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「本、とりわけ歴史小説の未来について」 火坂雅志・伊東潤著『北条五代 上・下』刊行エッセイで伊東潤氏がその想いを熱く綴る!

 火坂雅志さん、伊東潤さんの共著『北条五代 上・下』(朝日文庫)が刊行されました。戦乱の世で、上に誰も頂かず、民のための理想の国を作る――早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と5代100年に亘って東国に覇を唱えた北条家100年の興亡を、急逝した火坂氏の衣鉢を継いだ伊東氏が書き継ぎ完成させた、歴史巨編です。著者の伊東氏は、本書をどのような歴史小説にしようと考えたのか。これからの本の存在意義、また歴史小説の未来について伊東氏が執筆した、朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」11月号掲載の巻頭随筆を特別に公開します。

 火坂雅志、伊東潤著『北条五代 上・下』(朝日文庫)
 火坂雅志、伊東潤著『北条五代 上・下』(朝日文庫)

 本が売れなくなったと言われて久しいが、1996~97年をピークにして、紙の本の売り上げは減り続けている。2020年頃のコロナ禍の巣ごもり需要でいったん下げ止まったものの、微減状態は続いている。とくに情報性や緊急性の低い文芸本の需要は、依然として下げ止まっていない。

 考えてみれば、周囲を取り巻くすべてが便利になった社会で、文字を読むという行為だけは文字ができた氷河期から変わらず、電子書籍が登場しても、その手間が改善されたわけではない。

 最近はAudibleと呼ばれる、本を朗読した音声コンテンツに多少の光明が見出されているものの、図表を伴って読者の理解度を上げようとする類いの本にはメリットがない。例えば歴史小説でも、地図、系図、登場人物一覧、年表などを付けられない点で、音声メディアを手放しに歓迎するわけにはいかない。

 映像と音声が知識や情報収集の主力となる傾向は、さらに助長されていくだろう。というのも、子供の頃からYouTubeなどの映像と音声メディアに親しんできた世代にとって、われわれシニア層が考えている以上に文字を読む行為のハードルは高く、読書自体が勉強、つまり苦痛を伴うものとなってきているからだ。

 また若い世代はツーウェイが当たり前で育ったので、完全ワンウェイ文化の本は、ストレスがたまるようだ。こうしたことから「本を読む」という行為自体に、苦痛や不満を感じる世代が登場してきていることを、われわれシニア世代も心得ねばならない。

 これからも本にとって厳しい状況は続くだろう。まず目前に「人口急減社会」が待っている。この現実の前では、出版関係者が草の根運動のように行っている様々な取り組みも蟷螂の斧に等しい。人口が減れば読書人口も減るのは当然で、それを覆すには、読書好きを増やすか読書好き一人ひとりの読書量を増やしてもらうしかない。前者が難しいのは言うまでもないが、後者も、読書家一人ひとりの時間にも可処分所得にも限りがあり、それを望むのは酷というものだ。

 しかも人口の減少率以上に読書人口の減少率が高くなるのは自明だ。なぜかと言えば、これまで文字文化に親しんできた団塊の世代が、徐々に読書から遠のいていくからだ。この世代は読書を趣味としている人が多く、可処分所得にも余裕があり、本の購買層の中核を成してきた。だがこの層が退場していくことで、購買読者は減少を余儀なくされるだろう。

 また若い世代は目的もなく本を読む習慣がなく、ファスト文化の隆盛からも分かるように、すぐに結論をほしがる傾向がある。だがファスト文化が、「苦労して答えを得る」「何かをじっくり考える」「論理的思考法を養う」といった、生きていく上で必須の要素と相反していることを忘れてはならない。

「苦労して答えを得る」については説明の余地はないだろう。そうして得たものほど記憶に残りやすく、後々まで役立つからだ。

 また読書は「何かをじっくり考える」ことのきっかけを作るもので、そうした触媒がないと、人は深く考えようとしない。

 私は今、BS11で「偉人・敗北からの教訓」という番組のレギュラーコメンテーターを務めているが、多くの参考文献を駆使し、番組で取り上げる人物の事績を学び直し、その人物像を深く洞察している。それによって得られるものは多い。すなわち読書を触媒として、「深く考える」ことの大切さを再認識している。

