【写真ルポ】辺野古新基地建設阻止集中行動「基地建設を止める奇跡の一週間」と、世代の違いについて思ったこと
名護市辺野古キャンプ・シュワブゲート前では、4月23日から28日まで、辺野古新基地建設を阻止するべく6日間に及ぶ集中行動が行われました。
私は、5日目の4月27日の集中行動に参加しましたので、写真をいくつか紹介します。
はじめに、そもそも沖縄の基地問題についてあまり知らないよって方は以下の動画をご覧ください。7つのポイントでわかりやすくまとめられています。
1.敗戦後の事情、2.沖縄に増えた基地、3.米軍基地の機能、4.米軍基地の弊害、5.オスプレイ問題、6.普天間基地問題、7.税金を使った辺野古新基地建設
早朝5時に起床し、6時30分発の送迎バスに乗るために県庁前の県民広場へ。
多くの観光客でにぎわう国際通りは、この時間はまだ人が少なかったです。
県庁前県民広場から出るバスは、6時30分発と9時発の2つがありました。
6時30分発の方は事前の予約が必要で、前日の夜に予約しましたが乗ることができました。
高速道路を北上、
7時30分ごろ、途中の伊芸サービスエリアでトイレ休憩。
「この景色を観光で見られたらいいのになぁ」と思いつつ、これから起こる出来事を想像し憂鬱な気持ちに。
8時前、辺野古のバス停に到着。
この日の最高気温は24.9度、クーラーがんがんの警察車両に嫉妬。
早朝からゲート前で抗議する市民の方々。
ワンちゃんも抗議に参加。
トラックの搬入、機動隊による排除が始まるまで、歌や踊り、参加者によるスピーチなどがありました。現場に行かれたことのない方々には、意外と思われるかもしれませんが、強制排除が始まるまではわりと和やかなムードです。
新基地建設阻止のような長期に及ぶ抗議では、常に気張っていると身体と精神がもちません。
これも、長期戦を闘い抜くための知恵と努力です。
スピーチをする山城博治さん。徹底的な非暴力の抗議行動を訴えます。
沖縄の子どもたちの未来を想う、人生の先輩方たち。
私ももう子どもという年齢ではなくなってしまい、次世代への責任を感じるようになりました。
9時ごろ、この日最初の強制排除開始。
写真を撮っている私でもかなり怖いと感じるのに、一人の女性が強い力を持つ男性、しかも圧倒的な権力も持つ複数の機動隊員に囲まれることは、想像を絶するような恐怖を感じたと思います。
見ていてとても辛かった・・・
この日最初の強制排除が終わり、たくさんのトラックが搬入されました。テントに向かう途中、喉が乾いたから立ち止まり、水を飲むため上を向くと空の美しさに感動。ついさっきまで起こっていたことと、何もない空とのコントラストに言葉が全くでませんでした。
小学校低学年のまだ小さかったころ、見上げた空はこんな感じだったなぁ、とノスタルジックな気持ちに。
昼食を食べ終えた12時ごろ、この日2回目の強制排除が開始。
圧倒的な力によって引き離される二人を見るのはとてつもなく辛かった。
こんなことやっぱりおかしいよ。直感的にも。
ベテランズ・フォー・ピース(平和を求める元軍人の会)の方々も参加しました。
警察のたくさんのカメラが見張っていました。
ゲート前から排除された後は、歩道上に作られた簡易的な拘置所(現場で偶然会った知り合い曰く、通称辺野古刑務所)に、トラックの搬入と搬出が終わるまでの数時間いれられます。
拘留から解放され、テントに戻って休憩をするのですが、休憩の時間中、三上智恵監督『標的の島 風かたか』を見た方々にとっては印象に残ったと思います、山里節子さんによる「とぅばらーま(八重山民謡)」などが唄われました。
そして15時ごろ、この日3度目のトラックの搬入、強制排除が始まりました。
彫刻家で有名な金城実さんもおられました。
目の前で起こる出来事に写真を撮っていて涙が込み上げてきました。
今回参加してみて、とくに意識したことは「世代間の違い」についてです。
私の行った日の翌日(28日)に「辺野古ゲート前500人行動」実行委員会が行ったアンケート調査によると、20代の参加者は全体の1%で、50代まで参加者の比率が低いのが現状です。(私としては同世代の参加者を見つけられたことで勇気が出ました)
