見出し画像

現代のねこブームを遥かにしのぐ江戸時代の「大ねこブーム」 熱狂ぶりがわかるグッズの数々

 時速50キロで走る、嗅覚は人間の10万倍、1.5メートル以上跳ぶ……。ねこの調査研究を行っている動物学者・山根明弘氏が、優れた身体能力や感覚器の鋭さから人間の治癒力まで、ねこの“すごい”生態を解明した一冊『ねこはすごい』(朝日文庫)から、江戸時代にもあった「大ねこブーム」について一部抜粋・再編してお届けします。
(タイトル画像:ryo96iSt / iStock / Getty Images Plus)

山根明弘著『ねこはすごい』(朝日文庫)

■ねこブームは、昔からあった!

 現在は空前のねこブームともいわれています。テレビをつければ、たくさんのCMにねこが出演し、ねこをテーマにしたテレビ番組が毎週のように放映されています。書店に行ってみると、毎月のように新刊のねこ写真集やねこ本が発行され、「ねこコーナー」に平積みにされています。

 少し前までは、大都市にしかなかったねこカフェも、最近では地方都市でも普通に見かけるようになりました。また、各地のデパートでは、写真家の岩合光昭さんの作品をはじめとする、ねこの写真展が女性客を中心に大変なにぎわいをみせています。ここ数年は、美術館や博物館の業界でも、ねこの絵画や浮世絵を中心に展示するいわゆる「ねこ展」が各地で企画され、どこでも大ヒットし、これまでの入館者数記録を更新する館もあるほどです。

■江戸時代にも現在のような「ねこブーム」があった?

 個人的にも、ねこブームの到来を感じることがあります。それは、わたしのノラねこの研究に対する、一般の方々からの反応の変化です。20年ほど前は、ノラねこを研究しているなどと人前で話そうものなら、変人扱いをされたものでした。よほどねこが好きな変わり者か、ヒマを持て余した気楽な大学院生とでも思われていたようでした。なかには、「そんなことをして、何か人の役にでも立つの?」と少し皮肉っぽくいう人もいました。

 ノラねこは、シカやクマ、キツネといった野生動物ではありませんし、かといって牛や豚、羊などの典型的な家畜とも少し違います。どちらにも属さない、中途半端な動物と思われてしまえばそれまでで、ノラねこの研究が一般の人から受け入れられなくても、それは仕方がないことと諦めておりました。

 しかし、この10年ほどの間に、少しずつ潮の流れが変わってきたように思います。わたしのノラねこの研究内容や、その成果について、新聞社やテレビ局、出版社などからの問い合わせが次第に増えてきました。また、ノラねこを研究することに対しても、「あら、楽しそう!」とか「わたしもやってみたい!」などと、反応も随分と好意的なものへと変わってきています。これも、最近のねこブームのおかげなのでしょう。

 しかし、社会現象にまでなっている現在のねこブームは、何もいまに始まったことではないようです。少なくとも江戸時代には、現在のねこブームをはるかに凌ぐような、大ねこブームがあったようです。

江戸時代にも愛されたねこたち(※写真はイメージ)
写真:SAND555 / iStock / Getty Images Plus

 かつては貴族や高貴な人たちの愛玩動物であったねこは、時代が進むにつれてネズミを退治してくれる有益な動物として、次第に庶民にも広まりました。そして、江戸時代になると、浮世絵のなかの風景のひとつとして、ねこが描かれるようになります。このことから、この頃にはすでに庶民の生活のなかに、ねこは普通に溶け込んでいたことがわかります。

 江戸時代も後期に入ると、それまで風景のひとつであったねこが、浮世絵の主役に躍り出ます。特に歌川国芳などは、まさに「ねこづくし」ともいえるような浮世絵を、いくつも世に出しています。たとえば、東海道五十三次の各宿場名を、描かれたねこのしぐさで語呂合わせした『猫飼好五十三疋(みようかいこうびき)』をはじめ、ねこに着物を着せて擬人化し、さまざまなポーズをとらせてみたり、ねこの身体を使って「なまず」や「かつを(お)」、「た古(こ)」などの文字をつくってみたりと、自由な発想と遊び心があふれる浮世絵を発表しています。

 このような面白すぎるねこの浮世絵を次々と世に出すことができたのは、もちろん作者である国芳自身が無類のねこ好きだったことにもよりますが、何よりも、たくさんの江戸の庶民たちが、これらのねこの浮世絵を喜んで買ったからです。いつの時代も、売れない本はつくられません。このことからも、当時の人々は、現在のわたしたちが想像する以上にねこ好きで、ねこブームの真っただ中にいたことがうかがい知れます。

 さらに、国芳の作品のなかには、当時の人気歌舞伎役者たちの顔を、ねこの顔に模した絵を、団扇にしたものまであります。当時の歌舞伎役者といえば、現在のアイドルのようなもの。人気グループのコンサートなどでは、そのアイドルの写真を貼った団扇をつくって、会場に持っていくそうです(うちの娘も、コンサート前にせっせとつくっていました)。

 しかし、そのファンがいくらねこ好きであったとしても、アイドルの顔をねこの顔にした団扇を持っていくことなどはあり得ません。当時は天保の改革などにより贅沢が禁じられ、歌舞伎役者の浮世絵は禁止されていたそうです。それならその代わりとして、なぜ身近な存在であった「いぬ」の顔や、顔形が人間に近い「さる」の顔にはせずに、「ねこ」の顔にしたのでしょうか。

 江戸時代の歌舞伎役者のファンの間で、ねこ顔にした役者の団扇が出回っていたところに、現在の「ねこブーム」とはとても比べることができない当時の熱狂ぶりを、わたしたちは垣間みることができます。

■ねこの着せ替え人形

 幕末から明治の初めにかけても、このねこブームは続きます。この時代になると、子供向けの「玩具絵(おもちゃえ)」といった、双六や、切り抜いて遊ぶメンコやカルタ、紙模型、それに着せ替えというものもありました。いまのようにゲームなどない時代、子供たちは手先と想像力を最大限に使って、工夫しながら楽しく遊んでいました。その玩具絵のなかには、ねこを擬人化したものも多く見られます。なかでも、ねこの全身姿とさまざまな衣装を切り抜いて遊ぶ着せ替えは、現代のわたしたちには「なぜ、人の人形ではなく、ねこなんだろう?」とも思えます。

 当時の人々にとって、ねこの着せ替えは、全く違和感がなかったのかもしれません。それほど、ねこは当時の人々にとって、身近で特別に愛すべき動物だったのでしょう。幕末前後の空前のねこブームによって、ねこは日本の文化のなかにさらに深く刻み込まれ、現在に至っているものと思われます。海外からの旅行者が、日本のねこ文化に惹かれるのは、これが単なる一過性のブームなどではなく、時間をかけて熟成された本物の文化であることを、鋭く見抜いているからなのだと思います。わたしたちは誇るべきこの日本のねこ文化を、もっと自信をもって海外に向けて発信してもいいのかもしれません。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!