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大正時代、米不足を“簡易生活”で乗り切った男の驚くべきスゴワザ

 かつて大正時代に物価が高騰し、庶民が米を安々と買えない時代があった。そんな状況を「簡易生活」という独自の手法で乗り切った男が現れた。簡易生活とは、明治・大正に流行した簡素かつ合理性をとことん重視する生活法である。現代でも参考になる彼の驚くべきスゴワザを、明治娯楽物語研究家の山下泰平さんに、自著『簡易生活のすすめ』(朝日新書)から紹介してもらう。(写真撮影/朝日新聞出版写真部・小山幸佑)

295058_簡易生活のすすめ

 簡易生活を追求し、究極にまで向上させた結果、おかしな場所にたどり着き、代用食で日本を救おうとした男がいた。

 まずは時代背景を解説しておこう。大正7年、第一次大戦等の影響で物価が高騰し、庶民は生活難に陥っていた。7月22日に富山県で米騒動が起きると、それに呼応するように米の安売り要請運動が、全国各地で繰り広げられた。

 そんな中、一人の男が静かに立ち上がる。その名も赤津政愛、漢学を修めた記者で簡易生活の実行者である。赤津政愛が出した解決法は単純で、米以外の主食を食べればいいというものだ。実行するためのガイドブックとして『一日十銭生活:実験告白』(磯部甲陽堂、大正7年)を出している。十銭は現代では300円程度で、簡易食堂でも一食十二銭なのだから、一日十銭というのがいかに安価なのかが理解できるだろう。

 赤津は米騒動以前から、自身の人格を向上させようと簡易生活に没頭し、代用食の研究に勤しんでいた。その目的は、簡易な代用食を探し出し、日々食べることで人格を向上させることである。なぜ代用食を食べると人格が向上するのかは謎でしかないが、とにかく赤津はそう思ったのである。

 赤津は本気であった。簡易生活を実現するために、簡素で安く健康を害さない食材を探すべく向かったのは貧乏な家庭であった。米など買えないくらいの生活をしている人々から、米なしで生きていける方法を学ぼうとしたのである。この発想からも分かるように、赤津政愛という男はかなりの変人だった。

 赤津は未知の植物を探し出すため山深く分け入ったり、東京の貧民街を巡り歩いては、米の代わりになるようなものを探し続けた。あるときにはワラ餅すら食べている。

 ワラ餅というのは、石灰を加えた水に浸し続けたワラと餅米を混ぜたものだが、もちろん美味いはずがない。

 そんな生活の中で赤津は、卯の花(オカラ)だけを食べ続けているのにもかかわらず、頑強な身体を持つ貧民街の人々と出会う。そこで赤津は卯の花を代用食としてはどうかと考え、卯の花飯というのを試みている。これは同量の米と卯の花を炊くというもので、当たり前だが美味くはない。食べれば食べるほどに、米の美味さが懐かしくなるような味だった。

 とある老人から聞き出したのは、餅に卯の花を混ぜるというレシピで、実行するとなかなか美味い。これは良いと数日は続けるも、赤津は胃腸を壊してしまう。何とかならぬかと卯の花のことばかり考え続け、美味くもないものを食べ続けるうち、とうとう赤津は異常な気持ちの落ち込みに苦しみ始める。

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画像)1940年5月16日の京城日報に掲載されていた広告。他人の能力を開花させ、科学的に考えるのが簡易生活の特徴だ。その考え方は長く継承され、戦時中の新聞にも「必要にして十分な量を使えば大丈夫」という趣旨の広告が掲載されていた

 そこまで大変なら、いい加減なところで止めてしまえばいいのにと思うわけだが、とにかく赤津はしぶとく粘り強い。この危機も、古書を紐解き「保寿散」という薬を発見して乗り越える。これは黒胡麻と胡椒、そして蜜柑の皮とダイダイの皮、麻の実を混ぜたものである。飲めば気分が爽快になるそうだ。効果の程は保証できないが、とにかく赤津は元気になった。

 復活した赤津は、不味いものを食うために薬味の研究にも没頭し、ありとあらゆるものを米に混ぜて実験しているが、なかなか上手くいかない。

 ある日のこと、赤津は餅がダメならパンはどうだと思いつく。ものは試しとばかりに小麦粉を購入し実験を開始するが、どうも赤津という人は料理はあまり上手ではなかったようだ。彼は卯の花に小麦粉を適当に混ぜ、そのまま焼く。これではパンになるはずもない。

 当然ながらペンペラの、伸びない餅のようなものが焼き上がる。ところが食べてみると、思いのほかに美味い。これまで食べ続けてきた麦飯や卯の花飯とは、比べものにならないくらいに美味である。

 赤津の家には書生(住込みで家事手伝いをしながら学校に通う人)がいたのだが、この男は美味いものが好きだった。彼は赤津が麦飯を食べていたときも、麦飯など食いたくないと、普通に白いご飯を食べていた。

 そんな書生に食べさせてみても、評判が良い。その美味さに動かされ、ついに書生も研究に参入する。この書生、赤津と違い美味いものと料理が好きだったらしく、彼の参戦でレパートリーが一挙に増える。焼いたりおはぎにしてみたり、雑煮もどきを作ってみたりすると、やはり美味い。二人はこれを卯の花餅と名付け喜んでいた。

 書生と赤津の卯の花餅生活は三年も続いた。二人はなんの不満も持たず、また飽きることもなく、卯の花餅を食べ続けた。

『一日十銭生活:実験告白』の中に描かれる彼の情熱は、他人から理解されるようなものではない。滑稽味すら感じてしまうものの、失敗しようとも謎の情熱を持ち続け、幾度も果敢に立ち上がる彼の姿には、なんとなく心動かされるものがある。

 そして出版の後も赤津政愛は、自らの手で開発した卯の花餅を、書生とともに改善させつつ、大喜びで食べ続けた。

 私はこの事実に、妙な感動を覚えてしまう。

 忙しい現代人が、赤津のような大規模な実験をするのは難しいかもしれない。しかしその奮闘ぶりを眺めていると、小さな実験を楽しんでみる気になってくる。

 赤津が食という日常を対象にしていたことに注目すると、実験の題材も見付けやすい。しばらく無駄なものを買うのを止めてみる、普段は選ばない缶詰、例えば鯖缶を食べてみる。意外な好物が発見できたり、生活の質が上がることすらあるかもしれない。不要不急の外出を自粛するよう求められている今ならば、自宅にある家電のマニュアルを引っ張り出し、これまで使ったことのない機能を使ってみるのも楽しい。オーブンレンジの新しい活用法や、知らなかった洗濯機やドライヤーの機能に魅了されることもあるだろう。非日常が続く日々ではある。しかし自宅で普段はしないことをする良い機会として捉えてみると、少しだけ楽しい日々が送れるはずだ。