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20代最後の夜に思うこと~私の喜びの根源とは~

こんばんは!

今日も記事を開いていただきありがとうございます!

明日は私の誕生日。明日で30歳。

10年前の20歳の頃から変わったこと、何があるかな?

①学生から社会人になったこと
➁人間関係を持つ人の幅が広がったこと
 ※年齢・職歴・趣味嗜好・住んでいる場所などが様々
③人を寄せ付けない堅い雰囲気から少し親しみやすさが出てきたこと

①と➁なんて、完全にありがたいご縁のおかげ。

③も、成長したというより、本来の自分を受け入れたことでの変化。

いったい私は何を頑張り、何を成し遂げ、どう成長したんだろう?

20代を振り返って思うこと

社会人になりたての頃の私が思い描いていた30歳の自分は、もっと高学歴で、高収入で、知的でバリバリ仕事ができて愛と思いやりにあふれつつも自律的で、子犬風の弟系なキュートな年下の旦那に姉さん女房と呼ばれて懐かれているのが夢だった。

お察しの通り、この理想は1つも実現できませんでした。

………(笑)

相変わらず仕事はミスるし、キッチンを散らかしたまま寝る日もあるし、言葉足らず&説明不足で他人を困らすし、暴飲暴食もしたくなるし、大した努力もしないくせに成功者を妬むし、同世代の結婚報告は正直嫌いだしwww

救いようがなさすぎるヤツだ。

幼い頃からずっと心のうちに持つ虚栄心見捨てられ不安を20代の内に手放せればと思ったけど、それもできなかったよww

そんな虚栄心と見捨てられ不安が自分の内にあるということを、ちゃんと認めたことだけが、20代の私の唯一の成長だと思っている。

結局のところ、いい部分も悪い部分も含めて私の本質はこの先も変化することはないんだなということに気づけたのでした。

私が思い描いた、知的で自律的なカッコいい大人女性に生まれ変わる日は、おそらく一生来ないだろう(笑)

そんな私も、20代の間にめっちゃくちゃな生き方をし続けてきた結果、大切にしたいと思えることがわかりました。

大切にしたいこと①:自分のやり方を自分で選ぶ

私はとても厳しい両親のもとに育った。

なので、進路は私の意志というより、ほとんど両親の意向に従って選ぶことしかしてこなかった。

私なりに一生懸命頑張っているのに、私が望んでいるものが何も手に入らない苦しさ。

両親(特に母)の意向に応えるために、自分の本当にやりたかったことを犠牲にする心苦しさ。

たとえ失敗しても、自分で選んだ道なら、その選択をした当時の自分、失敗経験そのもの、失敗から学べたことのすべてに愛着がわくのを知っていた。

だからこそ、いくら頑張っても愛着の得られない「両親の意向に従う生き方」に疲弊しきってしまったね。

あの愛着をもう一度でいいから感じたい。

ずっとそう思いながら、枯渇しすぎて出ない涙を必死に出そうとしていた。

私が両親の力に負けて進路選択を放棄したのはもう何年も前だけど、いまだにそのことを恨んでしまうくらい、「自分で選んだことをする」ということが大切なんだと気づけた。

私が欲しかったのは“成功”よりも“愛着”なんだ。

これからは、たとえ小さなことでも自分で選択し続けて生きていきたい!

成功か失敗か、華やかか地味か、自分にとって最適かそうでないかはいったん置いておいて、今日の自分の直感で選びたい!

そして、言葉にできない私なりの愛着を感じ続けていきたい!!

大切にしたいこと➁:日常生活そのものを味わう

理想が高く、派手好きで、知性的or個性派な人間になりたくてたまらなかった私は、夢見がちで日常生活を退屈なものだと思い込んでいた。

27歳の冬に出会ったセラピストさんに「やりたい仕事の実現よりも先に、心と体を整えて自分の状態を改善しないと前に進まないよ」と言われたのをきっかけにようやく食事、睡眠、姿勢、感情の解放、部屋の片づけ、持ち物の見直しなどをして自分の状態を改善し始めた。

がむしゃらに目的のない努力をしていた時よりも、自分の状態を整えてからのほうが前向きに事が進むようになったね!

自分の心や体と対話を重ねることで、自然体の自分を徐々に取り戻すことができた。

より自然な心で人と会話できるようになったし、SNSでも徐々に自分らしく表現できるようになってきた。

それが、「ありのままで生きる えーり村」のコンセプトにもつながっていったね。

大切にしたいこと③:自分が持つ資源をフル活用する

新しい知識や技術を身に付けて、その分野の専門家になって、他の人と比較して頭一つ秀でる存在になりたい。

ずっと漠然とそう思っていたので、いろいろ勉強したり体験してきた。

自己啓発系のセミナーを受講したり、セラピー系の施術(タイ古式マッサージ・レイキなど)を体験してみたり、SNSライティングスキルを学んでみたり、プログラミングを学んでみたり。

言うまでもなく、1つも実になりませんでした。

失敗の過程で自分の弱点を知ることはできたけど、自分の強みについてはわからずじまい。

もうだめだと思ったその時、今いる会社の職場の人が私を高く評価してくれるようになった。

がんばってキャリアを構築しようとしなくても、私の得意なことをしっかり認めてくれて、私の成長意欲をしっかり受け止めてくれる環境に、自分はもうすでにいたっていうことにようやく気づけた(泣)

「強み」という言葉を、「自分にしかできないこと」「特定の専門分野に精通していること」「超目立つ魅力的な個性があること」だと思い込んでいたので、私が持つ地味で処世術的な強みに気づいていなかった

転職や副業が推奨されがちな世の中。

知的で自律的な女性になるために、なんとしても転職・副業でやりたい仕事を実現しなきゃだめだと思い込んでいた。

でも、今の自分を信頼してくれる人達のために力を尽くすことだって誠実な生き方だと思えた。

なにより、超得意でもなければ、特別に好きでもない今の仕事でも、何とかやりぬけたことが私の強み、、、、ってことにしてる。

大きな夢への果敢なチャレンジよりも、今の自分にできることを磨き続ける。

秀でた能力や奇抜な個性で目立つより、今の環境での信頼と分かち合いを大切にしながら前向きに仕事すること。

虚栄心や見捨てられ不安から大きな夢を描きたくなる時もあるけど、そんな時こそ、今の自分が持っている強み・環境・人間関係のなかで得られるものはないかもう一度見つめなおしたいね。

まとめ「ないものを意識することから苦しみが生まれる」

自分には魅力的な個性がない、秀でた才能がない、専門的な知識がない、自叙伝にできそうなエピソードがない、恋人や旦那がいない。

ないものばかりにフォーカスしていたことが、私の苦しみを大きくしていた。

今自分の周りにあるものに意識が向いたとき、もっと大切にしたいと思えたし、愛着もわいたし、楽に幸せに生きられるようになった。

虚栄心と見捨てられ不安に翻弄されて、今ある幸せを見失わないように、持ち前の感受性をフル稼働させて生きていきたい!!

明日30歳になっても、今日の続きの人生をコツコツ歩むだけ!

楽しく生きるぞ~!!

読んでいただきありがとうございました!



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