上の記事で指摘されているように
「沖縄の戦後歴史上、いつの時代も身体を張って戦争と基地を止めようとした人たちがいたこと、そのたたかいの成果の上に私たちの暮らしが存在していること、そして辺野古新基地がまさにそのたたかいによって二十年以上経った今も完成していないこと—こういった歴史的事実・価値観の共有・継承が必ずしもうまくいっていない」
ことが大きな原因だと思いました。
私は、父や祖父母から沖縄戦の体験や沖縄の歴史について小さい頃から聞かされてきたこともあり、公教育で教わる歴史教育以外の沖縄の歴史が自分の中にありました。
しかし実際のところ、高校卒業するまでは琉球・沖縄の歴史についてあまり詳しいわけではありませんでした。むしろ、ほとんど知りませんでした。
私は、大学生になり自由な時間が増えたことで、大学の専攻とは違う琉球・沖縄史を学び直したいと思うようになりました。
琉球・沖縄史の本を買い、自分で勉強し直すことで沖縄人としてのアイデンティティーが強くなり、沖縄への強い誇りを持てるようになりました。
また、自分たちよりも上の世代の人たちが、長い間ずっと基地問題に翻弄されながらも必死に抵抗し、闘いぬき、いかに権利を獲得してきたかを知ることができました。(この辺のことは機会を改めて詳しく書きたいと思います。)
私たちのいる沖縄は先人・先輩たちの努力によって成り立っていることを改めて知りました。
今現在も、沖縄の基地問題はデマやヘイトを含めて、たくさんの情報が入り乱れ絡み合い、錯綜しています。
一言で「複雑すぎ」です。
沖縄の基地問題を理解するためには少なからず時間がかかるのかもしれません。
よく政治に関する意見のアンケートで、20代30代が全体のポジションと違っていると、「若者はよくわかってる!」というコメントを見たりしますが、それは違っている気がします。
そこは、やっぱり先輩方の考えを謙虚に受け止めたいなと思います。
だって、人生経験では確実に上ですもの。
話がそれてしまいましたので無理やり戻します。
今回とくに気になったのは、同世代の機動隊の方々の存在です。
おそらく、私と同じ20代の人たちがかなり多いと思います。
新人研修なのかなんなのかわかりませんが、排除するときには指示を出す人がいて、「指は掴まない!」「ゆっくり動かす!」となるべく怪我をさせないように気を使う人もいれば、乱暴に押しのけたり、強い口調で話したりする人もいました。
一方で、抗議をする側にも若い機動隊に対しキツい言葉を投げかける人も一部ではいました。
私は、同世代の若い機動隊の人たちがそのような言葉を言われるのを聞いて、悲しくなりました。
おそらく「辺野古で抗議する市民を力づくで排除する仕事に憧れました!」っていう志望動機で警察官になった人はいないと思うからです。
「地元沖縄を守りたい」「昔はやんちゃしてたこともあるけど、警察官になって地元に恩返しをしたい」というような動機の人がほとんどじゃないだろうかと勝手に想像します。
また、生活していくために辛い仕事もしなければならないような人も多いと思います。
大学を卒業して地元に戻り、中学からの友人とかと話をしてわかったことですが、安い給料の中で(聞くからに労働基準法が守られていない悪い状態)毎月のローンなどの支払いに追われ、ギリギリの生活をしている人が結構いるからです。
とにかく、世代間や地域の分断をつくってはなりません。
私は、同世代の人たちが社会問題に取り残されないようにするために何ができるか、まだわかりませんがじっくり考えていきたいと思います。
沖縄社会の分断をつくる基地問題なんて早く無くなってほしい!
最後まで読んでいただき、いっぺーにふぇーでーびたん。
P.S.
いくつか関係するリンクを下に貼ります。
①私が参加した日(4月27日)の集中行動について書かれた琉球新報の記事
②『標的の島 風かたか』三上智恵監督へのインタビュー記事
③辺野古の現場へ行く方法について(県庁前県民広場からの送迎バス)