 さらに大事なのが「論理的思考法を養う」ことだ。これだけは若い頃から読書に親しみ、その積み重ねで自然に会得していくしかない。この能力が身に付いていないと、説得力のある論理を構築することは難しい。

 だがこうした警鐘を鳴らそうと、本好きを増やしていくことは難しそうだ。

 では、コンテンツを提供する出版業界に問題はないのだろうか。

 まず「コンテンツのオーバーフロー状態」を何とかせねばならない。出版社が新人の発掘に力を入れることに問題はないが、作品数が多くなれば、本にするに値しない作品に出会うことも多くなり、本に対する信用が低下する。それが積み重なることで、読書離れが促進された一面もあるだろう。

 また作品数が多いと、書店に並ぶ本が溢れ、読者は何を買ってよいか分からなくなる。それなら「ネット書店で検索して購入すればよい」と思うかもしれないが、ネット書店で見当をつけて買うとハズレをひくこともあり、やはり書店で手に取って吟味してから買わないとリスクが大きい。だがその書店が減少の一途をたどっているのだ。

 さらに紙などの原料費の高騰を定価に転嫁する傾向が、ここに来て強くなっている。薄い文庫本が1500円もするのだ。これでは本好きでも手が出しにくいだろう。これこそは、企業努力を怠ってきた業界のつけを、読者が払わされている典型だろう。

 そして読書の将来を決定するのがAIだと、私は思っている。AIの進化は凄まじく、5年から10年後には、人が書けないような複雑な構成の物語をAIが書くことになるだろう。AIの大波に作家という職業がのみ込まれていくのは必然なのだ。

 しかし作品の背後に作者の影がない、つまり作家性が殺菌されたAI作品に、どれだけ読者が引きつけられるかは分からない。とくに文芸書は、異様な個性や人生体験を持つ作家たちが、自らの人生観、苦悩、葛藤、迷いなどを投影させて作品を紡いでいくので、その世界観に絡め取られていくところに快感がある。しかしAIの殺菌された世界には、そうした吸引力があるようには思えない。すなわちAIが、読書離れに引導を渡すような気がしてならないのだ。

 こうしたことから、いっそう本は売れなくなり、読書という行為は衰退の一途をたどるだろう。

 だが私は楽天的に考えている。今までが本なら何でも売れた時代だっただけで、うまく需要のあるポイントを突けば、本が不要になることはないだろう。

 例えば、私が主戦場としている歴史小説のジャンルでは、読みやすい新書判などの歴史ノンフィクションが主流を占めつつあり、歴史小説は見る影もない状態だ。しかし昨今、「その時々の主人公たちの感情の動きを読みたい」という隠れた需要が増えてきていることを知り、それに応えていくことで、まだまだ生き残っていけるという手応えを摑んだ。

 この10月、私は故火坂雅志氏との共作になる大作『北条五代』の文庫版を刊行した。本作は火坂氏の作風を継承すべく、歴史叙述をできる限り少なくし、視点人物の感情の動きに重きを置いている。

 ベストセラーを連発していた頃の火坂氏のパートを読み込むことで、私もその人気の秘密を会得することができた。本作では勇壮な合戦譚や政治的駆け引きを控えめにし、様々な葛藤を抱えながら決断を下していく戦国大名の苦しさを赤裸々に描くことで、濃密な人間ドラマが構築できたと思う。

 奇しくも火坂氏のおかげで、歴史小説の存在意義を思い出すことになり、本作では史実を知るだけでは得られない北条五代の「思い」の部分を色濃く出せた気がする。

 これから読書人口が減り、本もますます売れなくなるだろう。だが隠れた需要をしっかり摑んでいけば、そこそこ売れる本を作ることができるはずだ。


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