのではなく、供に練習に参加し、供に走り、生徒と同じ目線で全力の指導をしてくださっていました。今思えば有り難い環境にも思えますが、やはり当時からするとそれさえも苦痛にしか感じていない自分自身がおり、どうしても好きにはなれませんでした。そんな日々に全力を注ぐゴリラ先生のモットーが『熱く生きる』。その情熱の渦中で操られている、そんな感覚の中で必死に食らい付きながら、日々の練習に励んでいたのを覚えています。

そんなゴリラ先生がとある試合で大敗を喫した時にある事を言いました。


お前ら、『真剣』って言葉の意味を知っているか

負けた事の悔しさよりも叱られる恐怖に怯えていた当時、試合終わりのミーティングでゴリラ先生は、

「お前ら、真剣って言葉の意味を知っているか? 真(まこと)の剣(けん)って意味なんだよ。真剣勝負ってのは斬られたらそこで死ぬんだ! お前らは死ぬ気で戦ったのか⁉︎

また暑苦しい説教が始まった。そのくらいにしか感じていませんでしたが、ゴリラ先生が発したその言葉が未だに頭から抜けないのです。熱血指導の延長線上で与えられた言葉が、今でも胸に突き刺さっています。


「真剣」の語源は命を懸けることにある

「真剣」の語源は「刀剣を使った命がけの勝負」にあります。「真剣」とは本来「木刀や竹刀ではない、本物の刀剣」を意味する言葉でした。本物の刀剣を使って命がけの勝負をしたことから、「本気で取り組む様子」という意味が加えられたのです。

・TRANS.Biz 『「真剣」の意味とは?語源や類語の「真面目」・刀についても解説』 https://biz.trans-suite.jp/53453 (参照 2021-06-30)


命を賭ける、本気で取り組むなど、なんともゴリラ先生が大好きそうな言葉ですよね。そんなゴリラ先生に対して3年生に上がる直前、僕等が不満を募らせて恥ずかしながら反抗をしてしまう場面がありました。当然ながらに怒りの鉄槌を喰らう覚悟ではありました。ですがゴリラ先生は、

「俺も人間だから物事はハッキリと言う。だがお前らもそれは同じ。遠慮は無しだ。腹を割って真剣に話し合おう」

そう言って僕等の幼いながらの反抗を全て受け止めてくれました。勿論叱られはしました。でもその中に、ゴリラ先生なりの愛情を『真剣』という形で感じられたのは、あの日が初めてだったかもしれません。

そんなゴリラ先生にも異動の噂が流れ始め、内心嬉しさが込み上げていた反面どこか寂しさを感じる様にもなりました。それは、部員達の中でも同様の感情が芽生えていたのだと思います。

そして迎えた夏の総合体育大会。実質僕等の集大成となる大会です。今までの苦楽を闘争心に一致団結で挑みましたが、奇しくも勝利への思いは実らず、僕等の部活動生活に幕が下ろされました。悔しくて涙が止まらなかった僕等を見兼ねてゴリラ先生はこう言いました。

「負けたからって泣くんじゃない。堂々と胸を張れ馬鹿者が!」

そう言ったゴリラ先生の目頭が赤くなっていたのを、僕は忘れていません。


恩師からの最後の言葉

部活動を終えても、ゴリラ先生は僕の担任として熱心に寄り添ってくれました。勉強面、進路活動、何故か恋愛事情にまで。(笑) 給食の余り物じゃんけんにも参加したり、体育祭・文化祭などの行事では仕事の合間を縫いながら生徒の為に一生懸命サポートをしてくれていました。部活を辞めてから分かり始めたゴリラ先生の献身的な精神、相変わらずの不器用な熱意が心無しか素直に受け入れられる様になっていた自分にも驚きつつ、卒業までの学校生活を存分に楽しんでいました。

迎えた卒業式。仮にも一応顧問だったゴリラ先生に、僕等は感謝の言葉と花束を渡すべくグラウンドに先生を呼び出しました。各々なりの言葉を告げて、最後にゴリラ先生が僕等に何かを告げようとしたその時、衝撃の光景を目の当たりにしました。

「俺には一つだけ後悔がある。それはお前らを勝たせてやれなかった事だ。お前らじゃなく俺の責任だ。本当に、すまなかったな……」

一言一句忘れはしません。あのゴリラ先生が、男泣きをしながらそう言ったのですから。

表の顔も裏の顔も、最初からそんなもの無かったのです。ゴリラ先生は僕等を見送る最後まで、僕等と『真剣』に向き合ってくれていたのです。辛い事の方が多かったかもしれない、でもその中で得られた経験と掛け替えのない財産は一生の宝物となりました。

「これからの人生も、熱く生きてください。」

その言葉を胸に、今も真剣に熱く生きていますよ、ゴリラ先生。


まとめ

恩師から頂いたこの『真剣』という言葉は僕の活力源の一部として、今でも胸の内で熱く激っています。

当時は毛嫌いしていた恩師ですが、今では人生の先輩として相談相手になってもらっています。暑苦しいのは変わりませんが……。(笑)

皆様にも恩師に限らず、様々な出会いの中で知り合った人や言葉があるのではないでしょうか。たまに思い出すと懐かしくも感じ、今だから気付ける良さとこれからの成長の糧になるきっかけ作りにもなるかもしれませんので、嫌な事も含めて過去を振り返る事をお勧めします。


以上、朔 彩人でした。


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