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日本最初のクイズ番組はGHQがもたらした? 今こそ知りたい「クイズの歴史」昭和編

 毎日のように放送されるクイズ番組。日本で最初にクイズ番組を放送したのはラジオだった……。もはや一過性のブームではなく、私たちの生活にすっかり根付いた「クイズ」だが、「クイズの歴史」自体はあまり知られていない。そこで、『史上初! これ1冊でクイズのことがまるっとわかる クイズ用語辞典』(三木智隆、石野将樹、徳久倫康 著/田中健一 著・監修)から、日本でのクイズの歴史についての解説を一部抜粋・改変して紹介したい。

三木智隆、石野将樹、徳久倫康著/田中健一著・監修『史上初! これ1冊でクイズのことがまるっとわかる クイズ用語辞典』(朝日新聞出版)
三木智隆、石野将樹、徳久倫康著/田中健一著・監修『史上初! これ1冊でクイズのことがまるっとわかる クイズ用語辞典』(朝日新聞出版)

 クイズを単に「出された問題に答える遊び」と捉えるのであれば、それは遠い昔、ヒトが言葉を獲得してすぐに誕生していたのかもしれません。ギリシャ神話で怪物スフィンクスが通りかかる人々に出していたという「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の生き物は何?」という問題が世界最古のクイズと呼ばれることもありますし、日本でも『枕草子』など平安時代の文献にすでに謎解きのようなものが登場していました。これらはクイズと言うより、なぞなぞに近いものですが。

 では「クイズ(quiz)」という言葉はいつ生まれたのでしょうか? その起源には諸説ありますが、「あなたは誰ですか?」という意味のラテン語「qui es?」を語源とする説などが有力とされているようです。

 さて、ここからは場所を日本に絞ってクイズの歴史を振り返りましょう。今につながる「クイズ」という文化が日本に入ってきたのは、戦後のラジオ番組がきっかけでした。1946年からNHKラジオで放送された「話の泉」や、翌年に始まった「二十の扉」が、日本の最初期のクイズ番組です。

 アメリカの番組をモデルとしたこれらの番組を日本にもたらしたのは、GHQ(連合国軍総司令部)の部局・CIE(民間情報教育局)でした。そこには、家父長制の解体や民主化の促進といった狙いがあったと言われています。

 1953年にテレビ放送が始まると、テレビでもクイズ番組が次々に誕生。その賞品・賞金は、ラジオ番組を中心に高額化していきました。1956年には最高賞金100万円の番組(日本テレビ「物識り大学」)も出現します。当時はまだクイズを低俗なものと考える人も多かったようですが、徐々に娯楽としての地位を確立していきます。

 1963年には「アップダウンクイズ」がスタート。翌年から海外渡航が自由化されたこともあり、成績優秀者には賞金のほかにハワイ旅行が贈られました。この番組でハワイへ行った人たちが中心となって1972年に結成した「ホノルルクラブ」は、現存する最古のクイズサークルとされています。

 そして、一獲千金を夢見て数々の番組に挑戦する視聴者の中から「クイズあらし」と呼ばれる人たちが頭角を現します。今で言う「クイズ王」の源流ですね。

 1975年には「パネルクイズ アタック25」が放送開始。2021年秋にいったん終了しましたが、半年後に放送局をBSJapanextに移して復活。日曜日のお昼に放送され、昭和から令和まで続く長寿番組は、視聴者参加型クイズ番組の代名詞的存在となりました。

 また、1977年には「アメリカ横断ウルトラクイズ」が誕生。圧倒的なスケールの大きさで人気を集め、1992年まで毎年秋に放送されました(その後、1998年に一度だけ復活)。終了から四半世紀が過ぎ、番組の存在自体を知らない人も増えてきましたが、この番組のテーマ曲(※)、SE、クイズ形式などは今でも随所で使われており、知らずに触れている人も多いかもしれません。

 1981年には早稲田大学、1982年には東京大学、慶應義塾大学、立命館大学と、雨後のたけのこのように数々の大学でクイズ研究会が発足。当初はイベントサークル的な団体も多かったようですが、徐々にクイズ番組を「研究」するようになり、「ウルトラクイズ」の予選が行われた後楽園球場や東京ドームでは、各大学の幟や法被が会場に花を添えました。

 1983年には「ウルトラクイズ」の弟分とも言われる「全国高等学校クイズ選手権(高校生クイズ)」が誕生。3人1組での参加が特徴(2人1組の時代も)のこの番組は、「世界一参加人数の多い“game show”」としてギネス世界記録に認定されたことも。2000年代後半からは数年周期でコンセプトを大きく変えながら、現在も続いています。

※「スター・トレックのテーマ」が使用された

(文:クイズ作家・校正者 田中健一/構成:生活・文化編集部)